手を振った



机の中を空にして、少し重たいカバンを肩にかける。
あれから、グラウンドはずっと静かなままだった。


「名前ちゃん、夏休みはどっかいくん?」


隣の席の繭がチャックを閉めながら笑いかけていた。
名前は肩にかけたカバンを机に戻して、少しだけ言いよどむ。
――もうずっと、決めていたことがあった。


「……うん、ちょっと、しなきゃいけないことがあって」


そうなんか、と彼女は心なしかしょんぼりと肩を落とした。彼女の心の中に自分がいたことが、純粋に嬉しかった。


「また、九月にね」
「うん。またね、繭ちゃん」


教室から一人二人と減っていく。
そんな彼らの背中を見つめていれば、まだ正午の日差しが窓際の机を焦がしていた。
急ぎ足に押されて乱れた机。念入りに掃除された黒板。空になったロッカー。
地方に引越しをした半年間を思い出す。誰かにいじめられていたわけでも、特別な何かがあったわけでもない。それでも、この足は学校に行くことを嫌がっていたし、心配していた親の気持ちを突っ返して引き裂いていた。
それからまた何度も越しては友達を新しくしてを繰り返していたような日々で、ようやく高校に入れば一人で暮らす選択肢もできるのだと喜んでいた。その矢先に、こうしてまた中学校に通うことになったのだ。
この半年、ずっとたった一人ぼっちだった。一人暮らしをしているようなものだと思い込むようにしていたけれど、そうではないのだと気づいていた。
死んでしまえと心にもないことを吐き出したこともある。その時のあの人の、母の、顔を、覚えてはいない。見ていなかった。
部屋に立てかけられていた写真に映る姿が、まるで遺影のようだった。


「名前、そんなところで何しとるんじゃ?」


呼ばれた声に振り返れば、ドアの向こうには永倉と原田が立っていた。


「最後じゃし、一緒に帰ろうや」


原田は、相変わらず名前の背景にある空を見ているようだった。
随分くたびれてきたカバンを肩にかけ、机の合間を縫っていく。ドアの横で待つ二人のそばに立てば、見上げた首の角度に違和感を感じた。


「……なんだか、背が伸びたねえ」


元から上背のある二人だったが、なんだか余計に、そう感じた。
そうかなと笑った永倉の表情を見ているとつられて笑ってしまって、三人で肩を並べて帰路に着いた。



竹林を抜けて、歩みを進める。ぽつりぽつりと溢れる会話は他愛もなく、あいも変わらず原田の口数は少なかった。


「それじゃ、またな二人共」


永倉が先に帰り道が別れた。
小さくなっていく背中を、意味もなくただ見つめてしまっていた。


「なに、そんな見てんの」
「あ…ううん、しばらく見納めだなって」


白くシワのないワイシャツを追いかける。太陽を反射する白が眩しくて、思わず細めてしまった目を、原田は笑った。


「すごい顔してた」
「そ、んな笑わなくても…」


恥ずかしさに顔を隠せば、彼はツボに入ったのか歩くながらもしばらくくつくつと笑っていた。


「ほら、巧、向こうでしょ帰り道」


その広い背中を小突きそうになって、やめた。


「またね」


ふわりと蒸した風が通り抜けていく。葉の掠れる音が穏やかに耳元を撫でていった。
ばいばい、と言葉はなく振った手につられたのか、原田は右手を上げて、一瞬動きを止めた。


「……また」


風に声がさらわれて、彼の澄んだ声は届かなかった。
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