※ オリキャラが出張ります
襟ぐりの広いシャツの上に配給された官服を重ねる。ズボンの上からひらひらとしたスカートのようなそれを履くのは少しだけ着心地が悪かったけれど、めくれるよりはましだ。幸い丈が長いおかげで足首まで隠れてしまうので、ブーツを履いても然程違和感なく収まった。ひらひらと風に煽られる分体術面で不安が残るも仕方ないだろう。向こうで着ていた上着の腰ベルトをはずし帯の上で締め直してから、付属の金属部分に剣を収めた。慣れない服装に漸く一息つき、ベッドの上に放り出されたペンダントを首に下げる。鏡の前で身支度を整えていたロゼが振り向き、盛大に吹き出した。
「っあっはっは! なにその中途半端な恰好! いつもの恰好のほうがいいんじゃないの?」
「…あれはあれで目立つんです…それならまだこっちのほうがマシかなと思ったんですけど…、やっぱりだめですか?」
いいんじゃないの、と投げやりな声を返した彼女は後頭部でくるりと髪を纏めて立ち上がる。そしてもう一度爪先から頭まで楽しそうに目を細めながら見つめると、ぐしゃぐしゃとナマエの頭を掻き撫でた。
「ロッロゼさん…ちょっ」
「武官なんて男ばかりなのに、よくまあ物好きね」
「…昔似たような場所で働いていましたから、それは慣れていますよ。寧ろそっちのほうが得意です」
「そんなお転婆が通用するのは小さいころまでよ? 今年でいくつよナマエ」
「二十四…くらい、ですか?」
はあ、とあからさまに肩を落として溜息を零したロゼに苦笑いを浮かべ、どさりとベッドに腰を下ろした。まだ時間に余裕がある。だんだんと賑わい始める朝の音に耳を傾け、隣のベッドに同じように腰かけた彼女に笑いかけた。
「いっそ男にでも生まれていればよかったんですけどね」
「そんなこと言っても、もう二十歳過ぎてるんじゃあ引き返せないわあ。ナマエ意外と胸あるわよね、晒し巻いてるから最初ぺったんこかと思ったわ」
「…ロゼさん、ちょっと怒ってもいいですか」
丸みを帯びたそれを表すように両手を動かした彼女に、気恥ずかしさに仄かに赤く染まった頬を隠すように口元を手で覆った。年上の彼女にそんな反応をすること自体思う壺なのだろう。ロゼはまた腹を抱えて笑い始めていた。
「私もう行きますよ…!」
「不貞腐れないでって、子供みたいね」
「二十四ですってば! もう、ロゼさん行ってきます!」
行ってらっしゃいと笑い転げながら言うロゼには、一生勝てる気がしない。パタンと閉めた扉の向こうで、彼女はまだ笑っていた。
先日ドラコーンより伝えられた集合場所、王宮の入り口前のホールへと向かえばそこには一人の武官が立っていた。まだ時間には余裕があるはずだ。それもロゼとの会話を強制的に終わらせてきたので大分早まっているはずなのだが。ナマエは小走りで彼のもとへ向かい、こちらに気づいた武官が振り返るのと同時に頭を下げた。
「お早うございます、すみません遅れてしまって」
「あ、お早うございます! いいえ自分が今日たまたま早起きしただけですから。えっと、貴方は確か昨日ヤムライハ様と…」
「はい、今日から武官として働くことになりましたナマエと申します。どうぞ宜しくお願いします」
両の指を組み頭を下げれば、彼は「こちらこそよろしくお願いします」とはにかんだ。
アルサスと名乗った彼は右目の際にある泣き黒子が特徴的で、笑うと片頬にだけ笑窪ができていた。
「ナマエさん、ですか。あ俺はアルでいいですよ、仲間からもそう呼ばれていますから」
項に手をやりながら彼は自前の槍を握り直したところで、複数人の足音が響いた。その音のほうへ目を向ければ、体格のいい武官の二人がこちらに歩み寄ってきている。そのうちの額に傷のある如何にもといった風体の男が不満そうに目を細め、ナマエを見下ろした。高圧的な態度は彼がこの部隊の隊長であり、シンドリアの武官として経験が豊富であることを物語っている。そんな視線で睨まれることは、とうの昔に慣れてしまった。
「ナマエと申します。宜しくご指導のほどお願い致します」
「ドラコーン将軍より聞き及んでいる。足は引っ張ってくれるなよ」
ぎゅと思わず組んだ指に力が入る。はい、と返事をして頭を下げれば、たいして興味もないような声とすぐさま今日の業務内容が告げられた。どこへ行っても、最初はこんなものだ。先程のロゼの会話が頭をよぎる。――確かに、男であったのならば苦労することも少なかったのだろう。内心苦く笑った後、隊長の鋭い視線にぴしっと背筋を伸ばした。
もう何年と昔に置いてきた騎士としての作法を思い起こしながら、歩き始めた彼らの背中を追いかけた。
「っうわあ…」
流石王宮といおうか、門をくぐるまでにそれなりの距離を歩いた気がする。これまた豪勢な白く巨大な門をくぐれば、そこは本当に見たこともない景色が広がっていた。見上げれば遠く何処までも突き抜けるような青い空に、眼下には白を基調とした家々が積み重なるように斜面に沿って広がっている。観光ではなく任務でここにいるのだと頭では分かっているものの、口を突いて出てしまうほどの感動は抑えきれなかった。城下の賑わいのおかげで彼女の声は掻き消えたものの、隣を歩いていたアルサスが苦笑いを浮かべながら肩を叩いた。
「ナマエさん、うちの隊長怒ると怖いですよ」
「す、すみません…」
ぼそりと耳元で囁かれた忠告に肩を竦め、深く呼吸をしてから周りを見渡した。
ここが全くの別世界なのだと、受け入れたくはなかった。それでも仲間とともに世界中を巡ったナマエがこの盛んな地域を知らないということは、やはりここが違う世界なのだという確かな証拠にしかなり得なかった。
色の黒い女性も男性もいれば、透き通るような白い肌の人もいる。それらすべてが新鮮でごちゃごちゃとしていて、胸の奥が疼いた。
「中央市の警護を他の部隊と連携して行う。二人一組で常に行動しろ。何かあればその都度自分たちで対処すること、いいな?」
「はい」
彼はそう告げるとアルサスとナマエを一組とし地元民と旅人とで混雑する市場に紛れていった。彼らの背中が見えなくなったのを頃合いに、アルサスが柔和な笑みを浮かべて振り返る。
「さあ行きましょうか。隊長たちは港のほうを中心に警備しますから、俺たちはもう少し離れたところに」
声を張り上げなければ威勢のいい客引きの声に隠れてしまいそうだ。はい、とつい右腕を胸に宛てて返事をすれば、案の定首を傾げられた。ああしまったと苦い笑みを浮かべて、それから行きましょうと足を踏み出した。
遠くの向こうを見れば海が見渡せた。王宮から港まで緩やかな斜面を描いているため、港に停泊する帆船が見える。中央市を歩く彼女たち武官の姿を見かけるたびに、国民が笑顔で「ご苦労様」と労いの声を上げる。耳元で弾ける人の声に、少しだけそわそわとした。
「アルさん、国と民はこんなにも仲がいいんですね…」
「? ああ、何てったってここはシンドリア王国ですからね」
誇らしげに笑うアルサスは見渡すように視線を上げる。それにつられて遠くを見るように顎を上げれば、周りの音が大きくなったような気がした。
地方にもよるが基本的に騎士団の人間は市民からあまり良い顔をされたことがなかった。それほど国――というより帝国騎士団と市民との間に溝が落ちていたのだ。歩みを止めそうになるたびに、仕事なのだと言い聞かせて拳を握るけれど自然と頬が緩んでしまった。
「…変な人ですね、ナマエさん」
「え、あ、すみません。仕事ですよね」
「まあここは治安もいいですから。物盗りに気を付ければ滅多なことは起きませんよ」
官服の裾が風に煽られ揺れた。少しべたつく潮風が頬を撫で、飲み込んだ息は海の味がした。
くつくつと肩で笑う彼によしと声を上げて息を吐く。仕事なのだ。確かにどきどきと胸が高鳴るけれど、それとこれとは話が別である。
「武官たちみんな、初めての中央市警備とか謝肉宴とかって集中できないんですよね。俺も最初なんだかそわそわしちゃって、隊長に怒られちゃいましたから」
えへへと照れ笑いするアルサスに笑って相槌を打ち、人の波をかき分けながら周囲に目を配る。どの人も穏やかに、声を張り上げ笑っている。すごいなあと、何度目かもわからない感嘆の声が漏れた。
中央市も陽が真上に昇るころには散開しはじめ、あれだけざわざわと賑やかだった通りが疎らになっていく。随分と歩きやすくなった大通りを肩を並べて歩いていると、唐突に彼が声を上げた。
「そうだ、忘れてた。ナマエさん」
「はい?」
もうすぐ隊長組との合流地点に着く。アルサスは少し困ったように顔を歪めて、右頬に笑窪をつくった。
「俺はナマエさんとシャルルカン様が稽古をしている姿を見たことがあるからいいんだけど、そうじゃない人にとってはやっぱり女性だし、八人将の方々とも親しいみたいだから……うーん、なんていうか、気を付けたほうがいいですよ」
「…はい、有難うございます」
「そういう人は、どこにだっているもんですから」
酷く遠回しな言葉はその表情と同じように困っているけれど、はっきりとした意味をもっている。八人将という立場はナマエが思っている以上に、もっとずっと尊いものなのだろう。立場や身分といった付加価値に興味がないのだと一言で片づけられないものだからこそ、本当はもっと距離を置くべきものなのだろうけれど。真っ直ぐにナマエを見てくれたあの双眸は、そんなごてごてと着飾ったものを必要としていないように思えた。などと、それは周りの人から見ればただのきれいごとに過ぎないということはわかっている。
「あ、でも隊長はああみえてほんとは優しい人ですから変に構えないほうがいいですよ。つんつんしてますけど照れてるだけですから」
「アルサス、減給処分くらいたいのか」
「げえ! た、隊長…」
向こうの通りから現れたのは数時間前に分かれた隊長組で、彼は無表情に加え低く這うような声で呟いた。冗談ですよと笑ったアルサスをただ無言で射抜く様は、下手に怒鳴られるよりも迫力があった。たしかに怖い。
「異常は?」
「とくにありませんでした」
「今日は夕方の中央市も警護担当だ。一度王宮に戻り次第各自稽古に励め」
額の傷に皺が寄る。ターバンの裾が翻るのを見つめ、彼の後に続いて王宮を目指した。潮騒の音は遠のき、国民の笑い声が遠く響いている。緩やかな白いタイル張りの斜面をのぼり、青い空を背に聳える王宮を見上げて拳を握った。
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