空気が押し込まれたような圧力に、外側にもう一枚結界が張られたことを知る。恐らくこれ以上の増援は見込めないだろう。下唇を噛んだヤムライハの許にアラジンとモルジアナが集まり、二人の視線は結界の内と外をしきりに見遣っていた。


「っなんで金属器を身につけてないんだあの人は…!」
「とにかく、結界を壊しましょう! アラジンくん、いくわよ」


どれほどの結界だろうとマギほどの高出力の魔法を受ければ破れないものはない。攻撃を反射される可能性も考慮してジャーファルとモルジアナをかばうように二人で杖を構えた。ごくりと生唾を飲みこむ。単純で出力の高い攻撃性のある命令式を組み立て、ルフを見る。開いた口が、塞がらなかった。


「な、によ、これ…!」
「ルフが、集まらない……!?」


そこら中にルフはあるのに、声が届かない。内にあるはずの魔力がまるで鉛のように固まって沈んでいるようだ。ヤムライハは膝から崩れ落ちた。足元の光る魔法陣をありったけの力で殴りつける。握り締めた手のひらからこぼれた血が擦れて薄くなった。


「魔導士殺しの結界じゃない…! なんで、こんな、禁術のはずじゃ」
「モルジアナ! 私が一点を切りつけるからそこを叩いてくれ」
「…眷属器の力もない物理攻撃だけなんて!!」
「このまま黙って見過ごせるわけないでしょう!」


ただのナイフとなった切っ先が結界に触れる瞬間に弾かれる。モルジアナが蹴りかかった右足が、容易に吹き飛ばされる。傷一つない結界の向こう側で、ナマエの振り下ろされる剣をひたすらに避けるシンドバッドを見た。


「――黒いルフを集めてる…!」


瞬きをするたびに黒い淀みが増していく。ナマエの足元を食らっていくように、赤い光の筋を辿って色のないルフが蠢いている。
アラジンのつぶやきと重なって、奥にいる女が小さく笑った。


「空の器が、中身が欲しいと騒いでいたのよ。私はただ、中身を詰めてあげただけ」
「…そう……そう、だから、ナマエは辛い過去を思い出してばかりだったのね」


枕に残る、濡れた跡を思い出す。一人だと知った彼女の瞳の揺らぎを、忘れたことはない。
握り締めていた拳を開く。冷たい床に手を這わせ、魔法陣の筋を追う。吸い込んだ息が、重く苦しかった。


「…っナマエに王様は殺させない、絶対に…!!!」


魔法が使えなくたって、何も知らないわけではない。結界ならば、いままで何度も作ってきたのだ。


「ヤムライハ、」
「私は、天才魔導士なのよ、」


破れないなら、解いてしまえばいい。
噛み締めた奥歯が、不快音を立てた。



*   *   *



走っても走っても、同じ廊下ばかりが続いている。窓から見下ろした高さが、上ってきた階段の感覚と噛み合わない。白龍は頬を伝う汗を手の甲で乱雑に拭い取った。
嫌な感覚に連れられるまま足を進めれば、それは紫獅塔で間違いはなく、だとすれば目指す階などひとつしかなかった。シンドバッドの部屋は最上階にあり、迷わず階段を駆け足で上ること数十分、乱れる呼吸の合間で違和感を吐き出した。


「……なんで、こんなに階段が長いんだ…?」


もうそろそろ最上階についてもいい頃だ。疲労で震え始める足を手のひらで打ち付けて、試しに左手に伸びる廊下から外を見る。下に見えるのは階下の手すりで、地面との距離を考えるまでもなくここが未だ二階だと知った。――それはあまりにおかしすぎる。少なくとも五回は廊下を見ているのだからもっと上でいいはずだ。景色はより高く、シンドバッドの部屋に近づいているはずだ。どういうことなんだと渇いた喉を通った声は掠れていた。手すりに手を置き、呆然と外を見ていれば背後から重たい足音が響く。耳に入った瞬間反射的に振り返れば、金色の髪が暗闇でなびいていた。


「っ白龍!」
「ア、アリババ殿…!?」


よっ、と気軽げに右手を上げた彼、アリババはモルジアナから任された病人であった。病人というと違うかもしれないが、イスナーンからの呪いを受けて呻いていたのはつい先ほどの出来事である。額に浮かぶ汗を拭う彼は、白龍と同じように外を見遣って目を見開いた。


「な、俺、いま三階にいるはずなんだけど?」
「三階、ですか…?」


槍を肩にもたれさせて口元を手で覆った。白龍とアリババとの間で距離感覚が明らかに狂っている。もしこれが魔法などという力によって無理やり狂わされているのだとすれば、魔道士でもない二人に解くことなどできるのだろうか。眉間に皺を寄せて黙り込んだ白龍に、アリババはくるりと踵を返した。


「とにかく、また一階に下りてみようぜ」
「…そうですね、もしかしたら幻覚なのかもしれません。目を瞑っていきましょう」


惑わされているだけだというのなら、何かきっと手はあるはずだ。階段の両端でそれぞれが壁に手を付きながら慎重に二階分下りていく。最後の段をおりきり、目を開けて外を見ればそこは紛れもない一階でだった。
目を瞑ればこの魔法は攻略できるのではないか、とアリババがもう一度目を瞑って上ろうとしたのを腕をつかんで引き止め、一旦廊下から飛び降りて中庭に落ちる小石を彼の両手いっぱいに積み上げた。


「ちょ、ま、こんなの何に使うつもりだよ?」
「もう一度、二階にあがります。そこが正しく二階であるのならそのまま目を瞑って最上階へ。もしまた違う階なら、目を瞑ったまま、小石を外に落とします」
「…は?」
「とにかく、もう一度上がりましょう」


疑問符を浮かべる彼に背を向けて目をつむり、一段一段確かめるように上っていく。二階と思われる廊下で目を開け、下を覗き込んで階数を確認した。残念ながら下には廊下が三つあるようだ。


「…恐らく、これは幻の類でしょうから、目を塞いで小石を落とすことで、物理的な距離を測りながら、あとは自己暗示で上か下かに進みませんか」
「それって最悪、耳もやられてたら」
「まあ、たどり着けないでしょうね。アリババ殿、どうしますか」


進まなければ、シンドバッドの身が危ないかも知れない。少なくともこんな意味のわからない魔法が張られていること自体、既にこの国にとって"なにか"が起こっている。外の異様な静けさも、空間の淀みも。


「どうするもなにも、やってみるしかねえだろ!」
「はい、行きましょう」


アリババの手に収まる小石を一粒、ぎゅうと握り締めた。


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