後日譚 3
その日の夜、アクティアに無事船を泊め、明日に備えて夜警を交代制で行うことになった。といってももう荷を積んでもいない船はとくに襲われる心配もないので、見張り番が数人いればいいだけだ。ナマエは夜番ではないので、物置の隙間で水魔法と火魔法を組み合わせた簡易的な湯浴みを済ませて、寝る準備をすることにした。隊長、副隊長以下は広い空き部屋に詰めて寝る。少しでも人が詰め込めるように、基本的には二段ベッドだ。空間に仕切りはなく、布を吊って隔たりを作ることができるようなそんな作りになっていた。
――まあ、平隊員だ。ここは階級の昇進を狙っていくしかない。そもそも海兵に今まで女性がいたことがない上にこの扱いようでは、雑魚寝になるだろうなとは予想がついていた。ジャーファルには言えないなあと、心の中で苦笑をこぼした。
大部屋に移れば誰かの配慮か偶然が、二階の角が空いていた。梯子をのぼってみれば、人が一人横になるだけのスペースではあったが他の海兵に比べれば小柄なナマエには問題ない。
防御魔法でもかけて寝たいところではあるが、魔力の無駄な消費は避けたい。天井に刺さったフックに布を引っかけて、長剣短剣を横に揃えて目を瞑った。
――草木も眠る夜半だった。誰かの話し声が聞こえる。ぎしりと梯子が軋む音。目を開けて、短剣を抜いた。間仕切りの布が揺れて、隙間から太い指がかけられる。
「…貴方が誰かは知りませんが、それ以上は容赦はしません。三隊同士、傷つけたくありませんから」
かすかな物音。聞こえる声は、舌打ち混じりに戻っていく。再び静寂が訪れたことを確認してから、寝転んだ。
ーー海兵の朝は早い。銅鑼のけたたましい音に目を覚まし、身支度を整えて甲板に集合する。前方には、遠近感を全て置いてきた大きな男が立っていた。八人将の一人、イムチャックのヒナホホだ。イムチャックの人は皆大きな体を持っているというので、彼らからしてみればこちらが小さいのだろう。まるで海の色で染めたような真っ青な髪が朝日に照らされる。今日の配置、積み荷などの確認を終えた後、アクティアや他国からの輸入品を船倉に運搬する。それは港で働く人たちの作業になるので、武官は補助に回るのみだ。とくにやれることはそんなに多くはない。
積み荷を終えて出航したのが昼も近い頃だったので、シンドリアにつくのは夕方の終業時間も終えた頃だろう。大凡それで陸上に下りて、翌日は総合訓練や港の警備になったりもするのだが、隊にもよるので不定期だ。三隊は大所帯であるし、海上にいることのほうが常なのだろう。
――寝れるのだろうかなどと、一瞬でも思ってしまったのは弱音だろうか。
中日は甲板の右翼守備で、景色はずっと海だ。今日は少し海も荒れているようで、船体は不安定だった。
「お、船酔いはなさそうだな」
「ヒナホホ様」
身体が大きすぎて、近いのか遠いのかいまいち距離感覚が掴みづらい。拳を掌で包んで頭を下げれば、大きな手が肩に乗った。
「ジャーファルの嫁さんなんだって?」
「え? っいえそんな、」
つい半年前に付き合って、それから言葉も真面に交わしていない。夫婦などとても遠い関係性だ。
そんなもの知るはずもなく、ヒナホホは三度ほどばしりと背中を叩いて笑った。加減はしているのだろうが、痛かった。
「いや、彼奴がそんなふうになるとは思いもしてなかったからな。昔馴染みとしてだ、永く、仲良くしてやってくれな」
「ーーこちらこそ」
彼の隣に並ぶにはこのままではいけないのだろう。八人将は、シンドリアという国に住まう全ての人にとっての拠り所なのだ。
彼とはそれから暫く、世間話やイムチャックの話をしてから去っていった。
遠目から見ても巨大な彼は大きな抑止力になるようで、海賊どころか南海生物すらその日の航路には現れなかった。
シンドリアの港に着港するなり、ヒナホホはそのまま他船に乗り換えるべく去って行った。船の中が一気に静かになった様な気がした。
船着き場から見上げるシンドリアは夜空を背に煌々と輝いていて、積み重なる白い家のその奥に聳える王宮の厳かなことかと、開いた口も閉じなかった。この視点から眺めたことはなく、他国から渡航してきた彼らも、この景色を見て胸を膨らましたのだろうなと思うと改めてシンドバッドの手腕を垣間見た。一国を治める王というのは、ヨーデルとどこも変わりはないことに今更ながら気付く。
夕食は定刻に戻ればどこで摂ってもいいようで、船内には交代制の夜警以外誰も残っていない。ナマエも下船して手頃な店を探すことにした。国営商館に連れられた酒場と中央市くらいしかまだ行ったことはなかったが、港場が近いとやはり小料理屋が多いようだ。鐘が鳴るまでには戻らなければなので、どうしたものかと悩んでいれば、後ろから声をかけられた。
「ナマエ、だよな?」
「はい?」
振り返れば体格の良い武官が立っていた。三隊であったかは定かではないが、この場で声をかけられる相手は彼らしかいないだろう。
「俺はセレスタ。夕飯まだなら一緒にどうだ?」
どうだ、なんて聞きながらも、腕を肩に回されて逃げ場はない。三隊といずれは交流をしていかなければいけないのだ、これもそういうものなのだろう。
どこで飯を食うつもりだったかと聞かれたので港場の料理屋は分からないと言えば怪訝な顔をされたが、俺の好きな場所と連れられたのは海鮮料理屋だった。てっきり豪快な肉料理かと思っていたので、驚いていれば想定内だったようでセレスタは笑っていた。
彼の日に焼けた褐色の肌に乗る吊り目は深い緑をしていて、ランプの灯りに揺れる瞳は木箱に入った宝石に似ていた。
「あんた、船酔いか? 顔色が悪いぜ。そんな奴に肉食わしても金の無駄だ」
「――ありがとうございます。でも、寝不足で」
一瞬の思案の後見当がついたのか、セレスタはフォークを魚の膨らんだ腹に乱雑に突き立てた。
「……悪い連中じゃねえ、とは言ってもしょうがねえが、副隊長や一部の連中は、あの総合訓練でのことを引きずってる。訓練に勝ちはしたが、やられたやつも多いからな。隊長はうちに利益があるかどうかの判断しかしねえから、そういうところは無頓着だけどよ」
湯気の立つ香草焼きの魚の匂いと裏腹に、腹の奥に言いようのない言葉たちが落ちていく。彼は魚の腹をかき集めながら、口に放った。
「海兵はでかい連中しか相手にしねえから、ナマエみたいなちっこい戦い方する奴に後れを取るんだ。俺は、むしろあれは教訓にすべきだとは思うが、如何せん気性の荒い奴ばかりだからな。あんた自身で、なんとかしていくしかないだろ」
「……昨日、南海生物と戦った時にそう思いました。私も剣ばかりの日々だったので、何となくは分かります。三隊の方の気持ち」
「くくく、聞いた通りだなあんたも」
折角の魚が冷めないうちにと頬張れば、彼は腹を抱えて笑っていた。禄でもない噂話だろうに、少し気になってしまうのは人の性だろう。それでも聞いたりしないのはただの意地だ。ほかほかと見るからに熱い身に息を吹きかけながら食べ進めていく。セレスタはもう疾うに食べ終わっていて、魚の頭を齧っていた。
「ーーまあ、ありがとうよ」
「? 何にですか?」
早く食べないとと頬袋を膨らませて彼の方を見上げれば、それがなかなかツボに入ったようでまたおかしそうに大声で笑った。よく笑う人のようだ。気恥ずかしさに反対側を向いて飲み込めば、悪いと思ってもいない謝罪と共に背中を叩かれる。
「いや、なんだ。アルサスは俺の昔からのオトモダチってやつでよ」
「! そう、だったんですか」
「路地裏で死にそうなの、見つけてやったんだろう? お陰でまだ生きて話せる」
席を立った彼に急いで皿の上の魚を平らげて、追いかけた。代金も払ってもらったようで、店主に声をかけてから店の外に出れば、もう既に遠くを歩くセレスタの背中を追う。
「セレスタさん、ありがとうございます!」
「安いもんだ。ああ、そうだ。今日からあんた俺の上でいいだろ、寝るの」
船に戻ってから二段ベッドの上に甘んじて上がろうとしたところを、いやその上じゃないだろうと言った冗句を笑い飛ばして、梯子をあがる。流石に深くは眠れなかったが、昨日よりは体の力が抜けた気がした。
(後日譚 3 続)
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