世の中、理不尽なことだらけだと思う。
朝から満員の電車に挟まれながら、僅かな酸素を求めて上を仰ぐ。肩辺りまで伸ばした髪をハーフアップに結ったところで、毎朝毎朝この超満員でぼさぼさになるのだからいい加減効率を考えてばっさり切ってもいいかもしれない。
上を仰ぎながらも最早日課になっている昨晩から今朝にかけてのネットニュースを読み漁る。車内から聞こえる声は昨夜のオールマイトの活躍を話していて、誰も、今朝起きたエンデヴァーが迅速に解決したニュースの話などしていない。
――名前は、ずっとエンデヴァーが好きだった。幼かったあの日から、名前にとってのヒーローはエンデヴァーただ一人で、それはこれから先も変わることなどない。
オールマイトのように笑うことも手を振ることも雄弁に物語ることもしないけれど、だからといってエンデヴァーがオールマイトよりもヒーローらしくないなどと、そんなことがあるだろうか。――彼とオールマイトに、どれだけの違いがあるだろう。事件解決数は史上最多を誇っている。あのオールマイトよりも、誰かを救っていることは確かであるはずなのに。
ぎゅうと、携帯を握りしめる。
いくつかのエンデヴァーの記事を読み漁っていくうちに、何年か前に見た週刊誌に辿り着いた。
――根も葉もない、よくある週刊誌のゴシップのはずだ。
つい先日の授業を思い出す。右手と左手の矛盾を表す焦凍という文字。赤と白の髪。淡い青緑の左目。燃え盛る半身を拒む清廉な氷。
それでも、もしそうだとしても、きっとエンデヴァーのフォロワーであることをやめるわけではないのだけれど。

教室につくなり、各自の机の上には真っ黒なノートが広がっていた。
後ろの黒板には体育祭まで十四日とカウントされた文字が書かれていて、その下にアイテム申請期日がさらに大きな文字で加えられている。
――個性が大多数による常識になった頃、大昔から続いていたオリンピックという祭典は形骸化していった。多様な個性を統一化できなくなったことで、競技の続行が不可能になったためだ。それに代わるイベントとして近年注目を集めているこの雄英高校の体育祭というものは、民間のイベントでは珍しいスタジアム内で一日限りの個性使用が許されたもので、普段は公共の場での個性使用は罰される抑圧された社会において一種の吐き口のような位置づけになっていた。そういうことからか、テレビの視聴率は毎日のニュースにも劣らず、スタジアムの観客席は空席を見つけることの方が困難を極める。そんな体育祭は個性の強さが物を言うおかげで、ヒーロー科以外はお飾りも同然だった。いや、厳密に付け加えるならば、ヒーロー科とサポート科の一部以外、ということになるかもしれない。


「二週間後の体育祭に向けて各々開発に専念していることかと思うが、持ち込んでいいのは自前のものだけだからな。開発したものには個人番号を登録していると思うが、間違っても他人の背負って出ると一発で分かるうえにペナルティとして工房の使用制限を課すから、くれぐれも注意願いたい。あと申請忘れ、とくに発目」


将来有望な生徒のヘッドハンティングが目的の体育祭は毎年その能力を推し量るために競技内容は熾烈だった。
学科方針から客観的に個性を分析する自由参加の経営科と、盛り上げるための強制参加が促される普通科とサポート科という構図になるが、このサポート科もサポートアイテムを作るためには頭だけでは足りないんだよという方針に従っている。正直運動音痴も多いサポート科にとっては体育祭など中学の頃からの苦手イベントであったが、自分で開発したアイテムに限り持ち込みを許可するという妥協案に全員が熱烈な参加を申し出た。

そんな日の放課後の事である。
いそいそと工房へ向かう準備をしていると、俄かに廊下が騒がしくなっているのに気付いた。隣にいた発目も何事かと廊下を見やると、何人かの生徒が携帯を片手にヒーロー科に行こうという旨の会話を漏れ聞いた。


「なんだろう」
「さぁ? あまり興味がないので、私はこのまま工房に行っちゃいますね」


彼女らしい発言に同意をもらしつつも野次馬の精神に打ち勝てず、鞄を片手にその波の方に向かうことにした。人だかりはどうやら話の通りA組周辺にできていて、誰彼から聞こえる会話をまとめるに、「今度の体育祭で会敵経験のあるA組の敵情視察をしよう」というものだった。敵情視察も何も、個性を使ってもいないこんな日常の一風景をこんな大勢で囲ったところで意味など果たしてあるのだろうか。この騒ぎの正体が分かると興味も失せて、踵を返そうとして、足を止めた。
――A組だ。生徒が固まる前のドアではなく後ろからちらりと教室の中を窺う。
どうやら、もう既に帰宅を済ませてしまったようでどこにも見当たらない。いや、見かけたところで、どんな声をかけるつもりだったのかと内心笑いながら、振り返った瞬間。どんと誰かの腕にぶつかった。


「す、みませ――」
「ああ、悪ィ」


顔を上げて、それから停止。
目の冴えるような赤い髪。長い前髪の下にある薄い青緑のような瞳。爛れて変色した皮膚。
――こちらを見下ろす目元はエンデヴァーにそっくりだ。突き刺すような雰囲気も、どことなく彼を彷彿とさせる。それでもやはり、彼の右側は赤に反して真っ白だった。
轟、焦凍君。意図せずして、口元で弾けた名前に彼の眉間に深く皺が刻まれた。


「……何か用か」


不愉快そうに目を細める彼に足を一歩引くと、ドアにがたりと背中をぶつけた。思いのほか大きな音を立ててしまったせいで、人だかりの目線がこちらに移る。
温度のない冷たい双眸が名前を射抜く。
彼の右手は、冷たいのだろうか。あの日の燃え滾った手に溶かされてしまうほどの、あるいは、あの豪炎を凍てつくさんばかりの鋭い氷の右手。
何をいうことなどできるはずもなく、凍り付いた足で床を蹴る。彼の横を走り抜けて逃げてしまってから、たった一つ、疑念が確信に変わった。

ひどい熱を孕んでいる