後日譚 2


笑ったピスティにナマエと共に連れて来られたのはいつもの酒場で、そこには既にシャルルカンとマスルールの姿があった。マスルールがいるとは珍しいとピスティを見遣れば、彼女はナマエを指差している。


「マスルール君が寂しがってたからさ」
「マスルールさん! すみません、最近お伺いできなくて」


指した指の先にいたナマエが、苦い顔をしながらも顔を綻ばせている。聞くに、彼女があちらの世界に戻る前に組手の相手をしてもらっていたそうだ。それが最近は魔法の方に注力しているようで、めっきり会えていなかったのだとか。
これは、折角の魔法の時間をマスルールに盗られてしまう――。


「武官としての体術も大切だけれど、今は魔力のコントロールも含めて魔法を先に慣らすべきだと思うわ、ナマエ」


二人の正面に座るな否や、先手を打たなければと思い指を立ててそう説けば、案の定シャルルカンが身を乗り出して啖呵を切ってきた。


「魔法なんてなくたってコイツには剣術体術あるんだから、なんも問題ねえだろ」
「シャル、それは――」
「折角ルフが見えるんだから、魔法があれば幅が広がるでしょう」


ぐぬぬと二人で始めたいがみ合いはいつものことと、我関せずとピスティが三人分の果実酒を手際よく回している。
隣でナマエが魔法を使うに至る経緯を説明してはいるが、シャルルカンには全く以てその過程は無意味なのだ。鉄の板切れを振り回すことだけが美意識のこの男には、魔法の繊細さがちらとも分からずにやっかみばかりだ。ヤムライハとシャルルカンの口が止まった隙に、ピスティとナマエがその手に木樽のジョッキを持たせてきた。


「はいはい、もう仲良くやるよお、せーの、カンパーイ!」


ピスティの声にジョッキをそれぞれ傾けた。マスルールも、今回ばかりは意外と乗り気である。シャルルカンよりは大人の対応をするかと、ぐいっと一口を煽ってテーブルに置いた。


「てっきり、マスルールさんはこういう場は苦手なんだと思ってました」
「コイツいつもは付き合い悪いぜー? なあ?」
「先輩が奢ってくれるっていうんで」
「なんでだよ!」


口許に手を当てて笑うナマエはお酒が入っているからか、いつもより思い切りよく笑っている。それでも柔らかい彼女の笑い顔は、ここに帰ってきて初めて見たかもしれない。


「そうだ、今度さあ謝肉祭あったら絶対あれ着よーよ、ナマエ」
「え……あ、次の謝肉祭も仕事だから! 残念だけど難しいかなあ…?」
「ナマエさんとこ、次警備休みっスよね」
「なんでマスルールさんが知ってるんですか…!!」
「私に嘘を吐いた代償は大きいからね! 絶対! そんでジャーファルさんとこ見せに行こ!」


一拍の間を空けて、珍しくナマエが取り乱した風にジョッキをテーブルに戻した。


「む、無理! 私絶対着ないからね、本当に!」
「またまたーいいじゃんこれを機にさあ、どーせ音沙汰なーく過ごしてるんでしょ?」
「平穏無事に過ごしてるからいいの」


吊り天井にぶら下がるランプの所為だけではない顔色に、思わずピスティと目を合わせれば笑ってしまった。少しばかり拗ねたナマエがぐびぐびと酒を煽っていくのを、シャルルカンが笑いながら最後の追い打ちをかける。


「そんな飲んでっとこの間みたいにまた酔っぱらうぜ」


ぶわっと一瞬にして耳まで真っ赤になったナマエに、ピスティが言葉もなくただ愉しげにヤリイカの燻製を頬張る。
この間のことはピスティに聞いただけで、ヤムライハもマスルールもその場にはいなかった。あちらに戻った夜の前日の話だ。
突然誰にも何も言わず、飛び出していったナマエのことを報せたロゼの一言に追いかけていったのだ。今にも目に残っている。眩しいほどの月が空に浮いていて、緑に光る海に落ちていく彼女の姿。それから、この国の隙間に面影を残していなくなって。
おびただしいほどのルフの騒めきにつられて王宮を見上げれば、ルフの白い輝きに埋もれる影を見たのだ。


「……私、ここに帰って来れて良かった」


ナマエは、前のように俯いて笑うことはしなくなった。ただ、少し涙脆くはなったのかもしれない。
お酒の所為かそれ以外の所為なのか、紅くなった頬を緩ませた表情に、ヤムライハは腕を伸ばしていた。
彼女に何があったのかを訪ねることは誰もしない。彼女の世界は彼女だけのもので、それらをどう整理していくのかはナマエが決めることだ。そのときに吐き出す言葉が必要なら聞くだけだ。ここにいるピスティやシャルルカンやマスルールにだって、知らないことは沢山あるけれど、それらを無理に知ろうとする必要なんてどこにもない。ただ、良かったと思う彼女の心の一端に触れたなら、それは素直に嬉しいと思う気持ちを隠さなくてもいいのだと思う。
ぎゅうと胸に埋めたナマエが苦しいと手を挙げたので離せば、ピスティが乳の暴力と悪態を吐いた。


「――ね、ナマエ」


ピスティが一口大にカットされたパパゴレッヤを串で刺して、ナマエの口に運ぶ。目の前に出されて反射的に頬張った彼女は、目を瞬かせていた。


「私も、またこうして一緒に笑えてるのが嬉しいなあ」


ね、二人とも。
ピスティの問いかけにシャルルカンは腕を組んで「そりゃあ剣術の稽古できなくなったのはつまんなかったけどなァ」と向こうを見上げて言った。照れているのか隠しきれない顔が締まりがなくて、それでもナマエが破顔しているものだから何も言えなかった。次いでマスルールを見上げる。彼は二三の瞬きをした後に、まあ、とだけ呟いた。


「ナマエさんって、変な人ですよね」
「――変、ですか?」
「俺にだけ律儀に敬語使うのやめてください」


ヤムライハも薄々感づいてはいたが、どうやら彼も気にしていたようだ。シャルルカンやピスティ、言わずもがなヤムライハも、吹き出しそうになったのを辛うじて堪える。ナマエだけが呆けた顔をして、それからようやく言葉を飲み込んだのか、今更腹を抱えて声を忍んで笑った。マスルールは気にも留めていないようで、スプーンにいっぱいの米を頬張っていた。


「――マスルール、」
「はい」
「私もいらないから、これからも組手の相手をしてもらってもいい?」
「うす」


お酒に飲まれたシャルルカンとピスティの笑い声が収まるまでに、マスルールの目の前にあった大皿か空っぽになっていった。
ひとしきり笑って疲れたのか、喉を潤す水のごとく酒を飲みほしてから、ピスティは立ち上がった。


「――ってそうじゃないんだよ! ナマエ」
「笑い収まったのかと思えば、突然…」
「話題を変えるの上手だねまったく!?」


ナマエのジョッキが空であったのを目敏く見つけ、大樽からなみなみと注ぐと、椅子に座り直して咳払いを一つした。


「さあ、ナマエ飲んで」
「――そう言われると、」
「その一杯を飲み終わったら私は言いたいことがあるの!」


穏やかではない表情で押し切られると、ナマエはちびちびと口を付け始めた。
――話題を変えるのが、という一言で何となく察した。そうだ、この間の三人で飲んでいたという話はそれだけで終わらなかったのだ。


「それで、ナマエ。私は前回の話を聞いていないんだよ」
「――ぜん、かい」


とある海域で採れる海老は、焼くと身が赤くなる。ふいに、それを思い出した。


「いや、吃驚したよな。だってよお」


なあ、とシャルルカンがいやな笑い方をしたのが腹立たしいけれど、気持ちは分かる。


「まさかジャーファルさんが来るなんて、思いもよらなかったよね! しかも今の今まで音沙汰なしってどういうことなのナマエ!」
「やっぱり……!」


テーブルに置かれたジョッキは空だった。ナマエは顔を手で覆いながら、上体をしおしおと折りたたむ。


「そんなの私が聞きたいですよぉ…!」


今まで、ナマエに対して抱いてきた気持ちはやはりこう、武人としての勇ましさが主立っていた。剣を振るう姿も、ジュリィを抱える姿も。世界の違いも、どんな境遇も。泣き顔も憂い顔も知ってはいたけれど、いつもどこか遠かったような、それでいて深沈で、きちんと腹の据わっているような気がしていた。


「今更、聞けるわけない……」


実のところそんなことなくて、年相応に、ヤムライハとどこも変わらなかった。

(後日譚 2 続)


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