****という人
三年生最後の夏の大会は出場辞退をしたが、戸村が引き合わせた横手二中との公式戦を前に練習を続けていた。
そんな過ぎ去る夏は早く、九月の始業式を迎えて、見慣れた顔がいないことに気づいた。
出席の確認の時にも、その苗字は誰にも呼ばれない。矢島の隣の席は沢口で、教室に来た永倉も、彼女の姿が見えないことに気付いていなかった。
「……名字、引っ越したのか」
どうでもいいと思っていたから、告げられることもなかったのかもしれない。
午後の練習に向けて弁当を広げながら昼食を摂っていた。
沢口も東谷も、彼女のことを知っているはずだった。だからこそ、なんら不思議はなくそう口にした。
「誰じゃそいつ」
沢口が箸を加えながらそういった言葉に、全員が頷いていた。
「だれって、二組にいただろ」
「はー? さすがに夏休み挟んでもクラスメイトの名前は覚えとるわ!」
「もしかして…原田にしか見えてなかったオトモダチ…?」
沢口と東谷がいう言葉に、ようやく箸が止まった。
永倉が二人をたしなめながらも否定はしない。
――そうか、彼女は、初めからいなかったのか。
「ほんとに、名字って誰だったんじゃ?」
屈託ない顔で、小首を傾げる永倉に、すとんとなにかが腑に落ちた。
幽霊やそういった類だったのだろうか。ついこの間まで笑っていた彼女は気のせいで、本当はどこにも存在なんてしていない幻だったのだろうか。
なんでもない、と一言片付けて早々に練習に移った原田に、誰も何も言わなかった。
家に帰って青波にも聞いてみようか、洋三も話したことがあったはずだ。そう思い出して、部屋から出ようとベッドから起き上がった身体を再び沈めた。
――これ以上、本当に彼女がいなかったのだと叩きつけられればどうしていいのかわからなかった。
名字名前はただのクラスメイトだ。一軒家に住んでいて、親はいつもいないようで一人で買い物にいくような人。たまたま入学式前に出会って、たまたま同じ学校で同じクラスになり、席も近くて、それでいて、冷たい水に似た心地よい声で笑っていた人。
終業式の日に手を振った姿を思い出す。
またねと笑った彼女は、本当に夢だったのか。
――そんなはずが、ない。
けれど、誰も名字名前を覚えてなどいなかった。
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