鋭い朝日に目蓋を焼かれ、寝返りを打ってから少しの間を開けて目を覚ました。――布団だ。見渡せば、隣のベッドにジュリィとロゼの姿がある。昨日はあの後眠ってしまったようで、自力で帰った記憶はない。服は夜のままで、汗で気持ちが悪かった。
シャルルカンが部屋まで運んでくれたのだろうか。武官の仕事は休みなので、彼を見つけたら謝っておこうと、風呂の準備をしながらそう思考を巡らす。緑射塔の一階に共有の風呂場があるので、物音で目を覚まさないようにこっそりと部屋を後にした。
朝の時間ということもあり、誰もいなかった風呂から戻れば、ロゼは緩慢な動作で身支度を始めていた。
「おはようございます、ロゼ」
「おはよう。ナマエ、昨日の記憶はちゃんとある?」
髪を束ねてから、後ろに居たナマエに振り返りざま尋ねた。質問の意図を図り兼ねて、微妙な顔をしてしまえば、ロゼは呆れたように笑った。
「ここまでまさか、自力で帰ってきたとは思ってないでしょうね」
「……シャル、ではない?」
「さあね」
含みのある言い方をするということは、ここまで運んできたのはシャルルカンではないということになる。楽しげに笑っている顔を見るに、恐らく既知の誰かのはずだ。あの酒場に他に誰かがいただろうかと思い出そうとするが、そんな人影がいた覚えは全くない。ナマエが酒場にいた事実を知っているのは、シャルルカンとピスティ、それに――。
「…………もしかして、ジャーファル、さん?」
「聞いてらっしゃいな。今日ナマエは非番なんだから」
――言葉にならない声が漏れた。疑問やら羞恥やらすべてが綯交ぜになって、そんなナマエを見て笑うロゼに沸点を超えて、最早思考が停止した。
汗だくのベッドに戻りたくなくてロゼのベッドに埋もれ、ジュリィを抱きしめながら不貞寝を決め込む。ジュリィが起きる頃に起こされるのだ。それまでの、現実逃避だった。
案の定、それからしばらくもしないうちにジュリィは目を覚まし、現実に引き戻される羽目となった。
肩を覆う程度の袖丈に、折り目の入った襟のボタンは一番上を外す。ロゼが繕ってくれたズボンは、シャツの長い丈のお陰でうまく隠れそうだ。いつものお洋服じゃないんだねと傾げたジュリィに、今日はお休みだからねと笑って返した。
少しでも、心の整理をしてから謝罪をしに行こうと思い、まずはジュリィを連れて外に出ることにした。彼女自身、外に出ることがまだ苦手であるようだが、もう彼女の身に危険が及ぶこともない。手を繋ぎながら、ゆっくりと街並みを眺めながら歩いていた。
「ナマエちゃん、今日はどこ行くの?」
「今日はね、ちょっと聞きたいことがあってね。港の方に行くよ」
お昼時ともつかない時間に中央市に来てはみたが、やはり人の賑わいは凄まじい。並んで歩けないほどではないので、食べ歩きのできそうなものを朝ごはん代わりに調達しながら、港の方まで歩みを進める。海を眺める遊歩道の手すりにもたれながら、アバレヤリイカの中に麦を詰めた惣菜を平らげてしばしの休憩を挟んだ。
今日も相変わらず日差しが強く、いい天気だった。
「焼けちゃうねえナマエちゃん」
「そうだね、焼き魚みたいになっちゃうね」
「あっ昨日のお夕飯は焼き魚だったよ! 骨をね、ジャーファルさんが取ってくれたの」
不意に飛び出してきた名前に、反応が滞る。なんとなく感じてはいたが、ジャーファルは小さい子が好きなようだ。昨日もシャルルカンが、俺が小さい頃はジャーファルさんも優しかったと嘆いていたので、そういうことなのだろう。
ジュリィは背中ほどにまで伸びた髪をなびかせて、笑った。
「ナマエちゃん、風きもちーね」
港まで行けば、彼女の家も近い。取り潰しになるようだと、前に話を聞いた。ジャーファルと最後に見に行ったようだったが、帰ってきてからも、今までも、彼女は気丈に振舞っている。
「ジュリィ、いこっか」
ジュリィはジュリィなりに、乗り越えようと必死なのだ。
前へと進む彼女の手を握る。ナマエも、進む時なのだ。
遊歩道を歩きながら、港を遠目に眺めていた。海兵たちが乗り込み、ロープを外して出航する船を見送る。昨日の酒場にいた男がどの船に乗っているかなど皆目見当もつかないが、恐らく海に出る彼らなら噂ぐらい知っているだろう。港までと行かずとも、その周辺で葉巻を蒸している中年の男に聞いてみることにした。
「すみません、お伺いしたいことがあるのですが――」
男は葉巻を指で挟み、はあと黒い煙を吐き出した。明らかに吸えば害のありそうなそれに、思わずジュリィを背中に追いやる。彼はそんなことなど気にも留めないようで、なんだと厳しい口調が返ってきた。
「あの、シンドリア近海で緑に光る海を見たという噂をご存知ですか?」
「ああ……アクティア行の船に乗ってた奴らがそんなこと言ってたな。俺は知らねェが、あの一番端にとまってる船の奴らに聞けば、分かるんじゃねえか」
彼が指を指したのは、並ぶ船の中でも一番小ぶりな船だった。小ぶりといっても貿易船なので、漁船とは比べ物にならないほどに大きい。
ありがとうと会釈をして立ち去れば、彼は葉巻を蒸すだけだった。
官服を着ないで正解だったかもしれない。彼らからしてみれば、官服を着た役人が聞いて回る噂話など、余計な尾鰭が付きかねない。
整備された階段から港に下り、木箱の積まれた道を進んでいく。不釣り合いな二人がいることで視線を浴びたが、ジュリィが船の方に興味をそそられているようで気にはしていなかった。何隻かの船を通り過ぎたあと、目当ての船の前で立ち止まる。近くに立てば振り仰ぐほどには大きかった。
「うちになんか用かい嬢ちゃん方」
荷を運んでいる男たちの列から一人、剃髪の男が汗を拭いながら柔和な笑みを浮かべて寄ってきた。人見知りのするジュリィは足の間に隠れながら、様子を伺うようにこちらを見上げている。
「すみません、お聞きしたいことがあって――」
* * *
自室でロゼから以前借りていた、シンドリア海域を中心に据えた地図をテーブルに広げる。ナマエが落ちてきたと推測される位置は、煌帝国から出航して間もない距離だと聞いた。今回緑に光る海が見つかったとされる場所は、シンドリアから程遠くないようで、帆船で四半刻もすれば見ることが出来るという。
――昼夜を問わず、不規則に出現する緑の光。発見されたのはつい二、三日前だという。その付近の生態系に変化は未だ見られず、発光体の特定も出来てはいないようだが、確かに、海の底から緑に光る物質があぶくに紛れて浮上しているとのことだった。
実際に確認することはできなかった。根拠もなく、それでもただ漠然と思った。
緑色の発光体の正体は、エアルだ。大気中に存在しているとされるエアルは通常であれば無色透明だが、エアルが何らかの原因により濃度が濃くなることで緑の発光として見ることができる。
敵帆船から落ちた先にあったエアルによって、元の世界を視認することができた。エアルがこの世界に存在しているのか、それともルフと呼ばれるものがエアルと同一のものなのかはわからない。けれど、その緑の海の先に、元いた世界があるのではないだろうか。イエガーの胸の明滅が途絶える夢の、その先が、待っているのではないだろうか。
――運命を、変えることが、できるかもしれない。
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