「アバレウツボだ!! 果樹園にアバレウツボが出たぞ!」
中央市警備の後アルサスと銀蠍塔で手合わせをしていれば、息を切らしながら駆けこんで来た武官の言葉に鍛錬場内が騒然とした。ざわざわと歓喜ともとれる声の中、彼女は頬を伝う汗を手の甲で拭いながら彼を見上げた。
「アバレウツボというのは?」
「南海生物の名前ですよ、正式名称なんて知らないから勝手にそう呼んでるんです。でもラッキーですねナマエさん!」
溢れかえっていた鍛錬場から徐々に武官たちが移動を始める。それを横目見ながら、ナマエは小首を傾げた。嬉々として笑うアルサスは槍の石突を地面に突いて、外を指差した。指先へと視線を巡らせればそこには青い空が広がっており、俄かに沸き立つ人の声を聞いた。
「南海生物はこの近海に住んでいて、とても大きいんですよ。それが時たま警戒網をくぐって国内に侵入してきたとき、八人将の方々がそれを仕留めて国民が宴を開くんです。それは謝肉宴といって、この国の観光行事になっているんです」
「マハラ、ガーン…ですか。でも、どうしてラッキーなんです?」
「謝肉宴の警備は毎回警備ばっかりじゃあつまらないからと、交代制で休みがあるんです。それで今回俺たちの班は丁度それなんですよ! 夕方の中央市警備を終えたら、宴に参加して大丈夫!」
身振り手振りで説明する彼は少年のような笑顔を浮かべるものだから、ナマエもつられて微笑んで抜身の刀身を鞘に収めた。彼曰く、八人将の誰かが南海生物を仕留めるところを見終えた頃に夕方の中央市警備の準備に取り掛かればいいとのことで、流れる武官に混じりそれが見渡せる場所へと小走り気味に進み始めた。
銅鑼の音が遠くで響き、手すりから身を乗り出した。
中央市警備の集合は夕方は外だからと、アルサスと王宮を飛び出して東地区へと移動していた。眼下には八人将とシンドバッドがおり、彼らを取り巻くように銅鑼を掲げた武官が並んでいる。
「あれが、南海生物…!」
彼らの視線の先には、遠くにいるにもかかわらずとてつもない大きさの南海生物がのた打ち回っていた。うねうねとした尾で近くの果樹をなぎ倒し、けたたましい鳴き声を響かせている。あの赤い瞳に陽光に反射する鋭い牙は、あの日海に落ちたときに出会ったものだった。
息もできない苦しさと自由の利かない身体、逃げ場のない海上。目の前の巨大獣をも凌ぐほどの生き物。あぶくのようにひとつひとつと思い浮かぶ記憶に、僅かに肩が震えた。どれほどの魔物と相対してきただろうかという自負を容易にへし折るほどに、それはあまりに大きかったのだ。
「お、今回はシャルルカン様か!」
隣で楽しげに声を上げたアルサスの声に我に返り、勢いよく顔を上げた。シャルルカンは黒い刀身を閃かせ、地面を蹴り高く飛び跳ねる。銀髪が光を受けて輝く残像を残し、いともたやすく何十倍もあろう南海生物を斬り捌いてしまった。しかも丁寧に腑分けまでして切り分けている。まさしく、開いた口がふさがらなかった。
「……も、盛り付けた…」
「シャルルカン様は器用ですからね」
(器用とかいう話なのかあれは…)
がやがやと一層騒めきだった広場を眺めていれば、金髪と青髪の少年が八人将たちと話をしているのを見つけた。その隣には鮮やかな赤い髪の少女もおり、なにやらシャルルカンとヤムライハが取っ組み合いを始めたようだった。それはどうやらいつもの事のようで、思わず目元を細めてから既に踵を返すアルサスの後を追いかけた。
ごうごうと音を立てて燃え盛る炎を前に、首を忙しなく左右へ動かしながら立ち呆けていた。どこを見ても酒の入った杯を掲げ陽気に笑い、豪勢な海の恵みに頬を膨らませている。女性はみな露出の高い服に身を包み、踊り、花を配り料理を運んでいた。
夕方の中央市は謝肉宴の準備で出払ってしまったのか朝に比べると静かになっていて――といっても身動きが取れずらいほどには賑わっていたけれど――警備を終えた頃にはすっかり祭り一色の雰囲気になっていた。一度王宮内に戻って行ったアルサスを見送り一人広場に残ってみたはいいものの、どうしたらいいのか分からずにいた。一旦自室に帰りロゼとともに回ろうかとも思ったけれど、彼女は彼女で既にどこかへ行ってしまっているかもしれない。どうしたものかと顎に手を当て考えていれば、不意に袖を引っ張られた。
「ナマエさん、そんなところでどうしたんだい?」
「アラジン、それにアリババも」
裾を引いていた小さな少年、アラジンはおもしろげな仮面を額に乗せてにこりと笑う。その後ろにはアリババと、赤い髪の少女の姿もあった。彼女はこちらを窺うように小さく会釈をして、どこかで見たことのあるような少し吊り上がった目で見上げてくる。誰だっただろうかと頭の奥で記憶を引っ掻き回しながら、ナマエは彼女に向かってにこりと笑った。
「私はナマエといいます。あなたは?」
「モルジアナです」
差し出した手のひらを柔く握るように返したモルジアナを見つめ、思い出す。ああそうだ、彼女はマスルールに似ているのだ。といってもあの小さな部屋に詰め込まれたときに見張り番をしていた少しの間しか見ていないが、あの燃え盛るような赤い髪とつり目はとてもよく似ている。この世界はいろいろな種族がいるというから、きっと彼らは同じ種族なのだろう。
「ナマエさんはシンドバッドさんのとこ行かないんですか?」
「え、どうして?」
炎のせいで橙に染まる金髪を揺らせて、アリババは首をかげる。その考えが全く過らなかった彼女にとって、彼の意図を測り兼ねて同じように首を傾げた。あ、いやと言葉を濁すアリババに明確な意思があったわけではないようで、ナマエは官服の袖で口元を隠しながら瞬きを一つした。
「…これから、三人はシンさんのところへ?」
「あ、はい。俺たちもそろそろ戻らないと」
「ナマエさんも一緒に行こうよ!」
アラジンが彼女の手を掴み、王宮を指差す。シンドリアの国の紋が描かれた垂れ幕の向こうに、シンドバッドらしい姿を捉えた。彼らはおそらくあの国を一望できる場所にいるのだろう。
一緒に行こうと笑ったアラジンに頷けば、彼はすぐにぐいぐいと引っ張って歩き始めた。薪の爆ぜる音にまぎれて高鳴る心臓の音に、小さく笑う。そういえば圧政から逃れた遠い砂漠の街のお祭り騒ぎも、闘技場のあるあの街でも、皆でよく騒いだものだ。胸に過った思いはなにも、寂しさだけではない。
太鼓のリズミカルな音が、自然と歩調を速めていた。
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