後日譚 3
シンドリアにつくまであと一時間前後。
雨風で揺れが酷く、ランプが何度も消えかかる船内は不安に苛まれていた。重症だった武官も応急手当も済ませればある程度正常な呼吸も戻ってきたようで、あとは本国に帰還するだけだった。
本船と連絡手段はないが、隊長たちがいるのだからとくになんの心配もない。問題なのは、ただひとつだけだ。
「――おい、生きてるか、ナマエ」
先ほどからナマエの様子が明らかにおかしい。三人に回復魔法を施した後意識が飛んだナマエはすぐに目を覚ましたが、身体を引きずって皆がいる部屋とは別の部屋の隅で蹲っていた。息は絶え絶えで、それでも膝を抱えて俯いているせいで何も分からない。それでも、段々力が抜けていくように、部屋の壁に肩を預けて、しまいには床に倒れ込んだ。身体が酷く冷たい。この雨曝しの中戦闘を繰り広げ身体は濡れたままで、適当な毛布に包まってはいるが隙間風は熱を奪っていく。
時折声をかけないと本当にこのまま死んでしまいそうで、その度に彼女は薄らと目を開けて、
「は、い」
と、か細い声で返答するのを繰り返す。
魔導士にも魔力の限界がある。本当の限界まで使い切ると死ぬこともあるということは知っていたが、まだ生きているところをみるとなんとかその限界手前で持ち直したようだ。
無音が恐ろしいと今まで感じたことはなかったが、この異様な空気に押し黙らせることはできなかった。
話題を探していれば不意にアルサスの笑い顔が頭をよぎった。
「ーー十三隊は、居心地が良かっただろう」
彼女は笑って、頷いた。
「そりゃあ、彼奴がいるからな。十三隊はよくわからねえ隊員を集めてる。だから部隊編成の人数も断トツで少ない。…噂はいろいろあるがな、本当の所なんて誰も知らねーよ。けど、お前が入ったのは偶然じゃないさ。ドラコーン将軍はよく見る人だ。その隊ごとの特徴を考えて、十三隊にしたんだろうよ。アルサスはまあ、あんな顔で、何にでも適応力があるからな」
二人で入隊したのはいつだっただろうか、建国してわりとすぐだったと思ったが、厳密には覚えていない。その頃からアルサスは変わりなく、誰の元でもどこに行ってもうまくやれてしまう男だった。反対にセレスタは物言いを考えるということをしないせいか反感を買うことも多く、こうして殺伐とした空気の隊にしか、武力でものを言わせる隊にしかいられなかった。それが良い悪いと決めつけるつもりはないが、アルサスが羨ましくもあった。アルサスがいる十三隊は古参が多く、誰も彼も協調性とは逸脱した隊員たちばかりだったが、彼がいたおかげで、丸く収まっていたこともあったのだろうなと思う。
「だから、女のお前が行ってもうまくいくだろうって思ったんだろうな。大正解だ」
ナマエは血の混じる咳をしながらも幾分かよくなってきた顔色で、優しい人だと言った。
「……近々、三隊も部隊編成が起こる。あの隊長と副隊長はあんまり評判がよくねえんだ。現場指揮もうまくない。だから、ナマエ、お前三隊にこのままいろよ。盾だなんて上以外思っちゃいねえよ。うざってえのは今だけだ。こんな酷使するような戦い方はもうさせない」
「――考えて、おきます」
「そこは即答だろうが」
くくくと喉を鳴らせて笑うと、一際大きく揺れた。けれど、船の安定感はまだある。南海生物も、こんな高波の中には海面には現れないようで、ひとまずは順調そうだ。
「さっきよりはマシになったか。本国についたら、負ぶって王宮までいってやるさ。そんぐらいの功労者だろうよ」
「…怒られる、かも、しれません」
小さい声でぽつりと呟いた彼女は、誰にだと聞けば口籠った後に政務官の人にと言った。どうやら結婚相手でもいるらしい。だったら武官なんてやめればいいものを。物好きなんだなあんた、と言えば大分、と冗談交じりに返ってきた。
できるだけ静かに連れてってくれと無理難題を押し付けてくるので、そりゃあ値が弾むなと言い返す。この暴風雨に晒されて帰還するだけでも目立つというのに、王宮で武官が魔力切れを起こしていただなんて十中八九ナマエしかいないだろうに。
「それは、バレたら俺も巻き添えくらうか?」
「……そんな、ことは」
「まあ、じゃあアンタの旦那の顔でも代わりに拝んでやるから、もう喋んなくていいぞ。直着く」
海兵の時間間隔は仮令悪天候の中であってもわりと正確だ。時間的にはもうそろそろな時分だ。
一度外を確認しに立ち上がり、一つ思い出した。
「あ、そうだ。アルサスはお前の事、負けず嫌いで剣の人だっていってたぜ」
* * *
予定よりはかなり遅れてシンドリアの港場につくなり、怪我人の確認やら何やらを隊長らに任せてナマエを担いで王宮に向かって飛び出した。魔力切れ間近の人間の治療法なんて城下の医者が分かるわけがないだろう。王宮にはヤムライハを始め魔法使いも多くいる。そうであれば、王宮に走った方が最善だ。
彼女の身に毛布を巻き付けたまま、珍しく降り荒れるシンドリアの雨の中を駆け上がる。雷撃の戦闘で全く痛みがないわけではないが、回復魔法のお陰で走る分には問題がない。
城門を通してもらい、医務室になだれ込む。
魔力切れだと伝えれば、先生はルフの見えるものを呼ばないと、と言うので、そんなの知らねえと弾みで乱暴に答えてしまってから言葉を正す。
「…黒秤塔にいる魔法使いを呼べばいいですか」
「あ、ああ。頼むよ、私じゃ魔力は見えん」
――黒秤塔にいる魔法使いだなんて、誰も知り合いにいるわけがない。それでも他に手立ては思い浮かばず、黒秤塔への道のりを小走りに進めば、白羊塔の出入り口で見知った顔を見かけて思い出した。
「ロゼさん!」
「! セレスタ、久しぶりね…っていうことは、ナマエは帰ってきたの?」
「何だ知り合いッスか、今ナマエが魔力切れ起こして医務室に――」
「魔力切れ!?」
ーーロゼは入隊初期から世話になっていた女官の一人で、魔法使いなのになぜか世話係をしているよくわからない人だった。
彼女の通る声が白羊塔に響いて、思わず片耳を塞げば、その声に驚いたのかばさばさと何かが落ちる音がした。そちらを向けば八人将の一人、ジャーファルが手元から何やら書物を落として固まっていた。
挨拶がてら拾おうと身体を向ければ、それより先にロゼが腕を掴むのが速かった。
「ジャーファル様言いたいことは分かりますけど今来られても困りますから仕事片してからにしてください!」
脱兎のごとく駆けて行ったロゼと青筋だったジャーファルの顔面を交互に見合わせて、どういう状況かと恐る恐る聞いたが、彼女は何も言わなかった。
とりあえず医務室にロゼを連れて魔力の状況を確認してもらえば、ひとまず様子を見るしかないそうだ。魔力切れは自然回復を待つのみのようで、状況は思っていたよりも悪くはないらしい。とにかく温かくしていっぱい食って寝ろということだ。焦って連れてきた俺が馬鹿みたいだが、船にいた頃を思えば今が大分良くなってきているということだろう。
安堵と走り疲れたのもあって、ベッド脇の椅子に座り込んだ。
手持ち無沙汰に落ち着いてきた頭で先程の会話を噛み砕いていく。
ロゼは建国当初政務官として働いていたのを知っている。必然的にジャーファルの部下というわけだ。ナマエの名前を出しただけで伝わり、更にはロゼのあの言いようだと駆け付けたいだろうけどすぐ来るなという言い回しだった。
「……もしかして、こいつの旦那って、ジャーファル様?」
旦那じゃないけどとロゼは言うが、近しい間柄というわけだ。さあっと血の気が引いていく。
ジャーファルは八人将だ。この国の根幹に根差していて、彼はシンドリアの屋台骨とまで言われている。がたんと思わず立ち上がった。
「今すぐ武官なんて辞めちまえ!! なんでしかもこんな三隊まできて危険職やってんだこいつ!」
ゆくゆくは隊長、副隊長を務めても面白そうだなんて考えていたのが水の泡だ。早々に辞めるべきだ。それであの顔だ。心配を通り越してジャーファルも怒りたくなるだろう。しかも海兵まみれの三隊で、初日の夜の騒動なんて言ったら最後だ。ぞわりと背筋が粟立つ感覚がした。
「こいつ中々図太ェやつだな…ハァ…まあいいや、俺、もう戻りますよ」
「暫くは、様子見てあげてよ」
「いや早く辞めさせてくださいよ。心臓がいくつあってももたねぇわ。俺が三隊にいても全力で船倉に投げ入れますね」
ジャーファルから要らぬ恨みは買いたくない。
その心情を察してか知らないが、ロゼは苦笑いをしていた。
「仕事中だったのにありがとう、ロゼさん」
「ございます」
「あ、ありがとうございマス…」
この人には一生経っても頭は上がらないが、それでも、彼女のことについてだけはその願いは聞けなかった。
(後日譚 3 続)
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