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次の日、学校からの報せはまだ何もなく、けれど大凡臨時休校にはなるだろうとは思いながら朝の支度をしていれば、やはり七時ころになって漸く休校を報せるメールが届いた。二度寝をするにも冴えてしまった目では、もう一度布団にもぐる気にもなれなかったが、出久は疲れが溜まっていたようでふらふらと珍しく自室に戻っていった。必然的に、リビングにはご飯を食べ終えて仕事に行くまでには時間のある母と二人きりになった。
――大怪我は、大概をリカバリーガールが癒してくれるそうで、だから彼女はいまだに訓練でのちょっとした怪我が多いという認識のままだ。流石に入学初日のあの腕に関しては困惑していたが、まだ発現したての個性の所為だと出久が有耶無耶にしてしまったため、それ以上何も言えなくなってしまったのだ。
コーンスープを啜りながら、母の項をぼうと眺めていた。
何を考えているのだろう。家族であっても、言葉がなければ胸臆など計れない。視線を感じたのか振り返ってきた母は、コーヒーの熱の名残をもらうように、マグカップを両手で包み込んでいた。
「……名前」
「うん?」
「――隠してること、何もない?」
出久に似て丸い目は、今名前と同じような形をしているのだろうか。彼女の視線からそらさない様、瞬きだけ一つ落とした後、けろりと笑ってみせた。
「何にもないよ。いずの事でしょ? 昨日は確かにいろいろあったみたいだけど、ヒーロー科の先生ってプロの中でも凄い人ばっかりみたいだし、いずだって怪我も大したことなかった。だから――」
「出久の事もそうだけど、名前のことを、私は聞いてるの」
「――私?」
想定していなかった切り返しに思わずぱちくりとさせてしまった目を、母は少しばかり目尻を上げて、久しぶりに柔らかくはない顔をした。
「……夜、どこに行ってたのかは知らないけど、あんな時間にふらふらしていいものじゃないのよ」
「……ちょっと、寝付けなくて」
「個性の事、貴方は今までずっと、何にも言ってはこなかったよね。雄英に行って、何かあったんじゃないの?」
――個性の事。昨日の切島もそうだ。双子だとは顔や名前ですぐに分かることで、双子など世間一般からして殆ど同一視されるものだ。どちらかにあるものは、もう片方にも当たり前にあるものだと思い込む。二人の場合はそもそも二卵性の時点で相似しているわけではなく、どちらかといえば同い年の兄妹といってしまった方が早い。
勿論、その事実を母が知らないわけがなく、けれど、個性に関していえば、戸籍上も、母の認識上も、出久と同様に無個性だった。出久のようにヒーローになりたかったわけではなかったので、何も、言うことはなかったのだ。それは、今も変わらない。これからもずっと。
「……個性の事じゃ、なくて。ただちょっと、分かんなくなって、」
壁にかかる時計の針は、母の出勤時間に差し掛かろうとしてる。けれど、彼女は動く気配がなかった。
何か言葉を必死に探すけれど、何を伝えればいいのか、何を言ってはいけないのか、口の中でただ無意味な音が転がるばかりだった。言い淀む名前に、母は小さく息を吐いた。
「……泣いたときは、目は擦ったらだめよって言ったでしょ」
テーブルを挟んで、彼女の腕が目元まで伸びてくる。うん、と細い声でしか、返すことができなかった。
「出久だって、勿論名前だって、同じように大切な家族なんだから。遅くには出ていかないで、心配するから」
仕事に行ってくるねと、母は隣の背もたれにかけていた上着と鞄を腕にかけて、今日は早く帰るよと残して出て行った。ぱたんと、静かに閉められた玄関の扉の前から、しばらく動けなかった。
* * *
体育祭まで二週間となった。基本的に普通科や他の経済、サポート科にとってはただの学校行事の一つでしかなく、盛り上がるということはしない。むしろ面倒くさいという雰囲気の方が強く、見る分には楽しいが参加するということになると今ひとつだった。
「緑谷さん」
授業間の業間休みに、次の化学基礎のために復習でもしておこうと教科書をぱらぱらと捲っていた時だった。
見上げなくとも、声で誰かは分かっていた。けれど、振り仰いで一瞬止まってしまったのは、それが紛れもなく自分に向けれらていた視線だったからだ。彼は空いていた前の席に浅く腰掛け、背もたれに肘を乗せるような形で話を続けた。
「心操君」
「緑谷さんの兄妹がヒーロー科にいるって聞いたんだけど、そうなの?」
「…うん、いるよ。A組に」
隠したところで意味をなさないことなど分かり切っている。彼、心操の真意を計り損ねて、顔面に一杯の疑問を浮かべてしまった。それに気付いた彼は薄く笑いながら、
「体育祭があるだろ、だから、どんな個性の人がヒーロー科にいるのかなって。何か知らない?」
「ああ、なるほど」
心操はヒーロー科に入りたかったタイプの生徒だ。一応補足のような形で、もしかしたら好成績を残した生徒はヒーロー科に編入することも可能性としてはないわけではないというような説明が、確かに朝のホームルームであった。戦闘経験に開きがあることは授業内容からでも考えられるので、躍起になる人はいないと思っていたが、彼は本気でそれを狙っているようで、その双眸はけだるそうにはしながらも鋭いような気がした。
何か役に立つ情報の一抹でもあればよかったのだろうが、生憎と個性を知っているのは切島と爆豪と出久くらいなものだ。少しの思案の後、知らないやと首を振る。心操の個性も分からないので、安易に情報を流してしまうのも憚れたのだ。
彼はその反応に予想はしていたようで、そうかと一言だけで引き下がる。
「やっぱり、仲悪いの?」
「兄弟でってこと? なんで?」
「いや、緑谷さん個性の事自己紹介の時に言わなかったし、片方はヒーロー科だから、なんかあんのかなって思っただけ」
「……私はヒーローを目指さなかっただけで、向こうはなりたかっただけっていう、それだけだよ。ほんとに仲悪かったら、同じ学校なんて選ばないよ」
「それもそうだね」
――意外と、よく笑う人だ。あの下駄箱でのこともあったのでどんなに攻撃的な人かと思っていたが、違うらしい。
「……心操君って、もっとツンツンした人だと思ってた」
「そうかなあ、あんまし覚えないけど」
「うん、思ったより柔らかい」
「それ褒められてる?」
笑いながら頷けば、怪訝な顔が返ってきたのでまた笑ってしまった。その後二、三の会話の往復の後、彼は席を離れていった。
体育祭の形式は毎年変わるため、今年はどうなるかはわからないが、例年一対一での見せ場がある。出久と彼とが何らかの形であってもそこでぶつかり合うことは、ただ純粋になければいいなとは思った。見知っている人同士が傷つけあうのは見ていて難しい気持ちになる。こうして普通科にいる時点で戦闘には不向きな個性なのだろうとは推察されるので、そういった面からしてもあまり気持ちがいい試合にはならなそうだと思ってしまうのは軽んじているからではないとは思う。
ーー体育祭はテレビでも中継される。それを見れば、母にはもう誤魔化すことなどできなくなる。出久は、今は自分の事に手一杯なのでフォローをするのは名前の役目になるのだ。どうしたものかなと溜息を吐きながら、窓に反射する教室をぼんやりと眺めていた。
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