※ アルサスが無謀すぎて没


本当に時々、思うことがある。この国の人は偶に螺子が外れる時がある。


「……今日は、十三隊は警備ですよね」
「そうだね」
「……私ももちろん、警備ですよね」
「勿論。ナマエさんがいてくれれば百人力だ」
「有難うございます。ではなぜ、私に拒否権はないのでしょうか」


肌触りのいい絹の感触に馴染みはない。やけに風が脇腹を通り過ぎていく。それらに比べて、太ももに巻き付けた短剣の鋭利さがあまりに噛みあわない。上から羽織った官服を引きはがさないあたり、二人ともわかっているのだろうに。
――謝肉宴は、女性はみな露出の高い服を着飾っている。以前見ていた時はなんとなしに傍観していたが、それを着なくてはならない日が来るとは思いもよらなかった。しかも右腿に一本、腰に蓄えた絹に隠れるようにそこにもう一本と短剣を隠しこんで、だ。
警備前の集会でにこやかなアルサスの顔をみたときから嫌な予感はしていたが、隊長でさえも無表情のままに肯くなどと誰が想像していただろうか。そうこうしている間に自室に詰め込まれて居合わせたロゼに羽交い絞めにされれば逃げ場はない。駄々をこねるほどに警備網が崩れるのだ。
握りしめた行き場のない愛用の長剣を今にも振りかざさんとする眼差しで、アルサスを見上げた。


「まあまあ、理由はある」
「……はい」
「まず謝肉宴自体、国民にとっては経済を回すにしても憂さを晴らすにしても、楽しいものでなければならない。だからこそ毎度担当武官は酒は飲まずとも国民とはともに楽しんでいるし、物々しさを出さない様努めてはいる。今回は特にこういう状況だから、国民や敵に警戒を悟らせないためという通達もあるくらいだ。そして、女性であるナマエさんの顔は国民の認知度も上がっている。それなのに貴女が腰に長剣携えてそんな顔してたら何かあったのかと勘繰られる」
「……そんな顔してないです」
「今にも俺は刺されそうだ。……っていうのが表向きの話。ここからが俺からの提案」


提案、と復唱したナマエの言葉のやけに神妙に頷いた彼は、テーブル脇の椅子を引き寄せて腰かけた。


「本当はナマエさんを交えて話をするべきだったんだけど、ちょっとすれ違いがあってね。他の隊の奴が夜間に妙な連中を見かけたっていう話だ。ただ妙と言いながらも旅の客人だったらしいから、なんとも言い難いが、あくまでそいつの勘でしかない話をまさか上に通すわけにはいかないし、そこで矢面に立ったのが君だ」
「……つまり、私が囮になるという話ですね」
「ああ。ちょっと人気のなさそうなところをふらふらして、出くわしたらノックアウトして同行をお願いするっていうのをナマエさんに頼みたい」
「相手が四人以上だった場合、援護は頼めますか?」
「……複数人だった場合、退避することを迷わず選んでほしい。これは隊長にも通していない話だから、俺とナマエさんで対応できないのであれば退路確保を優先する。存在が認められただけでも大きい――」
「隊員の勝手な行動は処罰対象ですよ」


今まで無言を貫いていたロゼが初めて、刺々しい声音を重ねてきた。その言葉に苦い顔を浮かべるアルサスは、椅子から立ち上がりながらただでさえ垂れている眦を一層下げた顔を作る。


「今回は本当になんの情報もないんだ。実行に関しては、ナマエさんの意思を尊重する」


片方の笑窪のない彼の顔を初めて見たような気がした。魔導器があれば、相手が複数人であっても対応できる自信はあった。頼るべくものがない現状に不安がないわけではないが、早く蹴りをつけたい気持ちは同じだ。


「――やりましょう」
「……ナマエが言うなら止めないけど……。私も、仕事がなければ援護できたのに」
「ロゼさん、ありがとうございます。大丈夫ですよ、何とかなります」


意外とやるんですよ、と擦り傷だらけの右腕で力こぶを作ってみせた。



   *     *     *



「じゃあ、とりあえず最初は指示の通りに。宴も終わりの頃に回り始めてみようか」
「分かりました」
「後半は他の隊員の警備範囲と重なるよう調整したから、巡回経路を抜けても穴にはならない」


抜け目ないから、と笑った彼の顔は、周囲の雰囲気には溶け込めそうにはなかった。
どことなく緊張感が走る。事なきに終わるかどうかは分からないが、なにか足掛かりの一端は欲しい。陽気な音楽や人の笑い声、食べ物の匂いの合間を縫いながら、周囲を見渡す。どこを見ても、今この国にある不安を知る由もない笑い顔ばかりがあった。そのまま、ぐるりと視線だけを動かしていく。
――南海生物の肉を串刺しにして並べていた露店の脇で、鮮やかな赤が咲いていた。


「――……さん、ナマエさん!」
「――え? あ、すみません、」
「何か見つけた?」


喧騒の中に紛れるほどに小さい声は何かを期待していたが、いいえと首を振った。
――けじめを、つけなければいけないと気付いた。それは誰に対してなどと言うものではなく、ひとえに過去の自分の為である。
それ以上何も言及してこない彼は、彼女が聞いていないであろう会話を最初から話し始めた。


宴もそろそろと城下の炎の勢いも弱まってきた頃だ。地面に杯を持ったまま泥酔する男の山を踏み分けながら、どちらともなく、警備の経路を外れた。


「ナマエさん、お願いします」
「……すみません、その前に少しだけ、お時間をいただけませんか」


予想していなかった返しに目をぱちくりとさせる彼に、寄りたいところがあるとだけ告げて足早に来た道を少しだけ引き返した。
あの赤だ。豪勢な食事にも煌びやかなすべてよりも鮮烈な赤があったのだ。あの寂しい部屋で、ぽつんと咲いていた赤に似ている。香ばしい肉の匂いを掻き消すほどに、その花の匂いだけが立ち込めているような気がした。
露店のすぐ脇のテーブルで眠気と格闘している男と目が合う。


「あの、この花って」
「花ぁ? シンドリアに咲く花はみんなそんな色してるよ」
「一輪、頂いても?」
「売り物じゃねえから好きなだけもってけ!」


呂律のあまり回らない口調の男は、脱力した手を振ったまま酒を仰いだ。茎をひとまとめにされて吊るされていたその花々の中から、二輪を引き抜く。ぺこりと頭を下げてからアルサスの元に戻れば、彼の目線は胸に抱えたそれとナマエの顔とを行き来している。


「すみません、あとで、海辺にだけ寄ってもいいでしょうか……」
「大丈夫だけど……それは?」
「あ、いえ、あの、なんというか……けじめと、いうか」


けじめ、と問いかけるような声に、ただ微苦笑を返すしかなかった。



シンドバッドから監視の名目で動き回るように命じられていたジャーファルは、一人城下の周辺からまずうろついていた。ただ黙々と一人で歩いているからには不自然極まりないので、時折楽しげに騒ぐ彼らとも話や食事を交えながらに。謝肉宴が始まって少しの間もないうちに、空の食器を両腕一杯に持つロゼが現れた。


「ジャーファル様」
「ロゼ。調子はどうですか?」
「はい。少し――」


テーブルにある食器を片付けながら、なんともない顔をして彼女は言う。
曰く、ナマエが独断で例の噂について動いているということだった。十三隊の隊員と宴も終わる頃に行動に移すという話を端的に報せていくと、場所もルートも聞くことはかなわなかったとだけ最後に付け足して去って行った。
――シンドバッドがここに居れば、恐らくこのまま利用するのだろう。なんの手掛かりもない状況に四苦八苦しているのは彼とて同じだ。それは、ジャーファルにも同じくある。しかし、なんの情報もない相手にたったの二人というのはあまりに無謀だ。彼女の身に何かあったら――。
そこまで考えてから、項を掻いた。これ以上の不幸を背負わせることはない。ただそれだけだ。傷も全快してそれほど経ってはいない。
ただ、それだけだ。
聞いてしまったからには計画の破綻さを指摘しなければならないし、何かあったとしたら無関係だと突き放すこともできない。
今日の巡回経路に関しては頭に入っている。十三隊のことも漏れてはいない。後半無駄に、同じ場所に人員を割いているとは思ってはいたが、まさかそういうことだったとは思いもよらなかった。
人知れず溜息をこぼし、そっと二人の後を追いかけることにした。


広間の櫓の炎が弱まってきている。辺りに仄暗さが落ち始めてきた頃、視界の二人は不意に進路を変更した。どうやらここから動き始めるらしく、何の準備をするのかナマエだけが僅かに引き返してきた。彼女からは見えないように人混みに紛れながら見ていれば、腕に赤い花を抱えて戻ってきた。
そこで初めて、彼女が着ている服がそこかしこの女性が着ているものと同じ服だと知る。上から官服を羽織っていたせいで気づかなかった。
目蓋がピクリと、引き攣った。丸腰もいいところだ。何も考えていないような行動に、思わず頭を抱えたくなった。

そうこう唸りながら着いたのは何故か浜辺で、男だけが欄干に寄りかかりながら、ナマエが砂浜を小走りに、波打ち際で立ち止まる。それから躊躇わずに足先を海に沈めていく姿に、言いようのない靄が心臓を覆った。
膝程だろうか、そのあたりまで沈めたところで漸く立ち止まり、腰を屈める。ゆっくりと上体を戻すと、緩やかな海の流れに揺蕩う赤い花が、そこにあった。後ろ姿からでは表情が分からない。ただ、随分と短くなった髪は揺れていて、時折ピアスの縁を零れていくかのように反射していく光が、まるで。
――彼女は海に落ちた。落ちて、気づいたら見知らぬ世界だったという。海は嫌いだと泣いていた声は褪せていない。まるで、あの光の粒は、涙のようだ。


「――っジャーファル様、何故」


男の声に言葉を返しただろうか。降り立った砂浜はあの日のように柔らかで、あの日よりかは月の光より背後の炎の明かりの方が強い気がした。


「何をしているんです」
「っ! ジャ、ジャーファルさん……!? どうしてここに」


ばしゃりと水が跳ねる。振り返った彼女はやはりあの服を着ていて、見慣れない肌の続きが薄ぼんやりと火の赤に灯されていた。組み合わせていた指で、彼女が祈っていたことを知る。
罰の悪そうな顔を浮かべながら、彼女は官服の襟元を引き寄せた。曲げた肘に袖が落ちて、そこから伸びる手がやけに傷だらけで、青痣が微かに残っているのが見える。無意識に眇めてしまった双眸に、彼女は少し青ざめた。


「――言いたいことは、山ほどあります。が、今は置いておきましょう」
「は、はい……?」
「今回の件は、なかったことにして差し上げます。ですから、二人とも持ち場に戻りなさい」


走り寄ってきた男が、何で知っているのかと驚きを隠せない声で彼女とジャーファルの顔を交互に見やっていたが、そのうちに諦めたように目を閉じた。仮にも八人将に止められれば、強行するような武官はいないだろう。


「二人で行動に移すまでに、勿論理由と策があっての事なんでしょうね?」
「……」


あるわけがないだろうとは知りつつも、やはり無言になった彼らに再び溜息を零すほかがなかった。


「……皆様にお伝えするほどに確証のある話がなく、ならば動いてみれば何かがうまくいくかもしれないと」


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