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短い冬休みも終わり、三学期が始まった。心操は来年度からヒーロー科に編入するにあたりまた一段と厳しい訓練やヒーロー情報学などの補習に、寮に帰って来るのは大概夜の八時を回っていることが多くなった。三学期の間は彼のそういった事情に、名前は今までのように訓練を同じくすることができなくなっていたが、毎日の日課として染み付いたものを今更変える必要も感じなかった。勉強と、それから自主練を続けていた三月の或る日。
突然、世界の終わりのような中継が始まった。
神野の悪夢を引き起こした敵連合が突如として大隊を率いて暴動を起こしたのだという。


『今日、インターンで遠征に行ってくるね』


その日の朝、出久からそんな連絡が入ってきたのを思い出す。
ポケットに入っていた携帯を取り出して、出久と爆豪に今何処にいるのかと問うメッセージを送りつけて、一向に返事のない画面に指先から力が抜けていくようだった。ゴトンと重たい音がして、携帯が落ちる。身体中にぞわりと鳥肌が立って、血が、肉が、骨が、軋んでいるのが分かった。
瓦礫と化した世界を、寮のリビングでただ呆然と眺めていると他の生徒の騒ぎを聞きつけにきたクラスメイトも徐々にリビングに集まってきた。ただ皆が、無言でテレビを食い入るように見ていた。
校長の校内放送が流れていた。落ち着いて、寮内に留まるよう指示している声が、ひどい現実感を連れてくる。
隣にいつの間にか並んでいた心操が、落ちていた携帯を拾い上げる。落ちる直前のまま固まっていた右手に、彼が強く携帯を押し付けるように戻した。ぎゅうと手を握り締めて、絶対大丈夫だと睨みつけるような眼差しでそう告げている。
――爆豪の手は、彼よりも温かかったななんて、くだらないことを思って、そうして、渇いた喉を通して「大丈夫」と鸚鵡返しに呟いた。

丸一日中かけて、どの番組もその事態の中継を垂れ流していた。
夜になって収束し始めたことで、殉職したヒーローの名前が速報でテロップに流れる。あんまりにそれが長くて、名前も覚えきれなかった。まるで映画のエンドロールのようで、こうして世界は終わってしまいましたと、誰かの下手なナレーションでも入るかと思った。
そんなテレビを見ていると、担任が息を切らせてすぐに病院に行こうと名前の腕を引っ張り上げた。ソファに埋もれていたこの両足は鉛のようで、引きづられるように車に乗り込む。後部座席に詰め込まれ、静まり返った窓の外を見つめながら担任の情報を咀嚼する。
出久が、大怪我を負っているそうだ。今日のあの暴動にヒーロー科の生徒全員が参戦していて、インターン生は後方支援のはずだったのにも関わらず、出久が、大怪我をしていると。
爆豪とも幼馴染だったんだってな。
そう声を落とした担任に、彼の状態を聞くことさえできないで、ただただ呼吸を続けていた。涙は出なかった。現実と悪夢の狭間で行き来をしているような浮遊感がそうさせていたのだと思う。
まるで野戦病院のように騒然としていた病院の受付を通り過ぎ、連れられるがまま一つの病室の前にまでやってきた。ドアの前で座り込んでいたのは、憔悴しきった母だった。
彼女は名前の姿を目に入れるなり決して弱くはない力で抱き締めた。何度も確認するように名前を呼んでは嗚咽で言葉にもなりきれない声を漏らして、やはり彼女も大丈夫だと言っていた。ちらりと横目見たネームプレートには、緑谷出久と爆豪勝己の名前があった。三奈、鋭児郎、電気、百、と聞き覚えのある名前がどこかしらの病室から漏れ聞こえてきて、世界の終わりが目に見える絶壁だったのならば、ここはその最先端だったのかもしれない。
背後で緑谷さん、と弾けた声に、爆豪さんと反応した母の力が緩んだ。
母の腕から離れて、ドアを開ける。
鼻に衝く消毒液の臭い。滑り落ちていく足元。息が凍る。まるで氷点下を歩いているようで、足先から壊死していく。


「――……?」


鎮痛剤が効いているのか、ベッドに横たわる二人は穏やかな寝顔をしていた。
世界が、終わってしまうかと思った。
二つのベッドの隙間で、壊死した足ではもう立てなくて、どさりと膝を打ちながらしゃがみ込んだ。
血の匂いがたくさんだ。テレビから流されるリアルタイムだと謳う、世界の終わりだ。
――世界の終わり。二人がいなくなったら、きっとここはもっと、地獄のような場所だった。世界が終わるなんていう安い三文小説の一文のような、そんな絶望ではとても表現しきれない。


「いず、勝己君……っ」


声は返ってこなかった。代わりに生きている呼吸の音が聞こえてきて、それだけがこの世界でたった一つの生を象徴するもので、焼けたと思っていた涙腺から堰を切ったように溢れて溢れて止まらなくなった。子供のように声をあげて泣いた。両手で瞼を押さえつけても止まらない。この病院は、どこもかしこも涙でいっぱいだ。
このままこんなふうに二人と生きていたら、無機質なテレビのテロップでその名前を知るだけになってしまうのだろうか。覚えきれないほどの名前のどこかに、紛れるように。


「――」


ベッドとスプリングが軋む音がした。陽だまりのような温かい手が左手を、生まれてからずっと傍にあった手が右手を掴む。


「なに、泣いと、ンだ」
「泣かない、で」


掠れて言葉になっているかも怪しい二つの声が、弾ける。握りしめるには弱々しい力が、両手を確と掴んで離さない。
見上げれば、二人とも痛みに顔を顰めながら、ベッドから身を起こしていた。


「お前の声が、うるさくて、眠れねェ」


ガーゼだらけの顔で、悪態つく。


「不安にさせて、ごめん」


固定された腕も足も、真白な包帯の下でひどく変色しているのだろう。
ひどい顔、と二人して同じことを最後に言うものだから、嗚咽を飲み込むことなんて、最早到底できるはずもなかった。


「…っよか、った」


生きている。呼吸をして、思考して、名前を呼んで、言葉を交わして。
ここは、二人が守ってくれた世界だった。大勢の傷だらけの誰かが、大切な何かを賭して守った世界。


「っ、う……っあり、がとお」


守ってくれて、生きていてくれて、名前を呼んでくれて。
こんなにボロボロになってまで懸命に守り切った二人のことを、どうしたら守れるだろう。どうしたらこの傷を、名前も背負えるだろう。この痛みを、軋みを、忘れずにいられるのだろう。
ベッドに沈んだ二人がぽつりぽつりと喧嘩じみた言い合いを始めたのを、涸れそうにもない涙に塗れた顔で、笑った。

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