ヤムライハが何かに気づいたことはわかっていた。彼女がルフを見ることができるからこそ、おそらく一緒にいるであろうアリババやアラジンたちを呼んだのだ。もし本当にジャーファルの言う通り彼女が暗殺を目論む類のものだったとすれば――そんなことはないと思ってはいるが――そのルフはお世辞にもきれいな色をしていることはないだろう。それに、下手にヤムライハだけを連れてきたとすれば勘のいいナマエは何かに気づくかもしれない。気づいたところでルフはどうこうできる代物ではないが、これも用心するに越したことはない。
シャルルカンとの手合わせは、手を抜くにしろ全力で相手をするにしろ、どちらにしても彼女の実力を測るのにはちょうどいい機会だった。相手の実力も何一つわからない状況より、一番手っ取り早い方法である。
訝しげに見つめてくるジャーファルにそう伝えれば驚いたような顔をされたので、本気で無能な上司と思われていたと思うととても悲しくなったということだけは必ず伝えておこうと思う。最近の彼は少し機嫌が悪い――原因については考えずともわかる――ので、一つ行動を起こすにしても楽なことではない。
キイン、と突然甲高い音がしたのではっと我に帰れば、いつから始まっていたのか既にシャルルカンとナマエが剣を交えていた。単純な力の差でいえば彼のほうが圧倒的だろうが、それを感じさせないほど彼女の剣はぶれていなかった。受け止めることにおいても、なに一つをとっても、彼女の細やかな剣さばきが力を受け流している。
女性剣士というものはおそらく、力によって剣が弾かれることを前提においているのだろう。左手に握られた剣が軽そうに見えた。


「左利きだったのか、気づかなかったな」
「ええ、食事でもとくに不便なく右手で食べていましたからね」


王宮に住み込みで働く官吏たちの食堂へ、時折彼が足を運んでいたのは知っている。仕事が不規則なため部屋で摂ることのほうが割合多い彼のその行動の意味を、知らないはずがなかった。
シャルルカンが剣を振り上げる。その細身の刃が風を切る音がこちらまで聞こえ、彼女は剣を斜めにしてそれを受け止めると刀身を滑らせて彼の懐に潜り込んだ。柄を鳩尾に食い込まれるより先に彼は飛び退き息を吐いた。


「やっぱ、その手の豆は伊達じゃねな」
「そうでもしないと、やってけないですから、ね!」


ナマエは一歩で間合いを詰めると刃を振り下ろす。鋼がぶつかり鈍い音を響かせて間を置くと再び突っ込んだ。シャルルカンが身をよじり、剣の側面でそれを受け流す。ギュイイとこすれあう音に、彼女の体が初めて前のめりになった。素早くシャルルカンは剣を振り上げるが、その瞬間彼女は両手を床につけると低姿勢のまま足を蹴り上げた。
くるりと空中で体をひねり反対側に着地する。剣を握り直し、振り返った彼の首元に一太刀斬りかかれば、彼は鍔に刀身をひっかけひねり飛ばした。


「ッは、」
「フッ丸腰だな」


カラン、と乾いた金属音を立て放り出された剣はシャルルカンの背後に落ちた。身を庇うものがなくなったナマエににやりと笑い、シャルルカンが剣を振り下ろす。その時彼女も、僅かに口角を引き上げていた。
振り下ろされる剣に構わず飛びこんだ彼女は左手で彼の柄を握る手を押し返し、右手を握りしめて肺の当りに肘を突き出す。咄嗟に背後に飛び退く彼に、軽く飛び跳ねて右足を側頭部めがけて蹴り抜いた。左腕を立てて頭を庇った彼が、思わず声を上げた。


「っい、!」


右足から着地した彼女はそのままの勢いを使って左足で回し蹴りを同じ個所を狙って蹴り上げるも、それは上体を仰け反らせることで回避した。そこでもう一撃彼が剣を振り上げるかと思いきや、バッと大きく後ろに下がって体制を整える。受け止めた腕を何度か振る素振りをしているので、想像以上に重く痛い一手だったということだろうか。どこからそんな力が出るのかは疑問であるが。
彼の足元には、ナマエが使っていた剣があった。
シャルルカンはもう一度剣を握り直して斬りかかる。反射的に屈めればぶん、とすさまじい音が彼女の頭上を通っていく。地面に手を突き、砂埃を巻き上げながら踵を滑らせ彼の足元を掬えば、シャルルカンは避け損ねた左足を取られた。ふらりとぶれた彼の胸倉を掴むと上体を手前に引き込み容赦なく膝蹴りを鳩尾に食い込ませる――が、ナマエの膝と自身の腹の間に空いた手を滑り込ませて勢いを遮っていた。それでもなかなか手痛い一撃が入ったようで、眉間に酷い皺がよる。ナマエの両手を捉えるよりも先にパッと離すと、シャルルカンの後頭部で再度握り合わせた両手を振り下ろした。彼は右側に手をつくことでそれを回避。ナマエはそうして二歩ほど歩みを進めて自身の剣を拾い上げた。
彼女の呼吸が、聞こえるような気がした。互いに構え直すと瞬きもせずに睨み合っている。剣士特有の間合いをはかっているのだろう。
誰かの、息を詰める音を聞いた。


「っ」


どちらともなく踏み出したあとは、ほんの一瞬の出来事だった。二人の剣は互いの攻撃を制していたが、彼女の頬に赤くまっすぐな痕を残して、シャルルカンの剣は首元に宛がわれている。彼女の剣は――。


カランッ。


刀身は真っ二つに折られて、彼に届くことはなかった。


「……負け、ですねこれは」


心なしかしょんぼりと肩を落とした彼女は、降参だと両手を上げた。黒光りする刀身を鞘に納め、彼は満足げに笑う。


「蹴りかまされたときは焦ったけどな」
「丸腰になったらとしあえず足を出せと、教わりまして」
「……無駄にいい蹴りだったのはそいつのせいか……」


つつ、と赤い筋が顎を伝い、彼女の白いシャツを湿らせた。「あ、血が」と何事もないような口ぶりで呟いたので全員が一瞬間をおいてから、ヤムライハがシャルルカンを責め立てる。


「最低あんた顔に怪我つくっといてへらへらと……!」
「ばっか、ちが! わ、悪い大丈夫か!?」


おたおたと両手を動かす彼にナマエは大丈夫ですよと笑いながら言うと、あの時のように傷口に手を添えて、ファーストエイドと呟いた。ふわりと優しい光が集まり、瞬きをする間に赤い血の痕を残してなかったかのように傷口は消えてしまった。
隣でヤムライハが言葉にならない声を漏らした。――これではっきりした。やはりあれは、彼女たち魔導士のものとは異なる魔法なのだ。
ちらりとジャーファルを一瞥し、意識的に瞬きをする。彼もそれに気付いたようで、小さなため息を吐いた。


「シンドバッドおじさん」


魔法を使うのか、と騒ぐシャルルカンを横目に、彼を呼ぶ小さな少年を見下ろす。彼がこんなにも戸惑ったふうに瞳を揺らがせているのは、初めて見るかもしれない。


「ナマエさんとお話してもいいかい?」
「――どうして俺に聞くんだ、アラジン? 大丈夫だよ、彼女は君を取って食ったりなんかしないさ」


アラジンがどうしてそんなふうに聞いたのか。彼は聡い子だからすぐにわかったが、あえて答えをはぐらかした。彼は薄く笑ってありがとうと言うと、アリババのもとに戻っていった。


「……シンドバッド王――」
「ヤムライハ、シン。場所を変えましょう」


アリババたちを交えて談笑する四人を見つめて、ジャーファルが呟いた。その視線の先を辿れば、ナマエと目が合ってしまったような気がして急いで笑顔を取り繕う。
伸びる影が一段と長く濃さを増し、空は赤みを帯びていた。


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