武官にも月に数度の休日が設けられている。肉体を資本とする仕事のため、文官よりも休日が巡ってくる回転率は高い。というより、文官は多忙が極まり、繁忙期を過ぎなければ休暇を取ることさえ難しいということでもあるのだが。その点彼らには申し訳ないが、武官は武官で羽を伸ばさせてもらっている。彼らの仕事を手助けすることができなければ逆も然りであるのだ。
ということで、本日ナマエはすることはないのにも拘らず、天気はお出掛け日和であった。
「……暇だ」
未だにあの噂の真偽は定まっておらず、巡回警備範囲は日を追うごとに広がり、昨日は初めて森の中にまで足を踏み入れた。基本的に自然を残していかなければならないこともあり、現在残っている森は殆どが手付かずである。パパゴラスやオラミーたちの貴重な住処でもあるため、基本的には不可侵ではあるが異常がないかどうかは隠れ家となりやすい分要注意場所であった。最近のそういった理由もあり、張り詰めていた緊張は知らぬ間に身体に蓄積されていくものだ。昨晩は気を抜いて寝入ってしまったため、目が覚めれば正午も近い時分となっていた。
「……何しよう、本当。市中に出でもここの通貨は使ったことがないからまだ自信ないし」
ヤムライハには昨日の時点で声をかけてはいたが、手放せない事案があるということで断られていた。ピスティは海上での安全航海に従事している。シャルルカンに至っては決まった休みという概念があるのかさえ定かではない。
――友人がいない。円滑なコミュニケーションを図ってきたつもりではあったが、いざこういう時に出歩くような交友関係の者はいなかった。
ベッドの上ですることもなくゴロゴロしているのも勿体ない。二、三の呻き声を上げた後、閃いた。
「あ、涼しい服を買おう!」
この暑さを乗り切り、かつ剣を振り回しても邪魔にならない服装を探していたのだ。幸いにして女性武官が自分一人ということもあり、正式な武官の官服がない。今は文官の官服を借りているがこれはこれで全く戦闘に向いておらず、訓練時にうまく立ち回れないことがあった。かといって完全にユーリたちと行動していた時の服装を選ぶと浮いてしまうので、文官の物をやはり崩すことが妥当のようだ。せめてズボンを違うものにできれば熱さも幾分和らぐだろう。丸襟のシャツは替えが欲しいところだ。シンドリアの通貨をズボンのポケットにしまい、腰ベルトに何があるともわからないため長剣を携えて外に出た。久しぶりに上が半袖のシャツだと意外とシンドリアの気候は暑苦しくないことに気づいた。如何に重ね着していたか、明日にはもうできそうにもない。
足取り軽やかに王宮を後にし、正午の繁忙も引いてきた中央市の波に乗りながら、ふと指先が無意識に耳朶に触れた。以前までそこにはピアスが下がっていた。赤の魔核を反射させていて、装飾としても気に入っていたのだが今はもうない。――穴を埋めるわけではない。それでも、この軽さには慣れそうにもなかった。先程から目に留まるものが赤のピアスだったことには、気づかないふりをしていたのだ。
それでも、ちかちかと目の端で眩しい装飾品に、ふらりと引かれてしまった。露店に並ぶそれらは、シンドリア近海でとることのできる珊瑚などを模しているようなものが多いようだ。あの魔核の赤よりも柔らかな薄紅のそれらが埋まっている。
「どうだい、どれかあんたのお目にかかるものはあったかな?」
店主の声に、露店の装飾品を眺めていた視線を上げる。店主は柔和な笑みを浮かべて、それから胸元のペンダントに目が留まったようだった。
「あんたそれは銀製だね。だったら、こんなものもあるよ」
どうやら品定めをされたらしい。彼は足元から木製の小箱を取り出し、机の上に置いた。かぶせ蓋を開けると、肌触りの良さそうな布の上にそれはあった。
銀でできているらしいそれは長方形に象られ、下半分が淡い桃色のステンドグラスのようになっているピアスだった。ピアスばかり見ていたのは既に知られていたらしく、これが商人の目かと感嘆する。
「うわあ、綺麗ですね」
「銀製は値はそりゃ弾むが、これは珊瑚を砕いたものを溶かし込んでいる分手も込んでるし、何よりあんたのその海の色によく映えるよ」
「そ、そうです…?」
思わず照れてしまうのは慣れていないからである。それにしても売り上手とは、買うつもりは毛頭なかったのだが悩んでしまう。うーんと顎に手を当てながら思案していると、後方から聞き慣れた声が飛んでて来た。
「珍しいところで会うものですね」
「――ジャーファルさん!」
両手を袖に突っ込んでいた彼は、店主とその手元にある物、そしてナマエの耳を交互に見やってすぐに納得したようだった。相変わらず頭の回転の速い。店主はジャーファル様ではないですか、と親しげに世間話を始めた。流石この国の八人将は信頼もされて、且つ不愛想ではないから人気もあるのだろう。改めてシンドリアはよくできた国だと思わざるを得なかった。
彼が店主と話をしている間手持無沙汰になったナマエは隣の露店を遠目で眺め、空を見上げて人波をぼうと映していた。
「ありがとうございました!」
漸く話も終えたらしいようで、そちらへと振り返ればやけに笑顔な店主と目が合った。先程の物は奮発するにも手持ちも足りないので次回にしようと思っていたのだが、その考えはジャーファルの差し出したものによって吹き飛んだ。
「っ!?」
「あなたのピアスは確かに、私の至らなさの所為でしたから。お詫びをさせて下さい」
「な、なに言ってるんです! あんなの、ちっともジャーファルさんの所為なんて――」
小箱に収められたそれは、今しがた店主が見せてくれたものだ。あまりの衝撃にぱくぱくと無意味な動きを繰り返す口に彼は笑って、ナマエの腕を引くとその手にぽんと小箱を置いた。
「あなたが覚悟を決めたのなら、それには相応の何かがあってもいいのではないですか?」
元はといえば無関係であったのですから。
それは突き放した言い方ではなく、そばかすの散った顔は初めて見るような柔らかさを含んでいた。今更返すことも失礼だと分かってはいる。それでも行き場のなくなった小箱を乗せる手を眺めながら、人波に消えそうな彼の姿を追いかけた。
「ジャーファルさん!」
振り返った双眸の下は、隈が薄らと残っている。日に当たるには不健康そうな顔で、彼ははてと首を小さく傾げた。
ぎゅうと胸の前で、小箱を握る。木の箱に温度などあるはずもないというのに、ひどく熱かった。
「有り難うございます。大切に、します」
「――それはよかった。良ければ買い物に付き合いましょうか。通貨の数え方は教わりましたか?」
思ってもみない申し出に感じていた不安を見透かされた気分になり、一気に顔が熱くなった。まるで幼子の初めてのおつかいだ。これ以上何か甘えるわけにはいかないという気持ちと、初めてのお使い同然の金銭知識の不安を天秤にかけ、僅かに揺らいだ。不安には、勝てなかった。
「……お願いしてしまっても、いいのでしょうか……?」
「ええ。幸い時間に余裕もありますから」
さて、お目当ては何ですかと正面を向き直した背中のすぐ後ろを歩きながら、ちろりと彼の顔を見上げた。ひと月前からしてみれば考えられない距離感だ。何者かを疑われ続けた結果、何者ですらなかったナマエなど彼にしてみればひ弱なそこらの武官と変わりない。恩返しのためにいるというのに、恩を受けてばかりだ。
「有り難うございます」
「観光としては、不慣れな場所でしょう」
巡回警備中はアルサスがいたので、確かに一人で目的をもって歩くのは初めてであった。もう一度謝罪とお礼を伝えれば、そんなことより目的は何かと急かされた。時間は有限なのだ。無駄にしては申し訳ない。服ですと伝えると、心なしか微妙な顔をされたのに笑いそうになり必死にこらえた。これは買い物に出かけたユーリの顔と同じである。思わぬところに懐かしさの片鱗を見つけ、思うことは同じなのかと知った。
王宮に戻ると偶然すれ違ったロゼと夕飯を取り、風呂を済ませてベッドに飛び乗った。埃が立つと叱られた声に生返事を返すと、楽しげな声で核心を突かれる。
「で、今日はどうだったの? 一人でも大丈夫だった?」
王宮に戻ってすぐに分かれたので、彼女はジャーファルといるところを見ていなかった。今日の何を話せばいいのか悶々と悩みながら、ベッド脇のチェストの上に置いてある小箱を持ち上げ、ロゼの方を向きながら蓋を開けた。
「随分、手持ちが寂しくなったんじゃない?」
「……斯く斯くしかじかで、ジャーファルさんに買っていただきました」
「それは割愛していい話ではないわね」
ずんずんとナマエのベッドに侵略してくる彼女に苦笑をもらしながら、そのピアスを初めて手に取る。以前のものより断然軽いが、厚みのある銀はそれなりに重い。値段を聞いたところで手持ちは足らないと気付いていたので聞かなかったが、これは中々手が出せない程には高価だったのではないだろうか。持つ手が震えそうになるが、頂いたからには大切に使うことが礼儀だ。両耳に垂れ下がる重みに、酷く安心感を覚えた。
――そういえば、今まで持っていた物を新調したのは初めてだ。もし、この長剣も折れてしまえば、あの世界の物がどんどんなくなってしまっていくのではないか。それは言いようのない不安や寂寞を引き連れてくる。世界のつながりを少しずつ断たれていくのだ。けれど、ここで生きる覚悟もしなければならない。帰ることができなければ、生きる世界はここになるのだと、分かってはいるのだ。
これが、その覚悟の対価であるというのならば。横で経緯をひたすら聞いてくるロゼの声に返事をしながら、拳を強く握りしめた。
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