未来はいつも
物心ついた頃から、親というものは存在しなかった。似たような境遇が集まる施設で育った俺は周囲から浮いていたと思う。多くが男の子が多かったせいか口調も粗雑に、淑やかさとは無縁の日々を重ね続けて、そうして、大切であった家族にも近い人を失って、何度も季節を重ねてきた。変わり映えもなく、曖昧で、無味で、色に乏しい時間であった。ただそれでも、死にたくはないというどこから沸くのか不思議なほどの、そんな感覚だけははっきりと持っていた。
過ぎ去る季節もいくつかの、今年一番の冷え込みだとニュースのキャスターが身を竦めながら言っていたのを思い出した。もうすぐ一年も終わる、そんな時分だったはずなのだ。
「……は? なんで、桜が咲いて、」
高校からの帰宅途中にある桜並木は、今朝までは実も葉もつけない寒々しい枝を四方に広げていた。今朝どころではなく、今だって、その奇妙な一本を除いて右も左もただの枝ばかりだ。マフラーに埋めていた顔を持ち上げて、食い入るように眺めていれば桜の花びらがひらひらと舞い始める。十二月の冷たい風にさらわれながら、まるで自身が雪であると勘違いでもしているかのように、舞っていた。
「――今晩は」
「…っ!?」
見上げていたはずの桜の木の脇から現れた男は、親しい友人にでもかけるような気軽さで手を上げた。
薄明るい街灯の下でも浮かぶほどの金髪。対して、夜に紛れる深い青の着流し一枚。吐き出しているはずの息の白さがどこにも見えない。けれど彼はおーい、なんて一向に返事をしない俺に向かって手を振っていた。
「シカト? 盛大だなあ」
くつくつと笑う彼の瞳は春の菜の花に似ていて、記憶の底に沈んでいた泥をかき乱していく。
誰だと、ようやく振り絞った声は情けなく震えていた。
「…誰、か。うーん……」
一瞬の思案の後、彼は薄く微笑んでいった。
「……成り損ないの、神サマってやつかもしれない」
「……は? 頭、大丈夫?」
「至って正常ですよ、名前サン」
どう考えたってただの異常者だ。早々に立ち去ることがいいと分かっているのに、彼の目があまりに懐かしく思えて、足が動いてはくれなかった。
――そうして、間を置いて名前を呼ばれたことに気が付いた。
「なんで、俺の名前知って…?」
「そりゃ、ずっと見てたし」
「ス、ト――」
「ちげえ」
彼は心底心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。青年のそんな表情をあどけないと表現するには憚れて、思わず一歩後退る。
逃げるための足を準備させると、彼はそれに気づいて眉尻を下げた。話を聞いてと伸ばした両手の上に、桃色がにじむ。
狂い咲きの桜の花びらが、二人の隙間を埋めていくように落ちていく。足元には積もらない花びらの一枚を彼は手のひらで受け止めると、ふっと吐息をかけた。
「約束を、したんだ」
彼はその幹に背を凭れて、ゆったりと見上げながらそう言った。
「季節の春が好きだと笑ってた。夏も秋も冬も、たいして覚えてもいないだろうに、春だけは好きだと言ってた奴がいてな。そいつはもう疾うにいなくなったんだが、お前が、生まれ変わりみたいなもんだったんだ」
「……生まれ、変わり」
「そう。そいつ、春と、俺は昔に約束を一つして、俺はずっと守るほかなく、でも、流石にもう疲れた。神様っていったって、いつかは衰えていくもんだから」
自称神だという設定は続いているようだ。彼は嘘じゃないからなと付け足して、右手を帯にひっかけた。
桜も、月に似た髪も、着流しも、積もらない花びらも、寒すぎる風も。すべてが曖昧で、ちぐはぐで、それでいて――痛い。
「…なんの、神様だったの」
「そこ? あー、名前なんて大層なものはない。ただ、願い事の代わりに何かをくれれば叶えてあげよって、そんなもん」
春。
唇が、季節を呟く。とくりと心臓が高鳴った気がした。
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