馴染まない色
其処に拍車をかけるようにバレーの練習前に唐突に引き留められて自己満足な告白に付き合わされれば、ぷつんと腹の奥底で糸が切れるような感覚を覚えたのだ。――要は、八つ当たりだったわけだ。
『…最低やわ』
泣き顔を浮かべた女子生徒が駆けていった背中を庇うように現れた、矢張り見たこともない女はこの場の誰とも全くの無関係であるはずだというのに何故だか侑に対して腹を立てていた。次から次へと今日は厄日もいいところだと思っていた矢先に、女子にしてはどすの効いた低い声でそう吐き捨てて女は去っていった。
屋根でできた影を縫うようにずかずかと歩いていく後ろ姿の中で、ブラウンベージュのような色素の薄い髪が日差しの色をこぼしたように染まっていたのを何となく覚えている。人のことは言えないが、派手な頭をしていて更には血の気も多そうな女にとやかく言われる筋合いもないと、その日は寝るまで苛立ちを何度も噛み込んでいた。
「――あ」
職員室の前を角名と歩いていると、不意に彼の声が弾けた。声につられて顔を向けると壁側を歩いた彼が足を止め、これだよと会話の脈絡なく壁にかけられていた額縁を指差していた。
「この間侑が言ってた子、なんか見覚えあるなあって思ってたんだよね」
「は?」
入学してから初めて見た女の顔にもう一生会うこともないだろうと思っていた矢先、バレーの練習試合の会場に其奴はいた。しかも目があった途端に苦虫を噛み潰した顔をされた。何故ギャラリーにいるのかほとほと意味が分からなかった。
治に事の顛末は疾うに話してあって――その時に『八つ当たりとかほんまお前最低やわ』と言われて思わず否定はしかねた――あの時の女だと治に捲し立ててから再び見上げると、彼女は座り込んだのか姿は見えなくなっていた。
観に来たのか何をしに来たのかまるきり理解が伴わない。何やねん彼奴、と試合後に呟いたのを、そう言えば角名が拾っていたなと、数秒の間を開けて思い出した。
あー、と曖昧な母音を溢すと、角名は気に留めていないようで話を続けた。
「いつだったか、賞をもらったとかで、朝会の時ステージ上がってた」
朝焼け――いや、夕焼けだろうか、焼けた空に相反する暗い海が手前に広がっている。波立つ水面は僅かに光を反射させていて、左手の奥に薄らとした島影が描かれているその絵は、だらだらと続く職員室前の無味な白壁に馴染むことを嫌っているように思えた。
――名字名前。
額縁の真下にあるコピー用紙に印刷された名前は、四隅が剥がれかかっている。名前と顔が一致したところで呼ぶこともないだろうなと思う。ただ、我知らずすっと名前が舌先で転がった。
――異様だ。額縁の内側だけ、隔絶された世界があるように思えた。今の今まで気づきもしなかったというのに、目にして仕舞えばあんまりにひどい違和感を覚えた。
まるで波が本当に立っているかのような立体感だった。絵というものには興味もなかったが、チューブから押し出された単一の絵の具からこうも複雑な色と重なりを作ることができるのかと息を漏らした。
あの粗暴な口調の女のどこに、こんなにも繊細な一端を垣間見ることなどできただろうか。
もしかしたら、"可愛らしい女"になるための必要なステータスを全て絵を描くことに振り分けたのかもしれない。そうであるならばきっと、彼女は絵筆を捨てることなどできないのだろうなと何となく思った。
「……侑?」
ただの色のついた紙切れが一枚だ。
それも彩豊かとは言い難い、どちらかというと物寂しさを感じるような景色。見覚えのある風景に、その場所が何処であったかを探しそうになる思考回路を無理矢理に押し留めた。彼女にそうさせられたような感覚に勝手に苛立ちを腹の奥に積もらせて、スラックスのポケットに両手を突っ込んで歩き始める。
――静かな絵だ。侑の中ではあの女――名字は口煩い奴だという認識になっているが、その実そうではないのだろうかと、思考していることに気がついてどうでもいいかと息をこぼしてから、掻き消すように角名に来週の練習試合の話を持ちかけた。