――遡り、ナマエと二人が戦闘を続けていた頃。
踏みつけられた足は、依然頭蓋を踏み割らんとしている。先程の衝撃で手足がしびれ、這いつくばるまま動けずにいるナマエを薄ら笑いながら、二人は取引先について話をしていた。
短剣は握ったままだというのに、視線を向けられもしない。完全に事は片付いたとばかりに気を抜いているようだ。
視線を持ち上げて、アルサスを映した。胸は動いている。呼吸を、している。まだ、生きている。血だまりが広がりつつあるところを見るに、もう長くはもたないだろう。ナマエの体とて、肋骨は二、三本折れて動くたびに中身がちぎれるような痛みにうめく。けほ、と噎せれば鉄錆の味が口の中に広がる。浅い呼吸ばかりで、脳内も徐々にぼやけてきていた。
――また、守れないのだろうか。こんなにも目の前に、正体不明の敵ですらない、たった二人の相手を前に、為す術がないと終わっていいのだろうか。中身の痛さなど、あの日に比べたら動ける。今、動かなければ、アルサスを助けることはできない。見捨ててしまうことになる。それは、だめだ。


「たすけて……!」


頭上からはっきりと、声が落ちてきた。二人には聞こえなかったらしいその声は、まだ幼い少女の声のようだ。屋上に数人いたことは目視済みだ。その中に、既に捕まっていた誰かがいたとするならば、尚更、今動かなければ。――きっと、怒られてしまう。


「……ッ」
「――明日にでも荷を積んで……ッうぐあああ!」
「っまだ動けるとは……!」


踏みつけていた足を突き刺し、一瞬浮いたところで頭を抜いた。次いで、軸足になっていた片足も突き刺して後退する。奥の金髪の男が長剣を抜いた。こちらの間合いに入るより前に、巨体の男を倒さなければまた不利になる。
怒りに任せて振るわれた拳を流し、短剣の柄を握り込んで鳩尾を殴りつけた。がっと空気を吐き出した隙に両手を地面に突き蹴り上げる。
――マスルールの方が、断然速かった。彼の拳の方が、より重かった。
足で踏ん張ることもできないらしい男は容易に吹き飛び、予期せぬことに背後にいた金髪の男が左足を軸に右方へ回避した。巨体を影に死角より飛び出し、短剣を平に構えて突きと足技で奇襲をかける。
よろけた男から距離を取りがてら、動いた巨体の右肩に短剣を投げる。そして、彼の額に目掛けて蹴りを入れ、後方の壁に押し込めてから、短剣を引き抜いた。まずは一人。


「くそっ…! なんなんだお前は……!」
「……この国の、武官です!」


切っ先に纏わりついた血を振り払い、再び構えれば、男は苛立たしそうに踏み込んできた。相変わらず一歩の飛躍が大きい。けれど、徒手空拳は苦手なようだ。
間合いに飛びこむなり上段からの一閃。躱しきれなかった切っ先が額を掠める。
――シャルルカンの方が、素早い。彼の剣さばきはより、空を切るように滑らかだ。
躱されたと分かった瞬間に半歩引いた男。その後追うように飛び込んで右手で顔面にブロー、右足を軸にいきおいそのまま左足を側頭部に決めた。直撃の感触だ。しばらくは脳震盪で立つこともままならないだろう。


「ぐ、う…!」
「っ、は」


どさりと男が倒れ伏す。これで、二人。
肺の奥でなにかが溜まっていく感覚だ。口から吐き出たのは鮮やかなそれで、口角を拭ってから一度膝をついた。まだ、屋上にいる。薄霧が広がっている。まだ、終わっていない。
廃材置き場を漁れば手足を結ぶには丁度いい半端なロープが出てきた。一応二人ともをそれで捕縛し、適当な距離をあけて並べた。そして、倒れるアルサスに近づいて、落ちていたショールとアルサス自身のターバンで腹部の傷を止血する。あと一人、いるはずだが見渡してもいない所を見るに路地裏にいるのかもしれない。


「……すぐに、戻ります」


戦闘が終わらなければ、救援も呼びに行けない。ここはまだ、上階のジャーファルをサポートしにいかなければ。
額から流れる血を拭い、手頃な資材と配管を足場に思い切り駆けあがった。
屋上へと飛び出せば、五人の男と担がれる布袋を見つける。恐らく、それの中に少女がいるのだろう。抱える男に斬りかかるもわずかに避けられ、着地と同時に腹部を蹴り上げ顎を拳で突き上げた。勢い余って投げられた布袋は足場のない空へ放られた。
屋上の段差を踏む。飛び出した空は、今日は薄暗い。白い何かが反射するのが見えて視線を寄越せば、ジャーファルがいた。
――ならばきっと、飛び降りても引き上げてくれる。伸ばした両手は袋を抱え、落ちた。


「ナマエ!」


赤い縄が身体を留める。後でなんて無茶なことを、とでも小言を言われてしまいそうだと、少しだけ笑った。



*     *     *



少女も取り返し、あとは屋上にいる彼らのみとなった。
恐らくリーダー格であったのだろう金髪の男が現れないことに、どよめきが広がっているようだ。退散すべきか交戦すべきかざわつく間、腹を蹴られた男一人が今にも斬り殺したいとばかりにまくし立てている。そして、制止を振り切り飛び出してきた。その後ろで、全員が屋上から飛び降りた。


「っ逃がすか…!」
「ジャーファルさん、お願いします!」


飛び掛かってきた男の大剣を短剣でいなし、間合いを取りながら機をてらう。男はひとまず、彼女に任せた方がいいだろう。降りて行った男たちを追うべく屋上の壁に足をかけ眼下を見下ろせば、ナマエがいなした二人を抱えて走り出す影を見つける。影は散りながら走っており、飛び降りながらも金髪の男だけはと票を投げる。担いでいた若そうな男が身軽に避けるも、一人を抱えたままでは到底逃げられるはずもない。二人をまとめて片手で拿捕し、次いで左方に逃げた影を左の票でとらえる。木々の合間を抜けていく所為で難しいが、大腿を貫き、絡め取ればもう一人も捕らえた。
大凡同時に、飛び降りる気配を感じて見上げると、少女を抱えたナマエがせり出した窓枠などを足場にゆっくりと地面に着地する。それからやんわりと少女を離した瞬間、どさりとそのまま倒れ込んだ。


「っ……ナマエ!!」
「……は、はい、すみ、ません。骨が折れていた、ようで、追いかけられそうに……」


すっかり目の冴えたらしい少女に仰向けになるのを手を借りながら、彼女は呼吸も辛そうにそういった。肋骨が折れているならば、臓器の損傷も考慮しなくてはならない。
申し訳ありません、と唇をかみながらそういう彼女は、けれどゆっくりと起き上がって、膝に手を突きながら立ち上がった。少女はぴったりとその足に張り付いて、離れる様子はない。
票で拘束しているためにその場からは動けないジャーファルが、いくら横になっていなさいと告げたところで彼女は立ち止まらなかった。
ずり、と足を引きづりながら、ナマエは倒れ伏す仲間の一人に近づき、片膝をつくと、男の肩を叩く。


「あ、るさす、さん、起きて下さい、アル、さん」
「――……、…」


こちらには声まで聞こえはしないが、唇が動いたような気がした。彼女はまた立ち上がり、路地裏へと入っていく。恐らく仲間はもういないだろうが、あまり一人で立ち入ってほしくはない。はらはらとした面持ちでしばらく路地裏を睨んでいれば、引きずる音と共に、彼女と少女が現れた。


「リーエン、さん、分かり、ますか、リーエン、副、隊長、」
「……、……ナマエ、か、すま、な…い、な」


アルサスと呼ばれた男の隣に、もう一人を並べ、ようやく彼女は尻餅をつくようにして腰を下ろした。それから、リーエンの胸元に下がる、笛を取り、少女に渡す。


「ごめ、んね。三回、吹いて、もらっても、いい…?」


こくりと頷いた少女が、大きく息を吸って、三回、透明な音が、空に響いた。
どさりと倒れ込んだナマエは、静かに、泣いていた。その理由などと、聞くまでもなかった。


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