君はいつも無茶ばかりするよね。女の子なんだから、前衛は僕たちに任せればいいのに。
怪我をするたび、彼はそう言って治癒魔法をかけてくれた。女の子なのにと言われるともうそんな年じゃないよと返すのはいつものことで、ソディアだっているのに、と口を尖らせれば、隣でユーリだけがけらけらと笑っていて当のフレンに大きな溜息を吐かれるのだ。
剣術が好きなのはいいことだけど、それで怪我をしては元も子もないだろう、なんてその透明な青色の瞳を細めて叱られると、何も反論できなくなってしまうから。
分かったら、これからは後衛で援護して。微笑まれながらそう告げられるたびにわかったよ、フレンは過保護なんだから、と返すけれど、結局生きている間に実践できたことは一度もなかった。






ずきりと鈍い痛みで目が覚めた。柔らかなベッドに埋もれていた体を起こし、シャツをめくる。ユーリに斬られた傷に沿って、青く鬱血した痕が浮かんでいた。
パーティの中で唯一治癒術に長けていた少女に比べ、彼女のそれはあまりに精度が劣るのだ。致命傷であったあの傷を完全に癒すには、力が足りなかった。
シャルルカンとの試合のあと傷が開きかけた所為もあって、余計に治りは悪かった。シンドバッド達がいる手前、痛がることも傷口の不良も知られたくはなかったのだ。
ずきりと鼓動に合わせて疼く傷が苦しくて、細く吐いた呼吸の合間に呟く。


「聖なる活力よ、ここへ……」


柔らかな光に慌てて同室のロゼを見やるが、彼女は規則的な寝息を立てていた。痛みも治まり、それでも冴えてしまった頭ではもう一度眠ることができずに仕方がなくベッドから立ち上がった。
まだ王宮のすべてを覚えたわけではないが、近場を歩くくらいならば迷うこともないだろう。できるだけ足音を消し、静かに部屋を後にした。


誰もいない廊下は酷く静かで、時折聞こえる波の音に耳を澄ましながら歩みを進める。ふいに空を見上げてみれば、半分にかけた月がぽつんと浮いていた。
世界で、一人だけになってしまった。
柱に背を預け、俯いた。仄暗く伸びる影は確かに彼女がここにいることを映しているけれど、中身はどこまでも空っぽのような気がした。
――どこまでも、一人なのだ。この世界は自分が生まれ育った場所などではなく、あの温かな仲間の姿など、どこを探してもいない。どこにも、いないのだ。


「っ、どうして、わたしばっかり、」


私ばかりが、置いていかれる。
こんなことになるのならば、もういっそ聖核に潰されたままで良かった。
あの斬られた痛みを、今でも覚えている。ぼたぼたと傷口から溢れる血の感覚も、緩やかに忍び寄る"死"という意味も。紛れもなく、彼女はあの時、あの場所で"死んだ"のだ。生きていることが嬉しいと思えたのは目が覚めたその時だけだった。時が経つにつれ次第に受け入れたくなかった現実が重みを増し、はっきりと、気づかざるを得なくなった。
この世界が、全くの別物であり、自分は異端なのだと。それならば、この偽物の世界で生きる意味などどこにあるというのだ。
喉にまで出かかる嗚咽を飲み込み、口を塞いで必死にこらえた。震える足では立っていることもできなくなって、ずるずると膝を抱えるようにしゃがみこむ。今ここで思い切り叫べば、懐かしい仲間の名を呼べば、迎えに来てくれるのだろうか。


「――…ナマエさん?」


声変わりのしていない高い声が、確かめるように名を呼んだ。ぺたぺたと素足が走り寄ってくる音がして、もう一度ナマエの名を呼んだ時にはすぐ傍にいた。


「ナマエさん、大丈夫? 気持ち悪いのかい?」
「……アラ、ジン……どうして」


まっすぐに顔を上げることができなくて、少し目を伏せた。何度も下唇を噛んでは飲み込んだ声を、もう一度噛み殺した。
何も言葉に出せずにいる彼女をどう思ったのか、アラジンは隣にちょこんと座り込む。首からぶら下げた金色の笛を握りしめ、彼はぽつりぽつりとつぶやいた。


「僕もね、すぐそこの部屋で寝てたんだ。なんだか今日は眠れなくてふらふら歩いてたら、ナマエさんが座り込んでたから」


何かあったのかい?
そう柔らかく温かな口調で問いかけられて、尚更胸が締め付けられた。一回りも若い少年に気を遣わせてしまうなんて。
情けなくなって、それでもいまだ心臓は苦しくて、押し黙ってしまった。


「……、ナマエさんは強いんだね。アリババ君が部屋に戻ってもずっと、ナマエさんの話をしてたよ」
「……そ、んなこと……」


漸く絞り出した声は、酷く掠れていた。アラジンはずっと前を向いたまま、笑っていた。


「ねえ、ナマエさんはどこからきたんだい?」


笛の音孔を指でなぞりながら、アラジンはそこで初めて彼女を見た。月の光に反射する青い瞳が懐かしくて、収まりかけていた目尻の熱さが顔を出す。――今夜はどうにも涙もろいようで、歪む視界に気づきたくなくて目を閉じた。
瞼の合わせ目からじわじわと熱を帯びて、溢れてしまいそうだったから天井を仰いだ。
彼なら、彼ならば、このあり得るわけがない彼女自身の存在を認めてくれるような、そんな気がした。


「……ずっと、ずっと遠いところだよ」
「ナマエさんは旅をしていたんだよね、聞かせておくれよ」


深海の底より暗く沈み切った心臓の奥で、彼の声が弾けた。
そっとしておいてほしいと思っていたのに、どうしてかアラジンの声をもっと聴いていたいと思えた。穏やかで心地の良い声は張り裂けそうだと叫ぶ心を見透かしているようで、それでいて何も知らないふりをして、昔の話をせがむのだ。
焦がれてももう二度と戻れないというのであれば、思い出してしまう方が苦痛なのではないだろうか。思い出すことをやめて仕舞えば、ゆっくりとここに馴染んでいくことで忘れていって仕舞えば――いや、そんなことが許されるはずがないことを、何よりもナマエは知っている。
アラジンの柔らかい瞳にはなんの策略も意味もなく、ただただナマエを思い遣る知りたがりの好奇心があるばかりだった。
ナマエはそっと唇を開いて、小さく笑った。


「話すのが下手だけど、それでも聞いてくれる?」
「聞かせて、僕もう全然眠くないんだ」


にっこりと笑った彼は膝を抱えて、彼女が話し出すのを待っていた。


「……ありがとう、アラジン」


アラジンの柔らかな髪を撫で、いまはないペンダントを提げていた心臓のあたりをきゅと握りしめた。


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