強敵に甘んじる

人間関係というものはここまで恨み妬み嫌悪で捩れるものなのだと恐らく初めて知ったのは、入学して間もないクラス内の戦闘訓練だった。爆豪という男はその名の通り激烈な性格と個性をしていて、彼の視線の先には大抵幼馴染の緑谷出久がいた。彼は爆豪とは似つかない穏やかな性格をしていて、時折彼に感化されたのか生来のものなのか、激情を発露させることはあったが基本的には人畜無害のような男だった。そんな緑谷には双子の名前がいて、彼女は普通科に通っている世にも珍しい"無個性"だと噂されていた。USJ事件の後、保健室で休んでいた出久を待ちながらにした会話では、出久とは異なる個性なのだと言っていた。そのあとに爆豪と彼女の「俺を騙してたんだろ」というあの問答の正解などいつになっても分からないが、そういう一言が弾けるほどには彼らの間には"個性"という絶対的なものが立ちはだかっていたのだと思う。
体育祭、六月の事件、職場体験、夏合宿、インターン、文化祭、A組B組対抗戦、その他諸々の出来事を経て、緑谷の双子は全く異なる個性を有していて、且つ、名前はヒーローを好ましいと思っていないということが分かった。それでも、緑谷出久も爆豪勝己も、プロヒーローになるための正しい過程を着実に踏んでいった。
この三人の止むことのない波紋のような関係性は、高校一年生の冬頃にもなると様相を変容させてきた。

そんな、或る冬の日。
数年に一度、関東都心で大雪が降ることがある。そういう年は例外なく雄英高校も一面真白に染まるうえに、足首まですっぽりと覆われるほどになるのだ。
昨日の夜にそんなしんしんと降り続けていた粒の大きい雪のせいで、朝からハイツアライアンスの前は雪かき作業に追われていた。サポート科は自身で作成したロボットで普通科、経営科の寮前を整備してくれるそうだが、ヒーロー科はこれも経験"プルスウルトラ"だと頑丈なスコップを一本一本手渡しされた。
ちなみに個性は使っていいとのことだったが、そうなると轟の左手で事が済んでしまう。爆豪の爆破では周辺を破壊しかねなく、プルスウルトラだと言われた手前、誰か一人の個性に頼るのも、という誰が言ったか漢らしい一言で、個性は使用せず純粋な筋力のみで雪を掻くこととなった。
こういう冬ならではの訓練もいつかは役に立つことがあるかもしれない。
切島はドア前の階段を掻きながら、袖をまくって汗を拭った。


「…え、ヒーロー科って手作業なの?」


唐突に弾けた声に顔を上げると、恐らく教科書が詰まっているのだろうトートバックを提げた名前が雪のないタイルの上を歩いていた。


「おはよー名前ちゃん! まあヒーローになったらこういうこともあるかもだし」


芦戸が通路あたりの雪を掻きながら、積もらせた雪だまりにスコップを差し込んで腰に手を当てる。


「スコップ無重力だからまだ楽だけどねー」
「雪もできたらもっと楽なんやけどね」


耳当てを外して白い息を吐きながら笑う麗日の担当区域はすっかり綺麗になっていた。方々に散っていたクラスメイトの仕事も殆ど終わっているようで、名前は雪のない地面を歩きながら大変だなあとぽつりと零した。


「あ? ンでお前が来とんだ」


裏手を清掃していた組も終わったようで、スコップを肩にぞろぞろと寮の前に全員が揃った。すっかり雪は脇に寄せられて、なんだか風情の欠片もないなと笑ってやってきた瀬呂の声に同感した。
それからふっと爆豪たちの方を見遣る。
――勝己君、とこぼした声と表情が変わったなと思う。切島にとって彼女は仲のいいと形容するような関係性ではないと思うが、それでも爆豪や出久とともにいれば彼女と大抵関わり合うのだ。二人を目にした最初の頃、名前が爆豪を見る目はまるで、敵でも睨むようなものだったと思う。呼ぶ名前こそ変わりはないがその声音は冷たく思えていたし、こんなふうに彼の前で笑うことなどなかった。


「いずが一緒に勉強しよって。私といず、得意なのと苦手なの、真逆だから」
「あ、かっちゃんも化学得意だったよね? この間小テスト満点じゃなかった?」
「そうなの? 私化学ダメで…教えて勝己君」


困った様に眉尻を下げる顔は出久にそっくりだと思うが、爆豪はいつもどこが似ているかと一刀両断に切り捨てる。幼馴染の彼にしか分からないものがあるのだろう。そういう関係性は、少し羨ましい。


「あ? あんなもん暗記以外ねーだろーが。要領悪ィな」
「暗記の前に意味が分からないの」
「二人ともさ、とりあえず寒いから中入ろうよ」


だんだんと言い合いじみてくる二人にまあまあと似たような顔を浮かべて間に入る出久を横目見ながら、玄関を開ける。顔は出久にそっくりだが、中身の気の強さは爆豪に通じるところもあるのかもしれない。同じ中学だったという名も顔も知らぬ誰かの風の噂に聞くと、名前が爆豪を叩いたこともあるそうだ。それが嘘か本当かは確かめようとも思わないが、初期の彼らを見るとそういうことももしかしたらあったのかもしれないとも思う。そういう激情を名前も持ち合わせていた場面を知らないわけではない。


「なんか痴話喧嘩って感じだな」


瀬呂の言葉に母音を一つこぼしながら玄関で靴を脱いでいると、外で弾けた危ねえの一声に振り返る。どうやら名前が溶けかけた雪に足を滑らせたようだった。出久の右手よりも爆豪の方が一歩早く彼女の身体を抱き止めていて、また小言が静かな朝に喧々と響いていた。


「爆豪って意外と過保護なタイプっぽくない?」


芦戸が靴箱にブーツをしまい込みながら、笑う。葉隠や上鳴、耳郎が確かにと後に続いた。なんとなく脳裏には夏合宿のことが浮かんでいて、反動何だろうかとも思ったが声にすることもなく飲み込んだ。

リビングで暖を取りながら、ソファ席に爆豪と出久、名前が並んでいた。大テーブルに八百万、上鳴、耳郎、芦戸、葉隠が。その他各々距離を取りながらリビングで、あるいは自室に戻って勉強にいそしんでいた。切島や瀬呂は向かい合って座りながらも別の教科書を広げていて、なんとなく横目でソファ席の三人を眺めていた。
名前の隣には爆豪がいて、正面に出久がいる。教える教科としてはその配置がいいのだろうが、どことなくハラハラとしてしまうのは、出久の表情に目がいってしまうからだと思う。
――爆豪と名前の関係性に名前をつけるような何かがあるとははっきりとは言えない。彼から直接名前とどうなったとは聞いていないからだ。ただ切島が勝手にそうなのだろうと想像していて、それに瀬呂や上鳴もそれとなくそんなふうに思っていると認識の共有をしたくらいだ。そもそも爆豪が改まってそんなことを伝えに来るというのも想像できない。下手に口を出すよりは静観するに限るなと言ったのは瀬呂であったと思うが、正直に言って上鳴の「すげえ気になるけど」という言葉には頷くほかなかった。ただ、出久の今の表情を見るにやはり強ち間違いではないのだろうなとは思う。世の兄妹がどんなものかは分からないが、少なくとも目の前の兄――双子を兄や妹というのはどうなのだろう――は妹のそういう事情に思うところを隠せないという顔を浮かべている。この双子は兎角顔で物語る。


「これはどういうことですか」
「さっきも言っただろうが、ここにベンゼン環があって――」


芳香族がどうのとつらつらと言葉を並べる爆豪の声は穏やかだ。切島や上鳴の勉強を見てくれるときもあったが、あの時とは遠く及ばない所謂優しさというものを感じる。
雄英高校に入学している時点で飲み込みは皆悪くないと自負しているが、彼女も違わずにそのようで、爆豪の言葉に納得をしながら進んでいるようだ。


「……近くない?」
「うお!? 何だよ芦戸…唐突に…」


八百万のグループが一旦休憩に入ったのか、背後からのっそりとやってきた芦戸が同じようにソファ席を視線に移しながらそう言った。小テストの解き直しをしていた瀬呂も顔をあげて伸びをすると、薄っすらと笑った。


「いやあ、大体思ってんじゃね」


小声で呟かれた瀬呂の声に、思わず周囲を見渡す。上鳴は勿論気にしているし、女子は大概だ。外れの席にいる常闇や砂籐はそういう話は我関せずという精神なのだろう。ほかのメンバーはここにいないから何とも言えないが、もしもこの場にいたらそう言うのかもしれない。
爆豪が不意に立ち上がる。思わず肩を震わせてしまうのは彼を意識していたからで、そんな様子に訝しむような目線を寄越すがそのまま席を立った。彼の姿がリビングから消え去ったところで、出久の「名前」と呼ぶ硬い声が響いた。


「? なに?」
「はい、立って」
「?」
「そんで、こっち」


出久はポスっと左隣を手で叩きながら名前をそこに呼ぶ。疑問符を浮かべながら素直にその移動に応じた名前に何食わぬ顔で英語を教わり始めたものだから、芦戸が机に突っ伏した。瀬呂も天井を仰ぎながら顔を手で覆っていて、上鳴の方からは堪えきれずに吹きだす音が聞こえた。それを乱暴にフォローするような耳郎の咳払いが続き、そんな空気がややも続いたところで爆豪が返ってきた。


「……ッ」


上鳴が堪えられていない。
一瞬動きが止まった爆豪を見上げる出久との間に火花が散っているのが見える。その出久の隣に座る名前は手元から目を離していないせいで、頭上で繰り広げられる無言の言い合いに気づいていない。


「…っ、ふ、く」


芦戸が隣で終ぞ声を漏らした。
爆豪が唇を引きつらせながら、ソファにどかりと座り込む。恐らく、この緑谷の顔はしばらくは忘れられそうにもないほど清々しかった。
爆豪と出久は積年のライバルと表現するに相応しく、そして爆豪は生粋の負けず嫌いだった。とくに出久には何かと張り合っていて、彼の後ろを歩くなどそれがどんな何かであったとしても許さなかった。そうだというのに、彼は眉間に皺をこれでもかと言うほど寄せてはいるが噛み付くことなく押し黙ることを選んだ。
――名前にとって出久はかけがえのないたった一人の兄妹だった。爆豪が出久に向ける謗りを知らないわけではないが、当の出久があっけらかんとしているせいでA組では最早そのことについては口を出さないと決めている。そうして、それらが少しずつ変わっている様を知っている。切島でさえ思うのだ。名前ならば、より間近に思うところもあるのだろう。
だからこそ、この譲歩に息を吐いた。爆豪は爆豪なりに、名前のことも名前の家族である出久のことも、考えているのだと思う。


「…切島のその顔、どういう顔?」
「は!? え、いや、別に俺ァ…!」


うるせェと爆豪から降りかかった火の粉に、瀬呂がもう無理だと笑いながらペンを手離して爆豪の隣に座り込む。俺にも教えてくれと物理を持ち出した彼に爆豪が目の際を吊り上げて「テメェでやれやクソ」と出久に向けそびれた最大限の不満を瀬呂に投げかけていて、上鳴がその様に便乗しはじめた。おかげで随分と騒々しくなったリビングに誰のともつかない笑い声が波打っていて、ソファにもたれていた同じ顔が二つ、やはり同じような顔をして笑っていたのに爆豪はきっと安心しているのだろうなと、窓ガラスに映る彼を見ながらそう思った。


それとなくいちゃつけなかった集 いち

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