砂に足を絡め取られて膝をつく。誰の手も差し伸べられはしない。背負った死体を担ぎ直し、ふたたび立ち上がっては死体の山を築いた。血の山だ。じわりじわりと砂に赤が滲んで海を作っていく。見慣れた顔を背負い、その山に近づく頃には腰も沈むほどに深みを増していた。ガシャンと甲冑の擦れる音を立て、背負っていた仲間を山に乗せる。一人増えると、それは喉にまで達した。血生臭さに息を止め、そこから出ようと後退した瞬間、死体の山から太い腕が伸びる。赤の染みだらけの指先が、呼吸をする喉を締め上げる。
「どうしてお前なんだ」
頭の内から声がした。気づけば、私は血の海に沈んでいた。
* * *
どこからか聞こえる騒がしいような声に目を覚ます。魔装の名残なのか少しばかり重たい頭を持ち上げ、身なりを整えて部屋から顔を出した。アリババにかけられたイスナーンの呪いを解き、一旦は落ち着いた事態に各々が眠り始めた今は恐らく草木も眠る丑三つ時だろう。今度はなんだ、と微睡みに揺蕩う朧な意識でそう呟いた。
暗い廊下を突き進んでいくうちに、奇妙な違和感を覚えた。何故、こんなにも静かなのだ。彼、シンドバッドは、騒がしい声に起こされたのだ。こんなにも静かであったのなら起きようはずもない。
「…気のせい、か…?」
常夜灯として疎らに置いたランプとの間で立ち止まる。足元の暗闇を怖がるほど幼くはないが、ぞくりと背筋が粟立つのだ。なんだ、これは。壁についていた手を握る。じわりと湿っていた。
「誰かいるのか」
気配はない。最初から、前後左右どこにも。そうとは知っているにも関わらず、問いかけざるを得なかった。
――まるで答えるかのように、ぺたぺたと足音が通り過ぎた。それは背後からだった。急いで振り返れども、そこにはランプの明かりが揺れるばかりである。ふたたび、足音が過る。今度は視界の端で赤い筋を捉えた。
「…小さな子供みたいだな…」
腰に携える剣に手を添え、足音のする方へと歩みを進める。この剣一本しか身につけてこなかった己の失態に歯噛みし、頭の中ではどうしたものかと冷静な声がため息をついていた。ジャーファルに知らせるには、この階を降りなければならない。この足音は階段の方へは向かってはおらず、仮に呼びに行ったとしても見失う可能性の方が高い。負ける気はさらさらないが、国を預かる以上単体での行動は避けるに越したことはなかった。――そこまで考えて、さらにもうひとつの声が脳裏から聞こえてきた。
部屋を出てから一度も、誰ともすれ違っていないではないか。
紫獅塔は重鎮の住まいであり、武官が交代制で見張りと巡回をしている。すれ違わないということが、あり得るはずがない。それに何より、この廊下は果たしてこんなにも長かっただろうか。いくら威厳のためにと豪華にすれども、無意味な空間は国民の住居スペースの圧迫を招くだけだ。はははと我ながら虚しいほどに笑い声が響いた。――この七海の覇王と呼ばれた男が、こんなにもあっさりと相手の手中に飛び込んでしまうとは。おそらくこれは結界の類だろうか、部屋の外から張られていたのだとすれば不用心すぎた。身につけてこなかった金属器以上に、これは痛手である。寝首をかかれに突っ込んでどうする。ここまでくると寧ろ冷静さも呆れにまわり、どれほど歩いたかも知れない廊下で壁を背に立ち止まった。これが本当の壁かは知らないが、ひとまずはこの暗闇に慣れるしかない。いつの間にか常夜灯の明かりも消え、あたりは完全なる闇だった。
(しかし困ったな…気配も未だに感じないぞ)
そう思ったのも束の間、眩しいほどの光が視界を埋め尽くす。瞬時に引き抜いた剣先が何かを掠めた。腕で光を遮りながら相手の存在の一端を探すべく意識を尖らせる。この場にそぐわない涼やかな鈴の音が聴覚を冒す。シンドバッド、と聞き慣れた声が真白い世界で弾けた。
「……信じていたかったよ」
光が失せる。白羊塔の大講堂を模した景色が目に飛び込む。
その先で、風もなくなびく青の髪を見た。
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