何が起こったのか、あの場にいた全員に聞いたとしても明確な答えなど返ってこないだろう。ただ眩しいばかりの光が視界を埋め尽くし、気づけばシンドバッドの傷は塞がり、幼いナマエは倒れていた。モルジアナがマスルールと治療師を連れてきた頃にはシンドバッドの顔色は優れ、寧ろ彼女のほうが今にも死にそうであった。そのまま医務室へと運ばれた彼女が目覚めないまま、一週間が過ぎようとしていた。

捕らえた魔導士に話を聞けば、彼女はアル・サーメンの、というよりはイスナーンに近しい人物であったことが分かり、既に堕転してから時間が経っていたのだろう、程なくしてドゥニヤ同様黒化して物言わぬ体となった。ナマエもああなるのだろうかとアリババがヤムライハに問えば、そもそもルフを持っていないのならばならないだろうと笑っていた。彼女の身に詰まっていた黒いルフはシンドバッドが吸い取り媒体となっていた髪留めを切り離したことでふたたびなにも見えなくなったという。髪留めと赤い石の魔力痕の解析に躍起になるヤムライハが、時折彼女の部屋を訪れてはその心臓に手を当てる意味は、考えるまでもないだろう。あとは、目が覚めるのを待つのみとなっていた。





「――八芒星で力の循環と安定、魔力の出力と貯蔵を備えることであんな術を可能にしていたのね…」
「ヤム」
「私のこの魔法道具と仕組みは似たようなものだわ、基本の結界魔法をベースに…中身は魔力の逆流防止に使う素材だったのね、一方向からのルフの流れとこの命令式で魔力を使えないように――」
「ヤ、ム、ラ、イ、ハ!」
「っきゃあ!?」


突然頭の重みが消え去り、目深にかぶっていたはずの帽子が宙を舞う。釣られて顎を上げれば、ピスティがひょっこりと背後から覆い被さるように顔を出した。


「臨時会議の時間だよ。どうせヤム没頭してるんだろうなって、折角迎えに来てあげたのに」
「え、だってまだお昼前じゃ」
「もうすぐ夕方になっちゃうんだけど…」


椅子に張り付くように背もたれにくっついていたピスティは床に飛び降り、机上のランプの火を吹き消して薄暗い廊下に飛び出した。あの日描いたままの防御結界の魔法陣は、うっすらとチョークの跡を残しているばかりだった。



円形の机に九人が腰を下ろしている。シンドバッドの体調の快復をはかって、丁度一週間後の今日、アリババたちのザガン攻略の報告も兼ねて事態の事後報告会となっていた。ザガン攻略による貴金属類による財宝総額と闇の金属器、そして今回の髪留めと八つの赤い石。迷宮攻略の戦果は財政がひっ迫しているシンドリアにとって喜ばしいものだが、それ以上に悩みの種を振りまいていた。


「闇の金属器その他はヤムライハたちに任せよう。解析が終わったものから報告を頼む」
「はい」


ひとまず議題としては結論は出たが、まだ残っているものがあった。
――結果としてシンドバッドはこうして生きている。刺した本人によって行われた治癒魔法によって。最悪の結果になれば、極刑も免れないであろうが、どうなるかはヤムライハにも分からなかった。


「…彼女の処遇についてだが――」


汗ばむ手のひらをごまかすように握り締めた拳を、シャルルカンが横目見る。シンドバッドは曖昧な唇を噛んだ。


「――」



*   *   *



長い夢を見ていた。人魔戦争を終えたあとから、ユーリ達に会い、ザウデから落ちて世界が変わるまでをかい摘んでいくように。何故か私の身体はいつまでも幼いままであったけれど、より高い視点からみんなを見ていたような気がする。踏みしめる土の感触も、揺れる船体も、吹きすさぶ強風も、冷たい吹雪も、溶けるような灼熱も。懐かしく恋しいザーフィアスの町並みを遠く遠く見下ろしながら、空から飛び降りる。冷たい海に身を投げて、巨大な南海生物を見上げる。水の中で足掻くふりをしながら浮き上がるあぶくを見つめていた。揺れる波紋が光に反射して、恐ろしいはずの南海生物の大きな瞳を柔らかに照らしている。あの世界の海の中も、もしかしたらとても綺麗で、どうせ死んでしまうというのなら、気が済むまで遠い水面を見てみたかった。
こぽり、こぽりと沈んでいく。最後に目を瞑ったのはどのくらいの深さでだっただろうか。深海の底はぎざぎざと刺々しく、とても痛いのだろうとどこかでそう考えながら、たどり着いたのはそんなものとは正反対の柔らかさだった。ふわふわと包み込まれるような、例えるのならば岩石などではない水蒸気の雲なのだろう。もしかしたら、この青は海の青ではなく空の青だったのかもしれない。
息は、苦しくはなかった。


「……ぅ、」


見覚えのある豪奢な部屋。ぼやける視界に映る空の青さが眩しいと感じた。消毒液と薬品の臭いが久しく、思わず眉間に皺が寄る。
目が覚めても、この場所は変わらず、蒸し暑いままだった。


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