12
体育祭当日の朝。出久の部屋から漏れるアラーム音はいつもより一時間ほど早く、その音に微睡んでいた意識は一気に引き戻された。もぞもぞとしながら自身の携帯の画面をスライドさせて、アラーム表示をオフにする。暫く布団の中で駄々をこねていると、軽快な音と共に一件の通知を知らせる画面が現れた。
『起きてる?』
既読をつけたことでそれを確認したようで、すぐさま次の吹き出しが上がった。
『お母さんがすごい気合入れてるんだけど……』
『どゆこと』
『とりあえず部屋から出てきて』
軽く髪を梳いて制服に着替えた後、まだ寝ぼけた眼をこすりながらリビングの扉を開けると、テレビの録画画面を表示させながら笑う母の姿があった。
「……なにしてるの」
「おはよう、名前。朝ごはんからちゃんとしないと、一日頑張れないと思って、いっぱい作ってみたの」
「……テレビは?」
「録画の準備もばっちりよ」
豪勢な朝ご飯を前に座っている出久の顔は、嬉しいのと驚いているのと食べきれそうにない困惑が混ざり合っている。
――母の気持ちは、なんとなく、分かるような気がした。
「……お母さん、おかず詰めてお昼に持っていってもいい? 朝だけじゃ食べきれないよ」
「ぼ、僕もそうしていい?」
ヒーローになりたいと願っていたのに無個性であった出久が、初めて個性を使うところを見るかもしれないのだ。それに加えて雄英高校の体育祭は毎年内容が荒っぽい。何かしていないと落ち着きそうにもなかったんだろうなと、そう思えるのは恐らく母と思考回路が似ているからなのだろう。
そうだよね、と急いでお弁当箱を用意する母の背を見ながら、もくもくと食べ始めた出久に小さい声で耳打ちする。
「個性使って大けがとか、絶対しないでよ」
「……分かってる」
懸命に個性をコントロールしようと四苦八苦している出久に言える言葉でもないとは知ってはいたが、こんな母の顔を見せられたら言わずにはいられなかった。こくりと頷いた彼の顔は、珍しく少し険しかった。
「ヒーローの卵たちが我こそはとシノギを削る年に一度の大バトル!! どうせテメーらアレだろ!? 敵の襲撃を受けたにも拘わらず鋼の精神で乗り越えた奇跡の新星!! ヒーロー科一年A組だろォ!?」
プレゼントマイクの放送が、控室からスタジアム会場までの通路でけたたましく反響している。続いてB組、C組と呼ばれてからそれぞれが壁に寄りかかっていた背を持ち上げて、入場を始めた。完全に引き立て役だよね、と先頭に立っていた誰かの呟きが、C組の足取りをより重たくさせていた。
――静かに、ぎらついている背中だけが、浮いている。このクラスの中のどれだけがあの背中に気づいているかは分からないが、少なくとも彼女には、その背中には見覚えがあったのだ。
「あ、あそこにいるの緑谷さんの兄妹だろ」
斜め後ろを歩いていた名前に、指を指しながら不意に声をかけた心操の、少しだけ首をひねって振り向いた顔はいつもと変わらない。
「うん、みたい」
「個人競技で当たったらどうする?」
経営科、サポート科がぞろぞろと整列を始めるのを待っている間、彼の視線はヒーロー科だけを見ていた。突然ぶつけられた質問に、求められている返答を答えあぐねる。余程頓狂な顔をしていたのか、向こうを見ていた視線をこちらに戻した途端に瞼を持ち上げたあと、わずかに口角が上がった。なんだその顔と笑われて、思わず口元を隠したところでもう既に遅い。くつくつと笑う心操に、恥ずかしさに目も合わせられないまま言った。
「……どっちも、応援するよ。頑張ってるのは一緒でしょ?」
何かを言いかけた心操の音に重なり、ミッドナイトの選手宣誓を告げる声が弾ける。そこで切られた会話は、続くことはなかった。
選手代表として名前を呼ばれたのは入試を一位で通過していた爆豪で、彼は登壇するもポケットに突っ込んでいた手を抜くこともせずに、あっけらかんとした声音で言い放った。
「俺が一位になる」
当然沸き立った不満の声に、せめて跳ねのいい踏み台になってくれと追い打ちをかけた。体育祭の結果に大して興味もない普通科でさえ、彼のその言葉に青筋立っている。
ーーこれだけを敵に回す必要性が果たしてあったのだろうか。
あいもかわらず、好ましいとは思えない。しかし、振り向き、階段を降りてくる彼の表情は、思っていたものとは違っていた。
(笑ってない)
傲慢を顔に塗りたくった様な表情をしていると思っていた。自分以外はすべて、下に見ているのだと。そう思っていた。けれどあの表情は、十数年幼馴染をしていれば、嫌でも気づいてしまう。
――USJ事件と呼ばれたあの日の放課後、爆豪が出久の個性について問い質そうとした時に感じた焦燥感の理由は、恐らくそこにあるのだ。出久が突然個性を発現したことだけではない。発現したての個性を持て余している出久に、負けたことだけでもない。対象の中に、確かに出久も入っているのかもしれないけれど、彼が感じているのは、それだけではないのだろう。きっと。
雄英に入って、変わっていく。一年前より、半年前より、昨日より。
階段を降り切った爆豪がついと上げた視線と、噛み合った気がした。すぐに顔ごと逸らされて体操服の群れに紛れた彼の赤の残像が、やけにはっきり残っていた。
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