ぽつりと弾ける
入学式から数日。
校門で行われた抜き打ち服装検査にも引っ掛からず、至って普通に登校した名前は人知れずため息を吐いた。
そう、服装検査にも引っ掛からず、至って普通に登校したのだ。それが何故、こんなことになっているのだろうか。
事の発端は数分前。
新田東中は風紀委員による朝の服装検査が恒例らしく、今日も例に漏れず行っていた。名前自身違反などしているわけがないという自信があったので堂々と歩いていれば、やはり風紀委員の目に留まることもなく登校できた。
携帯がもってこれないというのは少し残念ではあるが、メールをする相手などいるはずもないため必要もなく。そんなふうに考えながらいつも通り歩いていると、後ろから慌ただしい声が聞こえた。
「これ、キャンディーと違う!?」
(ありゃ、違反かな?)
野次馬精神、というと何だか不本意な気もするが、気になってしまうのは仕方ないことだと思う。
彼女は前に進んだ右足を戻し、くるりと振り返って人並みに紛れた。
「……っ(た、巧!?)」
人盛りの中心にいたのは、見覚えのある顔――原田だった。あちゃー、と口から独り言とため息がこぼれ、相変わらず目付きの悪い彼を見つめた。
ポケットに手を突っ込んだまま風紀委員の女の子を睨めあげている。
遠巻きで見てるほうがひやひやしてきて、少し喉が渇いた。
そして、先輩らしき男子が原田のポケットに突っ込んだままの右手に掴んだ瞬間。
「はなせ」
「うわっ」
「きゃ」
振り払った右手によってバランスを崩した先輩の男子の背中が、後ろにいた女の子にぶつかった。
名前は比較的前の方にいたので人垣をすぐに抜けられ、手を伸ばして彼女が尻餅をつく寸でに支える。
しかし転び方があまり良くなかったため、スカートがひらりと翻った。ざわと周囲が声をあげ、その中にブルマがどうだのと心にもない言葉が耳を掠める。女の子は俯き顔を真っ赤にさせて嗚咽をもらしはじめた。
「おい! お前ら何しとる! なんだこの騒ぎは!」
ややあって、朝の服装検査は先生の登場によって解散となる。女の子の近くにいた名前までもが、何故か職員室連行という原田の巻き添えを食らうこととなった。
そして、冒頭に至る。
「……はあ……」
人知れず零したため息は、校内のの喧騒に紛れて消えた。
隣でまるで他人事のように平然とした顔をする渦中の彼、原田は右手をポケットの中に突っ込んだまま担任の草薙のあとを歩く。
途中でふらりと現れた年若い女性が彼と親しげに――といっても原田は相変わらずの無愛想だけど――話しているのを横目見て、再びため息。
「あら、でもどないして名字さんも?」
「なんででしょう、私何も引っかかってないですよ」
彼女は長い髪を歩くたびになびかせて、原田越しに名前を見遣った。
薄化粧の奥に潜む綺麗な黒目が、僅かに細まる。
それから前を歩く草薙の肩に手を伸ばし、身を乗り出してぽつりと短く話した後、
「教室に戻ってもらってええよ、理由もなく行く必要なんてあらへんものね」
それを早くに言って欲しかった。
名前は顔に出さないように「いいんですか」と聞き返して立ち止まり、彼女が笑顔で頷いた事でくるりと躊躇いなく踵を返した。
「頑張ってね巧」とつぶやけば、彼は視線をどこかへ放って唇だけで返事をする。
右手は相変らずポケットの中の白球に触れていた。
(そういえばあの先生だれだっけ)
「仲ええのね」
あまりに中学生らしくない仏頂面を顔面に貼り付けた原田のことを「巧」と呼んでいたから、別段深い意味もなくただ少しの驚きでそう言った。
原田は一瞬彼女を見上げ、それから小さく下唇を噛んで瞬きをひとつした。
「べつに」
草薙が職員室前の扉に立ちこちらを見ては急かしている。
指先に感じる白球の縫い目が、今だけはやけに熱く感じたような気がした。
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