後日譚 2


魔導士だったことが判明してから、それでも武官として剣でありたいと願った彼女に、ヤムライハは折を見て魔法を教えているようだった。魔法を使いこなせるようになるまでは周囲にはまだ伝えないでおくようで、十三隊に戻りながらも今までのように過ごしているようだった。
彼女が帰ってきてから半月ほど経ったが、今日も武官の訓練とヤムライハの魔法訓練に明け暮れて、暇を持て余したジュリィはジャーファルの執務室で待っていた。最初こそ文官たちにはジャーファル様に子供がと困惑していたが、最近は慣れたようで彼女が執務室や昼の大広間に現れても動揺しなくなっていた。いつもそれとなく皆には否定しているのだが、ジャーファル自身もそろそろ諦めている。相手は、と詮索されないだけマシなのかも知れない――いや、どうだろう。もういっそシンドバッドの子としてしまったほうが楽なのではないかとさえ思う。幼い彼女がこれからもここに居を置き続けるなら、考えていかなければいけないことだ。
膝の上で巻子を広げながら冒険譚を読み進めるジュリィは、いつも静かにナマエを待っている。時折言葉を訪ねに来るが、それ以外は仕事を察してか大人しく、少し申し訳ない気もする。かといって仕事が捌けるわけでもないので、悩みの種でもあるのだが。
――あの日、忽然といなくなってしまったナマエに泣き喚くでもなく、ジュリィは首に下がるペンダントを握りしめて笑った。長い旅になるそうだと告げれば、彼女はいつか帰ってくるんだよねと問うた。勿論と笑ったジャーファルを、ジュリィはただ見つめて、少しだけ浮かんだ涙を拭ってロゼの仕事を手伝いに走っていった。それからはジャーファルとロゼの間を行き来していたが、日中は健気に笑って過ごしていた。必死に頑張ってるのよと、ロゼが言っていたから、もしかしなくても夜は鼻を啜っていたのかもしれない。


コン、コン。


控えめなノックの音に、彼女だろうと察しがつく。入室を許可する声を上げれば、ドアから顔を出したのはやはり馴染んだ顔だった。


「ナマエちゃん!」
「お待たせしました、いつもすみません」


そう言って入ってきた彼女は、縋り寄ったジュリィを無理なく両手で抱えて笑った。
――支給のシャツに、ゆったりとしたズボン。大腿部を麻紐で括り、そこに短剣を備え、膝下のブーツを履いている彼女は、以前のような服はもう着ないのだと言っていた。上から丈の長い官服を羽織るナマエの姿は、体術の扱いやすさを考えた結果なのだろう。腰のベルトから提がる長剣の鞘は黒く、前のものと近い雰囲気だった。
いつかに渡した珊瑚のピアスを揺らして、ナマエは小首を傾げる。


「どうかされましたか?」


どこまでいっても剣の人なのだろうなと思いながら見ていた目を瞬きさせて、いいえと首を振った。


「魔法のほうはどうですか?」
「今はひたすら勉強あるのみですね…字も読めなかったですから。防御魔法は出来るようになりましたがまだまだです」


少しの会話を挟んで、お仕事頑張ってくださいと残して帰ったナマエの背に、溜息を吐く。
あの七日間で、考えたことはジュリィのことだけではない。
――肩まで伸びた髪が揺れる。日差しを受けて柔らかな海に似た色が浮かぶ。銀の縁取るピアスがそこにあることに感じるこれは、もう疾うに自覚していたものだ。
どうしたものかと、椅子に凭れて天井を仰いだ。



   *     *     *



「防御魔法も安定してきたし、大分魔法にも慣れてきたんじゃない?」


黒秤塔の一室が勉強部屋となって早半月が経ち、ナマエが出入りするようになってから机の上が乱れなくなってきていた。それ以外の所を不必要に触ろうとしない所がナマエらしい。彼女はすっかり言語にも慣れたようで、文章を綴ることはまだ苦手そうだが、読む分には問題ないようだ。羊皮紙に広がった魔術理論の術式は、今は四、八型だけでなく一型の炎、七型の力魔法にまで増えている。これから二型の水魔法にも手をつけようとしているが、今のところ問題はなさそうだった。
ナマエは紙面から顔を上げて、へたりと笑った。


「ヤムが一生懸命教えてくれるから、楽しくて」
「魔法の話をするとみんなして逃げるから本当ナマエがいてくれて嬉しい!」


今の今まで交際経験がないのも全て、話題と言ったら魔法のことしかないこの偏った思考回路のお陰で、女友達と呼ぶのもこれまでピスティだけだったのだ。
思わずがしりと両手を掴めば、ナマエは良かったとまた笑った。


「この後、裏庭で単純な水魔法と、他の魔法をおさらいしましょ」


未だ十三隊の面々には魔法が使えることを言っていないようで、黒秤塔ではできない魔法訓練をするときは決まって人気の少ない裏庭で行っていた。
裏庭と言っても中庭程広くはなく、王宮も近いのでヤムライハが簡易な結界を張っておくのが常だ。こうすればより、気付かれることもない。
ヤムライハが魔法を重ねる度に伺うような視線を寄越すのは恐らくジャーファルに何か魔法に関して言われたことがあったのだろうとは想像がついた。あの人は、心配性なのだ。とくにナマエのことになると目に見えて狼狽えるから見ていて面白い。――なんて、少しでも零せば反撃が恐ろしいので黙っているが。そろそろシャルルカンやピスティあたりが騒いでも可笑しくはないのだろうなとは思う。
逸脱した思考回路を戻せば、ナマエは剣を胸の前に構えて集中していた。
彼女の魔法は独特だ。以前の世界で使っていた魔術の方が慣れているようで、時折聞き慣れない言葉を手繰っている。ほとんど無意識に近いのだろう。もともと呪文は補助的要素でしかないので大きな問題にはなりえない。


「サンダーブレード」


単純な出力は雷魔法、上空から地上へと落ちる重力魔法に加えて対象を追尾する方向性も命令している。
――それと特殊なところがもう一つあった。魔法を発動する直前、一瞬だけ足元に属性に合わせて光る八芒星が現れるのだ。思えば、彼女が敵によって操られていた時も、陣が足元に浮いていたかもしれない。そういう魔法だったのだろう。
高くジャンプして空中でもう一度飛び跳ねる。そのまま滞空し続けて、火球を背後に六つ出現させる。ハルハール、と上げた呪文はこちらのものだ。ヤムライハがふよと浮かべた水の球に目掛けて火球が動く。熱に弾けたそれらを確認して、彼女はふわりと地面に降り立った。


「最後」


ナマエはヤムライハの足元に剣を突き立て、剣を中心に同心円を描いていく。身体の内部を通り抜けていくこの感覚は、命の魔法だ。範囲内の対象者に対する回復魔法。範囲が広い分そこそこの魔力の消費量だが、救助者が多い前線では何かと便利な魔法だろう。


「その魔法は魔力を消費しやすいから、回数を多く使うなら範囲を小さくするか的を絞るほうがいいわね」
「魔力量の限界を知るのって、難しい」
「そうね、戦いながら魔力を使えばより底をつくのが早まるでしょうし…そろそろ、言ってもいいんじゃない?」


ナマエが頷くと、遠くから高い声がした。結界を解いて辺りを見渡せば、後ろの回廊の隙間からひょこっとピスティが顔を出した。


「二人ともこんなところにいた! ねえねえ、この後暇?」


にいっと笑ったピスティに、二人して顔を見合わせた。

(後日譚 2 続)


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