個性を発現したばかりの頃は、大抵の子供が知らず知らずのうちに個性が暴走してしまうなんていうのはよくある話だった。
例に漏れずに名前も四歳と数ヶ月が経った或る日、家でたまたま見ていた何かの番組に驚いて個性を暴走させてしまったのだ。名前の個性は周囲の空気が冷えるくらいのものだったはずだというのに、その時は驚いた拍子と年明け一番の最低気温だったということもあってか自宅がまるまる凍りついてしまった。両親ともに似たような個性ではあったものの名前の方が強くなっていたために、かろうじて意識はあったが身体は凍りついて最早動ける状態ではなかった。そんな父と母の姿に更に怯えてしまった反動で、名前の周りの空気に含まれていた水分が悉く氷塊と化して、誰も手の打ちようがなくなった。
そんな時、偶然に近くで出動していたエンデヴァーが要請を受けて駆けつけたのだ。


『――ぅあああん、お、かあ、さあん、おとお、さん…っ!』


まるで氷の孤城だと思った。微かに聞こえていた父と母の声が遠のいていく。自分の泣き声ばかりが、冷たい世界で響いていた。
視界を四方八方遮る氷塊が、音を立てて崩れたのはそれからややもしないうちで、凍えた身体には痛いほどの熱が背後から現れた。どろりと氷の城が溶けていく。天井からぽたぽたと水滴が垂れては、彼の滾るような炎の上で蒸発していった。


『――…大丈夫か』


家の中だというのに、雨に濡れていた。彼は――エンデヴァーは、たったそれだけをいうと、名前に手を差し伸べてくれた。
もう大丈夫だ、私がきた。よくテレビで流れていたそんな台詞などよりも、孤城を打ち砕いて差し伸べた手の先にあった不器用な言葉の羅列が、何よりも眩く聞こえた。



***

ふっと目が覚めた。夢の名残りさえ思い出せない程に瞬間的に冴えた頭で、視界に映された白い天井からここが保健室なのだとすぐに理解した。


「…おや、目が覚めたかい」


勢いよく布団を剥いで身を起こし、声のした方へと見やればリカバリーガールと――。


「緑谷君…?」
「うエッはい! 緑谷出久です!?」
「……こんにちは…?」
「や、あ、君も大丈夫そうだね…? ヨカッタ」


包帯が分厚く巻かれた右腕を首から吊っている彼は、部屋を出て行こうとしていたようだ。見ず知らずの女子に名前を呼ばれれば驚きもするかと気持ちも分かるが、それにしても彼の表情は豊かだった。左手で顔やら隣の男やらを覆いながら定まらない視線が泳ぎ切っている。
腕の奥にいた金髪の細長い男は歪な笑みを浮かべて手をあげている。どことなく誰かに似ているのだがてんで思い出せそうにもない。親しげな雰囲気からして、緑谷の親戚筋の誰かだろうか。
あまりジロジロと見ることも憚れて、布団を握っていた手元に視線を移す。
二人はこそこそと話をした後、リカバリーガールに礼を言うとすぐに出ていった。
彼女はふうと溜息を吐きながら二人の背中を見送ると、名前の元まで歩み寄って白衣のポケットからチョコレート菓子を取り出した。


「頭もどこも打っちゃいないようだし、大丈夫ならあんたも戻りな」
「あ、ハイ…すみません」


菓子を受け取る。
名前の手の中に収まったチョコレート菓子の包装の角に霜が降りる。まだ、どきどきと心臓が慄いていて、息を吸いこんだ。


「…あの、リカバリーガール」
「何さね」
「……あ、いえ…すみません、なんでもないです。有り難うございました」


ぐしゃりと菓子を握りこむ。ビニールの包装も、少し経てば普通の状態に戻っていた。
ベッドから滑るように降りて布団を整え、逃げるように保健室を後にした。蛍光灯の無味な灯りが廊下に反射していて、髪を整えながらそれらを踏むように歩く。
轟の左手から炎が上がった直後、エンデヴァーの声がした。もしかしたら警備か何かで呼ばれていたのかもしれない。倒れる直前に姿を見つけられなくて、よかった。
――個性婚の事実を知っても、エンデヴァーを応援していた。さらに追い討ちをかけるように"相手に強いた"個性婚という機械的な関係性で生まれた轟が左手を使わなかった様を見て、今はどう思っているだろう。
階段を一つ一つ上っていく。
――それでもやはり、エンデヴァーは名前にとって変わらずにヒーローだった。永遠に続くと思っていた孤独を溶かしてくれたのは紛れもない彼だ。ヒーローとしてのエンデヴァーは、正しかったのだ。
生徒用観客席の矢印に従って一階の廊下を突き進む。スタジアムの歓声が反響していて、それがなんだか余計に頭の中をかき混ぜていった。
エンデヴァーのように、堂々としていて、何より強く真っ直ぐな人になりたいと思った。
名前を救けてくれたエンデヴァーの個性はひどく熱がこもって、彼はそれのために長期戦は向いていないので彼の熱を逃すサポートアイテムを作りたいと思った。恩返しがしたいという表現が適当だったのかもしれない。名前がここに立っている理由は、エンデヴァーの役に立ちたかったからだ。今も、それに変わりはない。変わりがないと、そう言ってしまってもいいのだろうかと思考している回路をどうすればいいのか測り兼ねている。
いつの間にか下ばかりを向いて歩いていた。とぼとぼと細かな足取りで進んでいた道は間違っていたようで、左側に連なるドアの横には生徒用控室一、ニと書かれた看板が貼ってあった。
どうやら個人戦に出る生徒のための控室があるフロアに来てしまったようで、急いで右足を引いて身を翻した。
――ガチャリと、タイミング悪くドアが開かれる音。
振り向かなければいいというのに、こういう時どうしてだか音の正体を確認したがる。ゆっくりと首を後ろに捻ると、轟が部屋から丁度出てくるところだった。彼もこちらに気付いたようで、名前に一瞥をくれるとぴたりと足を止めた。


「…あ、」


彼もこちらを見ているというのに一向に視線が交わる気配がないのは、轟の目が名前の頭のあたりを映していたからなのだろう。不可解な視線に前髪に手を添える。轟は瞬きを一つだけすると、小さな声をこぼした。


「…あんたも、白いな」
「…え」


それだけをいうと、彼はふいと顔を背けて歩き始めた。
丸めているわけではない背中を寂しそうだと言ってしまうには、彼のことなど何一つとして知らなかった。

彼の孤城は白いか赤いか