ジャーファルと別れた後、ほどなくして動く影を見た。その影が遠目にもアリババであると分かると、一瞬の思案の後、ついて行くことに決めた。恐らく、彼にとっては一人になりたいがための行動だったのだろうけれど、声をかけずにはいられなかったのだ。アリババたちが明日にでも出ていくのだと聞いたのが、今日だったということもある。乾ききらない髪を乱雑にタオルで拭い、軽く整えた後その後を追いかけた。



縁に両腕を凭れて寄りかかる彼は、傍から見ても沈んでいることは明白だった。


「アリババ」


ゆっくりと、柔らかく声をかける。彼はその声に肩を震わせて目を丸くしたままこちらを見ると、すぐに情けない顔で笑った。


「どうした、んです? こんな夜に」


取り付けた敬語に苦笑しながら、彼は頬を掻いた。


「見た目が違うと、中身も違うと思う?」
「……いや、ほら、やっぱり、年上ですし」
「まだおばさんじゃないと思ってたんだけどなあ」


アリババはそんなことはといいかけた後、諦めたように笑みを零した。寄りかかっていた体を起こし彼女の方へと向き直ると、一度目を合わせ、そしてすぐに逸らした。


「……」


静かな沈黙が積もる。遠いさざ波を聞きながら、いつかに聞いたアラジンの声を思い出した。


「……明日、ここを発つんだって聞いたよ」


その言葉に、彼は足元を見つめる。アリババのゆるく結んだ唇から、僅かな息が漏れた。


「……私、砂浜が、海が怖いの」


突然のことにアリババがふっと顔を上げ、訝しげな眼をするのに少し笑って話をつづける。脳裏には、モルジアナに引かれて降りた砂浜と、茜に染まる海が浮かんでいた。


「それでも、モルジアナが引いてくれた手があったから、外に行こうと誘ってくれた二人がいたから、"私"は、もう怖いばかりじゃないって思えたんだよ」


幼い私は確かに、彼らに救われたのだ。砂浜のくすぐったい砂の感触を踏みながら、目の前に広がる海の煌めきに目を奪われた。三人にとっては、きっと何でもない綺麗な夕日の一つだったのかもしれない。けれど、それがなければ、"私"は海に近寄ろうともしなかっただろう。
アリババは二、三の瞬きを挟み、小さく唇を歪める。


「ありがとう、アリババ。本当にあの時、嬉しかったんだってこと、伝えなくちゃと思ってた」


ふんわりとした髪に手を伸ばしてそっと前髪を梳けば、照れた苦い顔を返された。それから何度か表情を変えて思案を噛むと、そっと吐き出した息に乗せて音を出した。


「……ずっと、一緒に冒険するって、思ってたんだ」


ここを出た後も、隣に立つ人は変わることなく続いていくのだと。彼はぽつりぽつりと、言葉を落として、最後に長いため息をつくともう一度縁に背を凭れた。


「なんで、勝手に決めちゃったんだよ……アラジンの奴」


言うに、何の相談もなく決めて、あまつさえそれは自身が思ってもいなかった既に結論として出されたものであったことに、彼はどうしようもなく遣る瀬無ない気持ちになったようだ。しょんぼりと肩を落とすアリババは、そのまま床に座り込むと天井を意味もなく眺めていた。
すとんと横に腰を下ろし、同じように天井を仰いでみる。細やかな模様が、暗闇の中で僅かな光を受けて浮かんで見えた。


「そっか、大事なことは、最初に話して一緒に決めたかったよね」


ユーリだったら、そうしなければ怒って、年甲斐もなく口も利かなくなるかもしれない。考え事は近しいところにいるからこそしてほしいとも思う。近しいところにいるからこそ、できない時も、気づけない時もある。
模様を目で辿りながら、アリババの横顔を視界に捉える。


「これは、私の想像でしかないけれど……きっと、アリババたちの旅は、色んな人の支えや助けがいる旅なんだよね? そうなら、繋がりは多いほうがいいと、私も思うよ」
「一緒に旅しながらだってできることだろ?」
「一生のうちに出逢える人って、三人一緒の行動してて会える数と、別々の行動をしてて会える数、どっちが多いと思う?」


そりゃあ、と口を開けて、ゆっくりと、閉じた。


「……アラジンはアラジンの旅をしていれば、アラジンにとって大事な人に出逢える可能性は上がるかもしれない。それは、アリババもモルジアナも同じようにあると思う。勿論、一人で新しいところに行くことはとても勇気のいることだけど、もしかしたらその勇気を、今ここで使うべき時なのかもしれないね」


自分で言った言葉を、頭の中で反芻する。それは、自分自身にも、言えることなのだろう。ひゅるりと生ぬるい風が頬を撫でた。


「……もう一度、きちんとアラジンと話をしておいで。伝えそびれないように」


風に揺られて少しばかり軽くなった頭は、ふわりふわりと、遠い記憶を浮かばせる。自分の想いを伝えることは、相手がいなければ意味がないのだ。
アリババはがしがしと頭を掻いて、いまだ苦い笑みを浮かべて言った。


「なんか、全然、違えや」
「なにが?」
「この間まであんなにちっちゃかったから、なんか、うん、全然」


全然、と繰り返す彼の顔が、少しだけ朗らかに変わっているといい。関係性の変容を恐れるほど彼らは柔ではないという根拠のない確信が、ただただ羨ましく、眩しかった。きっといつまでも、前に前にと進んでいくのだろう。振り返らず、ひたすらに進む彼らの背を、今はそっと押せる少しの力になれるのなら、ここに来た理由も増える――。
小さく落とした笑みに応えるように、彼はすっくと立ち上がって、何度目かの夜空を見上げた。願わくば、その行く旅路に、幸せがあるように。願う声をそっとこぼした。


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