※ ヒナホホとの会話が続かず没
聞けば、黒秤塔の本は帳簿に記名さえすれば自由に持ち出すことができるというというので、彼女は教書を両腕に積み上げて自室への道を戻っていた。視界を阻むほど、というわけではないけれど、それなりの厚さと大きさのある本と巻物を抱えれば歩き辛く、どうしても足元ばかりに視線が寄ってしまっていた。となれば必然前方不注意はさけられず、そうしてそれはほんの数分前の出来事である。
「…ありがとう、ございます」
「なに、気にすんな。にしたって黒秤塔にも机はあったろ、わざわざこの量を持ち出さなくたってよかったんじゃねえのか?」
今に思えばなぜ気づかなかったのだろうと首を傾げるほどに、彼は大きかった。シンドバッドや赤毛の彼も十分に大きいと思っていたが、それの比ではない。横幅、縦幅のどれをとってもまず規格が違う。例えるならばまさに巨人、そのものである。
彼は青くやわらかな髪を後ろに結わえ、民族的なバンダナを巻いた頭を少し下げることで距離を縮めた。あまりに大きすぎるために目線が合わない。そこに合わせたくないという意思は働いていないはずである。
ナマエは随分と軽くなった教書に視線を落とし、彼の太い腕に収まる巻物を見た。
「…部屋の方が、集中できるのではと」
「これ全部語学だろう、お嬢ちゃん一人でか?」
話しかけることのできる相手として、まずヤムライハやピスティはどこにいるのか分からず、アラジンたちは何やら中庭で見知らぬ二人とぎこちない雰囲気を漂わせていたため、仕様がなかったのだ。勉学にある限界を、疾うに見出している。それは、昨日の時点で理解はしていた。――不意に、瞼の裏をあの赤々とした夕日が掠める。砂粒の一つ一つが照り返し、青い海は赤く燃えていた。ぞわりと背筋を撫でた悪寒を、女々しいと思うことが正しいのか、それがある種望郷の想いなのか、よくわからなくなっていた。返す言葉もなく、またそんなことを思い出して口を噤んだナマエをどう思ったのか、彼は眉毛の上を人差し指で掻いてそれから穏やかな笑い顔を浮かべた。
「そういやあ、名前を聞いてなかったな。俺はヒナホホ、お嬢ちゃんは?」
「…ナマエと、申します」
一瞬僅かに開いた両目になんの意味があったのかは分からなかったが、ヒナホホと名乗った彼はほんの少しの思案を挟み、腕の中で器用に巻物の紐を解いてちらりと広げていた。
「よし、俺でよけりゃ教えてやるぞ」
優しげに細められた目元にある皺がいつかの父を思い起こさせて、気づけばはっきりと頷き頭を下げていた。
羽ペンをせかせかと動かしている合間に、彼は他愛もない話ばかりを話していた。ヒナホホの部族が皆総じて身体が大きいことや彼女ほどの年の子供が多くいること、身体が大きいゆえの苦労話など、取り留めのない話は次第に彼女の身の上話へと移っていった。
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