騎士団長まで上り詰めた彼の実力は、相当なものだった。ジュディスに魔導器がなくても大丈夫だと虚勢を張ったが、実のところ勝算はないに等しい。
彼が少しでも、言葉を聞きいってくれればいい。十年間疎遠にしていた。今更父娘の縁をと宣うつもりはない。ただ、彼の奥底にあった理想や信念の全てを否定してしまうには、過去の彼はあまりにも清廉潔白の人だったのだ。昔の彼はと引き合いに出して赦されたいわけではない。それでは、パティや大勢の人の怒りの矛先が、折り重なる犠牲になった彼らの無念が晴らされることが、無くなってしまう。
アレクセイの振りかぶった剣を半身さがって避け、その手を押さえつけて逆手に握り込んだ柄ごと鳩尾に叩き込んだ。一瞬下がった頭に蹴りを入れようと飛び跳ねるが、アレクセイが地面に剣を突き立て術技を展開。彼の攻撃は範囲が広い。素早く大きくバックステップをして回避すれば、すぐさま剣を引き抜いて間合いを詰めてきた。後ろ脚で後方に流れる身体を踏み留め、下段から斬りあげられた剣に身を反らせる。ナマエが振り凪いだ剣は、容易く受け止められた。斬り結んだ剣を鍔で弾き、僅かに飛び上がりながら右足で側頭部を蹴り上げる。防がれたが、左手に持ち替えた剣で斬りあげれば、避け切れずに彼の額を薄らと斬り裂いた。
――左手がぶれる。落としそうになった剣の柄ごと、左手を上から握り込んだ。


「…騎士の剣とは言えんな」


一瞬の間。右半身を引いた彼は剣を水平に構え、突き上げた。咄嗟に胸の前で剣を盾に受け止めたが、そのまま勢いよく吹き飛ばされた。
地面に身体を打ち付けて、胸を突いた剣圧に噎せながら立ち上がる。


「光の化身なる神の剣は、蒙昧なる汝を貫く」


足元に広がる魔法陣。詠唱が早すぎる。避けろとレイヴンの声が聞こえた。
魔導器がないと、魔法攻撃の防御力など皆無だ。ガード動作をとりながら、頭上で閃いた雷に身を強張らせた。


「ッーー!!!」


全身を、痺れとも熱さともつかない、とにかくただただ激痛が走り抜けた。感じたこともないような痛みに声さえ上げることはかなわず、軋む四肢を引き寄せるだけで気を失いそうになる。地面に手を突いたまま、蹲ったまま立つこともできず、か細い呼吸を繰り返していた。


「……普通の、親子だった時もあっただろ」


エステルの駆け寄る足音に、頭を振る。ゆっくりと顔を上げれば、レイヴンの背中が見えた。


「ッ直させてやりてェと思ってたが、もう、見てらんねえわ」
「…だ、め、だよ」
「ナマエ、もうここまででいいだろうが!」


剣を支えに、踏ん張った。視界が揺らぐ。それでも、段々と痛みが引いていく気がした。
そうだ。久しぶりに受けた魔法に、驚いただけだ。まだ、身体は動く。まだ、心も剣も、折れていない。
レイヴンの肩に手を置いて、彼を背中に追いやった。


「手を、出さないで。まだ、終わって、ません……!!」
「……何がお前を、突き動かしているというのだ」


剣を握り直す。振りかぶった剣で、何度も、何度も、斬りつける。防がれ、弾かれ、それでも一閃を切り裂く手は止めない。
斬り結ぶたびに重い。揺らがない彼の剣が容赦なく責め立てる。
感覚が鈍くなっていく左腕を捨て置いて、残る右腕で剣を振るう。振り抜こうと剣先を下げて後ろにやった彼の剣の柄に足をかけ、長剣を振りあげる。瞬間、海上特有の突風に体軸がぶれた。
剣を握る彼の腕ごと放り投げられて、空中で体勢を捻り左足で着地する。
彼の踏み込んだ一閃を、受け止めた。


パキィッ


吹き飛ばされながら、砕け散っていく欠片を見た。黒い破片が、容赦なく降り注ぐ太陽を反射させている。
こんなにも簡単に折れてしまうものかと、どこか冷静になった頭で考えていた。


「…見たところ魔導器もなく、左腕も手負いのまま、よもや勝てるとでも思ったのか」


それでも立ち上がった姿に、アレクセイの顔が初めて歪んだ。
振りかぶる武器もなく、辛うじて立っているだけだった。痛みはなく冴えているはずだというのに、それらに比例して手足が重みを増していく。
だらりと落ちた右手から、指輪が落ちた。
誰の悪戯か、それはアレクセイの足元まで転がり、甲冑にぶつかってようやく止まった。


「――……これは」


汗で固まった前髪を掻き揚げる。
――こんなにボロボロになるなんて、シャルルカンにも、マスルールにも、合わせる顔がない。零した笑いが、思いのほかよく響いた。
アレクセイは転げ落ちた指輪を拾いあげ、固まっていた。


「……テムザへ行く前に、母の形見だなんて、嘘ついて、全然、違うじゃないですか」


いつの間にか切れていた唇から滲んだ血を、拳で拭い取る。
――剣を振るうナマエの指にさえ合わないものが、武人でもなかったという母には到底合うわけがないのだ。


「――赦せないまま、それでも、貴方を、このままにしておくことが、私には、後悔にしかならなかったんです」


指輪を見つめたまま動かない彼の瞳は震えていた。
健やかであれと祈りの込められたペンダント。その中に入っていた指輪。
彼の脳裏に過る穏やかな記憶が、どうか、彼に巣食っていた憎しみを晴らす一筋であるように。振り返った道筋に重なる屍の山に、落ちていかないように。正しい道を、進むことができるように。
右の拳を握りしめた。気を抜けば崩れそうな両足を踏みしめて、彼の懐に入り込み、振りかぶる。


「っぐは!」


思い切り、その頬を殴り飛ばした。
約束を守り、静観し続けてくれていた彼らも驚きの一発だったようで、口々に呼ばれた名前に笑ってみせる。
マスルールで慣れていたと思っていたのに、じんじんと手が痛かった。
アレクセイは言葉もなく、ただそのまま地面に倒れ込んでいる。もう剣を取る気力もないようで、ナマエもその場で膝からくずおれた。


「貴方は、フレンの作った正しい法の下、裁かれるんです」


味方になるには、あまりにも遅すぎた。
――少しずつ上昇していた舞台が、動きを止める。そこで初めて周囲を見渡せば、どうやらザウデの頂上にまで上り切ったようだった。


「――ナマエ、ごめん、解析、間に合わなかった……!!」


リタの悲痛な叫び声が響いた。アレクセイの剣は光を放っていて、彼はそれを見つめると、虚ろな両目を細めて薄く笑った。


「……くくく、もう誰にも止められん。見届けるしか、あるまいな。この世界の行く末を」
「っそんな、」


頭上に浮いていた聖核が、突如眩い光を放った。視界全てが白んでいくほどの強い光。次第に聖核アパティアの内部へと収束された光は、今度は一直線に空へと放出された。 凛々の明星りりのあかぼしと光を繋ぎ、そうして青い空に一面に亀甲模様が浮かび上がる。ザウデの真上に、黒い穴が、開いた。


「――ふふふ」


穴はどんどん広がっていき、禍々しいほどに黒いそれは、空を侵食しながら降ってきた。西へ東へと触手を伸ばし、空を抱き込むように腕を広げている。
それは、変わらない結末だった。


「ははは…! そうか……災厄は、ずっといたのだ、すぐそこに。お前が、正しかったというわけか…!」
「ど、どういうこと…!?」
「星喰みは、打ち砕かれてなどいなかった。ただ、封じられていた、遠ざけられていたにすぎなかったんだわ!」
「本当に、星喰みを世界から守るため、古代人が残したでけェ結界魔導器だったってわけか…!」


頭上の光景から誰も目を離すことなどできなかった。黒いそれは恐ろしいほどの速さで触手を増やし、空を変容させていく。
見上げ続ける頬に、ぱらぱらと硬く細かなものが落ちてきている。古くから動き続けていた聖核は、動力を失ったのか亀裂の入る音を出し始めた。


「――ナマエ!?」
「ひ、光ってるのじゃ」


指先から、緑の光が離れていく。エアルの粒が、身体を構成していたそれらが、壊れていっているようだった。
――未来を変えることもできず、その先に進むこともできず。ようやくと世界に戻ってきてまで成し得たいことは、こんなものだったのか。


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