後日譚 1


ナマエがあちらの世界に旅立ち、再び空に落とされるまでの時間は、世界間で時差が生じていたようだった。一日足らずだと思っていた時間は、こちらでは実に七日もの時が流れていたという。
ヤムライハやロゼ曰く、体内に宿るルフの量、つまり魔力量はそこそこにあるようで、これで本当に、ナマエはこの世界の一人になった。この先どうするかは自分自身で決めていいと、朗らかに微笑んだシンドバッドに返す言葉はたった一つだった。

十三隊に席を空けたままにしておいてくれていたドラコーン将軍に挨拶に行くと、一層励めと珍しく笑っていた――といっても目元を緩めたくらいだが。帰ってからすぐにでも復帰をとも思ったが、あの魔法攻撃が思ったよりも身体に負荷を残していて、武器も壊れた状態でもあったのでしばらくはゆっくりするといいという心配りのお陰で、身体の傷もすっかり良くなっていた。
変わらず左腕は違和感を残しているが、直になくなるだろう。
中庭の隅のベンチに腰かけながら、ぐぐと伸びをして、それから背を凭れて空を見上げた。昏い空には星々が煌めいていて、一等明るく光る星を見つけて少しだけ唇を引いた。


(あの星も、 凛々の明星りりのあかぼしだったりするのかな…)


悲しくないわけがない。寂しくないわけがない。それでも、これはただ名残を惜しんで感傷に浸っているだけだ。この世界で生きていくことが怖くなったわけではない。


「貴女は本当に、よくここにいますね」
「ジャーファルさん、お疲れ様です」


椅子から立ち上がろうとした身体に手を振って制止をかけると、彼は隣に座ってもいいかと首を傾げた。断る理由ももちろんないので、頷けば少しの距離を空けて彼は腰かけた。――ジャーファルに向けるものを自覚したからこそ、そんな些細な挙動も気になってしまう。官服の裾を握りしめながら、定まらない目線が彼の膝のあたりを映す。


「そんな構えなくても」
「っい、いえ、そんなつもりでは…」
「――昼に鍛冶屋巡りをしていたそうですね。いい剣は見つかりましたか?」


くすくすと笑うジャーファルの声が落ちて、余計に体が強張っていく気がする。今日は月も薄く辺りが暗くて本当に良かった。


「はい。折角なので短剣も新調して、明後日から隊務に戻れるように…」
「そうですか。もう身体の方も治って?」


問題ありませんと、答えようとして彼の視線が左腕に落ちたのに気づく。
――ルフが、左腕を撫でるように掠めていく。ジャーファルから零れるそれらが、傷口を慈しむように撫でていくものだから、思わずジャーファルの顔を見上げて笑ってしまった。


「――ジャーファルさんのルフも、やっぱり優しいんですね」


人によってそれらは少し変わっていて、見ていてなんだかおもしろい。ジャーファルにも同じような景色が見えているのだろうか。左腕に集まるルフに指を添わせれば、彼らはひらりと消えてしまった。


「…ナマエは、ルフが見えるんですか?」
「? 見える人もいるんですよね?」
「ルフが見えるのは、ヤムライハのような魔法使いたちだけですよ」


ルフの話をされた記憶が遠すぎて、あまり覚えてはいないが、よくよく考えればルフがなかったことに気づいたのがヤムライハとロゼとアラジンであったから、いわれてみればそうだった。この景色を、ジャーファルは見えないのかと思うと、少しだけ寂しいような感覚もする。
それから、一拍間を置いて、閃いた。


「――ということは、私も魔法というものを勉強すれば、治癒魔法が使えるようになるんですね」


あちらでの魔術理論はなんとなく覚えている。ルフと魔法というものが同様であるかは分からないが、治癒魔法が施せるようになれば誰かの助けになれるかもしれない。
そうとなれば、今すぐにでもヤムライハに教えを乞いに行かないと、といきおい立ち上がったナマエの手を、ジャーファルは掴んだ。


「ナマエ、聞いて」


彼は少しばかり苦そうな顔をして、言った。


「魔法は、使えば使うだけ自分の中の魔力を消費します。大きな魔法はそれだけ魔力の消費も激しくなる。貴女が無理をすればするだけ魔力の消費は速まって、命に関わることだってあるんだ」


エアルを用いた魔術は外的要因に左右され、自身の使用上限はあるが肉体には関係がなく、精々疲れやすくなるくらいだ。魔力というものを未だに測り兼ねているが、詰まる所生命力のようなものなのだろう。命を削って魔法を行使する。それは、エステルのようだった。――エステルのそんな無茶を、皆で止めたから分かる。ジャーファルは、あの時のナマエ達と同じだ。
ゆっくりと、腰を下ろす。


「……自分の中の魔力というものの上限を超えないように、使わないといけないということですか?」
「そうです。魔法を使うから命に関わるわけではないけど、持ち得る魔力量を越えて使う魔法は危ない。……貴女は、命を顧みらずに使ってしまいそうだ」


ジャーファルの口調から伝わる真剣さに、口を噤んだ。
ヤムライハは魔力量が多い方だというが、それでも何度も魔法を施してもらっている。それは彼女が自分自身の限界を知っているからこそできたことなのだろう。もしかしたら、今まで無理を強いてきたこともあったのかもしれない。ここで魔法を使わない選択を取ることは、不義なのだろうと思う。彼女の優しさに見合ったものを返すことが少しでもできるなら、そうするべきだ。


「…有難うございます、ジャーファルさん。ヤムライハに魔法を教わりながら、自分の無茶できない限度を知れば、この力は役に立つんですよね?」


掴まれた手の武骨さは、彼が今まで政務だけをしてきたわけではないことを物語っている。ジャーファルの掴んだ手を返して、右手を重ねた。


「シンさんやジャーファルさんや皆さんの傷が少しでも和らぐ術を持っているのなら、私はそうしたいです。それはきっと、授かった私の責務なのだと思います」
「――ナマエ」
「……っ! ご、ごめんなさい、つい、にぎって、しまって!」


ばっと両手を離せば、彼は堪えきれずといった様子で微かに声を上げて笑っていた。


「そう、ですね。そのほうが貴女らしい」


ひとしきり笑った後、彼は黒秤塔へ行こうと歩き始めた。その背中を見上げながら、熱くなった顔を両手で挟んでいた。



   *     *     *



黒秤塔にあるヤムライハの一室で、彼女はいつも通りペンのインクまみれの頬のまま笑って迎え入れてくれた。ルフが見えることを話せばそれはもう嬉々として詰め寄られたが、何やらアラジンを通して反省があるようで、今回ばかりはと適正というものをみることになった。


「ルフっていうのはそれぞれ個性があって、火や水、雷や音や生命、様々なものに個々のルフが宿っているの。火のルフは火を起こすことしかできないし、水のルフは水にしかなれないわ。魔導士はそれらと語らうことで魔法を起こしているけれど、私にとっての水魔法のように、各々繋がりやすいルフがあるの」


得意なものから魔法を学んだ方が効率がいいようで、彼女は話しながら隅に埋もれた木箱の山の中から人の姿のようなオブジェを取り出した。


「このオブジェに触れながら、魔力を流し込んでみて」
「魔力を、流し込む……」


抽象的な言葉に頭上に疑問符が浮かび上がる。ヤムライハにとって当たり前の魔法を使うという感覚だったようで、それ以上の言語化は難しいようだ。魔力は自分自身の中にあるルフの群れのようなものだというから、自分の中のルフが移動するような感覚だろうか。目を瞑りながら、冷えたオブジェに触れてみる。
身体の中にあるそれらは、確かに、以前は感じ得なかったものだ。なにがこう、とはうまく説明はできないけれど。血液の巡りのように、循環していくもの。そんな感覚だ。
それらがオブジェを通っていった瞬間。


「ッ!!!?」


衝撃が走った。アレクセイの魔法よりは微々たるものだが、予期せぬ痺れる痛みに思わず尻餅をつく。


「大丈夫ですか」


ジャーファルの言葉にはっとして、彼の手を借りながら起き上がればヤムライハはにこにことしながら壁にかけられた八芒星を指差した。


「ナマエは雷のルフと相性がいいみたいね」
「雷…」


以前使っていた魔術の中でもどちらかといえば火属性のほうが多かったが、それでも、雷魔法が得意になるは。最後に父から受けた魔法は、身体を貫く熱を伴って鮮明に思い出すことができる。けれどいつかは褪せてしまうものを、繋ぎ止めていてくれたような気もした。
黙り込んだナマエに、ヤムライハが何を思ったのか、ねえと再び八芒星を指差した。


「この八芒星はね、対極にあるものが次いで得意になるの。ナマエ、雷の対極はね、命なのよ」
「命?」
「そう、生きとし生けるものに宿るルフは、命に作用する魔法をかけることができる……例えば、回復魔法とかね」


ヤムライハはそういって、室内に漂うルフを見上げた。


「秀でてそれが得意なだけで、全ての型の魔法を使うことができるのが私たち魔導士よ。でもねナマエ、私たちは魔法を使う代わりに肉体が人より脆弱で、普通は前線には向かないわ…」


彼女の防御魔法を見たことがある。魔導士は大抵の物理攻撃や魔法攻撃をそれらで防ぐことで肉体の弱さを補っているという。
前衛は僕たちに任せてよといつも言っていたなと、思い出して少し笑った。


「――私、後衛苦手なんだ」


二人の呆れた声に、また笑うしかなかった。

(後日譚 1 了)


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