ランプの不安定な明かりが色濃い影を揺らしている。誰彼もの視線は机上に転がる八つの赤い石に向けられ、ヤムライハにその答えは委ねられていた。
「――それで、これは?」
「ひびが入っていた箇所の付近に変わりありませんでしたが、これがおおよそ等間隔に島を一周するように置かれていました」
手のひらに転がるそこらの小石程度の大きさの赤いそれは、明らかに異質な雰囲気をまとっていた。
彼女は丸いテーブルの中心にシンドリア全域の地図を置き、徐に丸い印をつけ始めた。そして、その丸同士を直線で結んでいく。誰かの息を呑む声が聞こえた。
「…八芒星か」
「結界のひび割れは、王宮の丁度真上にありました。上空から確認しましたが、魔法陣らしきものも魔法痕もありませんでしたので、まだ発動前の準備段階であったのではないかと」
島をぐるりと取り囲むように八芒星を描く直線を、ヤムライハは指でなぞりながら言葉を続ける。
「解析してみないとまだ何とも言えませんが…もしかしたら、シンドリアを覆う結界に作用するような魔法かもしれません」
ともなれば、考えうる相手の目的はひとつしかない。八人将全員の視線がシンドバッドに集まった。彼はただ静かにテーブルに肘を突いて指を組み、じっと地図を見つめていた。あるいは、その手前にある赤い石を。
「…王宮の周りに結界をもう一つ作れねえのか?」
眉をひそめながらそう言ったシャルルカンの言葉にヤムライハは素早く頭を振った。
「今の魔導師だけでは国の結界だけで精一杯だわ。もう一つ作れたとしても、二つを維持させようとすればどちらかが不安定になりかねない」
「魔力を無駄に消費させるだけだ。これ以上の結界は必要ないさ」
「でもよ王様――」
なおも言葉を重ねようとする彼にシンドバッドは大丈夫と笑みを浮かべ、それからドラコーンと武官の巡回経路について話し始めた。シャルルカンは納得のいかない顔を浮かべながらも、それをこぼすにはヤムライハは赤い石を見つめたまま瞬きさえしておらず、小さなため息を飲み込んで右隣にいたスパルトスをちらと横目見る。彼は斜めに切り揃えられた前髪の奥で、食い入るように地図を見つめていた。
「…どうやってこんな小さいものを見つけることができたんだ?」
「そりゃあいつとその部下で見つけたんだ、ルフとかそういったもんじゃねえのか?」
「仮にこれが国の結界に支障を来すものであったとして、こんなにも簡単に見つけられてしまっては己の首を絞めるようなものだろう」
彼とは主に港や商船での警護で同行することが多く、何かと細かいところに目の行く男であることは既に知っていることではあったので、そんな彼が真面目な顔をしてそういったことを口にすると尚更不安感を募らせるばかりであった。確かに、とシャルルカンも返す言葉につまり、もう一度地図を見た。
シンドリアの外側の崖に沿うように、東部と南部の果樹園と森、一番目立ちそうな場所で港の印が目を引いた。王宮の裏にも丸印はあったがこちらもそれなりの森が広がっている。
「…おいヤムライハ、ここの港の印だけどよ、どこにそれがあった?」
考えている時の彼女の癖なのかぶつぶつと唇がわずかに動いてはいたが、こちらもこちらで考えなくてはいけないことがある。思考を中断させられた彼女はしばらく目を閉じたり地図を見たりを繰り返しながら思い出そうと言葉を絞り出した。
「――確か、港の検問所のすぐ横にある資材置き場だったかしら。ほら、あの裏って人が通れるくらいの細い隙間があるでしょう、そこにあったの。ルフの澱みを追っていて、そこで一番最初に見つけたのよ。あとは似たような気配を追って時計回りに順番に」
スパルトスと目があった。検問所裏手の資材置き場は昼夜問わずに人が行き来しており、赤い石の周りには魔法陣も描かれていたということから、やはり見つかりたくないという意志の強さは感じられない。寧ろ、見つけて欲しかったとでも言ってしまったほうが納得がいく。ならばそれは何のために、と話が移ろうとしたとき、ヤムライハの隣に座っていたピスティがそういえばと呟いた。
「最近鳥さんと波長が合わせづらいんだよねえ…その魔法陣と関係があったりする?」
「…それは鳥だけ?」
「んー、他はまだわからないけど…」
「シンドリア内外で差が出るのであれば、その可能性もあるんだろうな」
腕を組み直したスパルトスは、少し目線を下げてピスティとヤムライハの丁度間の辺りを向いた。魔法云々に全くもって興味も知識もない彼らにとって考える材料は無に等しく、自然とヤムライハにばかり視線が集まってしまう。
武官関連の話が終わったのか、聞こえていたもうひとつの会話が止んだために部屋に再び沈黙が振り落ちた。シンドバッドはテーブルの上で指を組み、それから八人将全員を見渡した。
「ヤムライハたちには過酷かもしれないが、ルフを見ることが出来るのは魔導士しかいない。朝昼は今までどおりに、交代制で夜の巡回を頼みたい。大丈夫そうか?」
「はい、もちろんです」
「何か気づいたことがあれば各自の判断に任せる。但し、相手の特定ができない以上無理はするなよ」
後手に回るほかない今の現状が珍しく、この雰囲気を嫌な空気と括ってしまうにはあまりに不吉なような気がした。
それから、とシンドバッドは言葉を続け、話はそのままシンドリア近海の迷宮の話に変わった。既に七つの金属器を有している彼とその眷属はもう迷宮には入れないので、その話の主たる人物はアリババたち三人を指しているのだが、そんな彼らに迷宮攻略をさせようと考えているようだ。何も起こらなければいいと思うのは、恐らく考えすぎではないのだろう。
* * *
「…ヤム、私にもルフに敏感な子がいるから、そっちも手伝うよ。ナマエの魔法、まだ時間がかかりそう?」
紫獅塔への廊下を歩きながら、ピスティは少しだけ、無意識のうちにであろう声を潜めてヤムライハにそう問いかけた。
「ありがとう、魔導士だけではどうしても厳しいのよね。……ナマエに関しては、もうどうしていいのか…時間が経てば経つほど、もしかしたら魔法が身体に定着してしまうかもしれないし――」
歩幅が小さくなった彼女に合わせるように、全員の歩みが遅くなる。シャルルカンの微妙な顔を見つけ、スパルトスは目を一度伏せてからまた彼を見遣った。
「…謝肉宴の後にも、一度ひびがはいったことがあったな」
「ん、ああ、そうだったな」
「確か、その後に、魔法の影響を受けたと聞いたが」
ぴたりと、今度は完全に彼の足が止まった。前を歩いていた二人は会話の内容が聞こえていなかったようで、立ち止まったシャルルカンに首を傾げて振り返った。
「それは、ナマエのこと言ってんだよな」
「ああ」
ナマエと彼女の名を一方的に知ってはいるが、機会も意思もなかったために今までまともに顔を見合わせたことが一度もなかったので、口にすることが憚れたのだ。最後に見た記憶で言うならば、武官の巡回経路ですれ違ったくらいであろうか。そんな程度の面識しかない彼からしてみれば、頭の中で奇妙な立ち位置にいるのは常に彼女であった。
シャルルカンはがしがしと乱暴に髪を掻きむしると、色黒の頬を歪ませた。
「あいつはそんな奴じゃねえよ」
「…シャルルカン、それは」
「剣士にしかわかんねえもんがある」
思わず吹き出した声はスパルトスの後方から聞こえ、振り返らずとも笑い上戸な彼女ならば腹を抱えて笑っているのだろうとわかった。それに、ピスティやヤムライハでなくとも顔を歪めたくなる気持ちはわからなくはない。ため息を吐いたスパルトスにシャルルカンは唇を尖らせ、それからヤムライハにじゃあお前はどうなんだと質問を放り投げた。
「信じてるもの。理由なんてないわ」
「女の勘ってよく当たるんだよー」
にししと笑った彼女の金髪が月の光に鈍く光っているように見えた。人のこと言えねえだろと呆れる彼の言葉は和やかで、人知れず何度目かのため息を零した。
「スパルトスも会えばわかるよ、あ、今文字の勉強してるから折角だから教えてあげてよ! 得意だもんね!」
「いや、女性だろう、彼女は」
それなりに長く彼らと共にいたからだろうか、僅かな表情の変化に気づかずにはいられなかった。
頑張るからと意気込んだヤムライハの背中を眺めるシャルルカンは、恐らく自覚していないのだろう。築き上げてきたものの大小を計るには時間というものは明確であり、感情というのは曖昧である。そうなりたい、そうであればいいと願う声は密やかで、言葉にならなければ気づくことは難しい。それでも。
「…あ、もうすぐで満月だねえ」
信じてるもの、と笑った彼女の声が、届いていればいいということだけは。何も知らない彼にもそう思えた。
▽ BACK TOP △