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背中程にまである黒髪が、高く結わえられていて、動くたびに視界の端で揺れている。眩しい日差しを浴びる髪は、どことなく緑がかっていてまるで初夏の新緑の碧に似ていた。
選手宣誓が終わり、第一種目である障害物競走のスタートゲートに案内されると、隣で揺れていた碧が徐に視界から消えた。


「どこ行くんだ?」
「私、参加するつもりなかったから。経営に紛れて退散しようと思って」


ヒーロー科に双子の兄妹がいる彼女、緑谷名前は、全くもって勝負事に興味はないようだった。雄英高校の生徒の多くが勝気な性根が多い中で、彼女のような人はむしろ少ない方だろう。
つまらない、と思ったのは、少なからず名前の個性に興味があったからだ。この体育祭は基本的に個性を使うことが許されている分、何らかの危険があることは気をつけなければいけないことで、個性を使わずして乗り切ることはまず難しいだろうとは想像がつく。だからこそ、彼女が個性を使う瞬間が見られるのではないかと、期待をしていたのだが。
存外な言葉に思わずふうん、と気の無い返事がもれて、名前は暫し視線を逸らして何かを思案すると、何故か笑った。


「怪我には気をつけてね」


ひらひらと手を振って頑張ってねと一言残し背を向けた名前は、本当に経営科に紛れてスタジアムから出て行ってしまった。
ーー入学式の日、彼女は窓際の列に並ぶ席に座っていて、そわそわとする周りの生徒に比べてあまりに落ち着いていたのが不思議で、ひどく印象に残っていた。よくある自己紹介で大体が個性の話をする中で、名前だけが、そういった類の話に一切触れなかったのだ。無個性なのかもしれないと、思った。ヒーロー科に兄妹がいるなんていうのは割と最初の頃に話題に上り、片方は普通科で個性に頓着もしていない素振りが尚更その可能性を強くしていった。総人口の二割が無個性だと言われてはいるが、実際は第四世代までの人たちがその大多数を占めているのだから、第五世代で無個性なんていうのは本当に希少だ。ーー当たり前を持ち得ない彼女がどんな人なのか、どんな思いで、そこに立っているのか、知りたかった。同じ燻りを飲み下しているのではないかと、思っていたのだ。


「さあ、位置につきまくりなさい!」


双子の片割れが、青いジャージに埋もれている。似たような顔をしているが、彼の方が今は鋭さを増していた。
ーー蹴落とさなければいけない相手だ。目的のために、越えていかなければいけない。頑張ってるのは一緒、と言った名前の声は素直で、体育祭のために気張っていた頭の中が一瞬晴れた気がした。
片割れにも、心操にも、もしかしたら名前にも、なりたいものがあって雄英にいるのだ。この焦げついた燻りを吐き出すには、ここで踏ん張らなければいけない。彼女の喉元にどんな異物が絡まっているのか、そんなものは知りはしないのだけれど。もう見えない背中には、きっと何かがあるような、そんな気がした。


「スターーーート!!」


ミッドナイトの声が高々に響いた。ここからが、心操にとっての始まりだ。



* * *



スニーカーが床を踏むたびに、ゴムが擦れる音がする。スタジアムの中に進む程、外の喧騒がくぐもっていった。


「緑谷少女……っ」


小走りでついてきたようで、その声は少しだけ弾んでいた。振り返れば、痩せ細った男が一人、立っている。オールマイト、と呼びそうになってから口を噤んだ。どこにマスコミがいるとも知れないこの状況ではその名前は迂闊過ぎる。彼も察したようで、安心したように笑った。


「そうだな…この姿の時は、八木とでも呼んでくれ」
「八木さん……は、どうしてここに?」


少しばかり困ったように眉尻を下げて笑う彼には、いつものオールマイト然とした面影はない。ただ、出口から差し込む日差しに揺らいだ瞳の青ばかりが、彼らしかった。


「いや、君が経営科に混じって出て行くのが上から見えたものだから、つい。参加しなくてよかったのか?」


純粋な疑問を投げかけるオールマイトの視線から逸らすように、外を見た。ドォン、と派手な爆発音やら何かが崩れる音やらが聞こえてくる。


「……私は、あの中に混じっていける程強くないですから」
「――それは、君の個性のためか?」


口を噤む。頷くことも、首を振ることもしない。どちらであったとしても、参加しないことに代わりはなく、その質問に意味などないことは分かりきっていた。
すまない、と呟いてから何かを継ごうとした彼の言葉に、笑ってみせた。


「見届けるために、ここに来たんです。何があっても、それは出久の経験値で、勲章になるなら邪魔はしません。……そう思って、雄英に来ました。だから、ちゃんと見て、最後まで応援するつもりですよ」
「緑谷少女、」
「ーーお先に、席に戻ってますね」


ぺこりと頭を下げて、足早に通路を右に曲がって階段を駆け上った。
生徒用の席は観客席とは通路が異なっていて、誰もいないC組の席にぽつんと座った。少し離れた先で経営科がスクリーンを見ながら討論していて、そのざわついた声を拾い上げながら、同じようにスクリーンに目を移す。ーー画面いっぱいに張り巡らされた綱を必死に手繰る彼らの姿が映し出される。空中でニトロを爆破させて綱など最早関係もないと飛び越えて行く爆豪の形相は鬼のようで、興奮した観客の声の合間にどよめきが混じる。あんな顔をしたヒーローが現れても、安心感とは程遠い。寧ろ敵が増えたようにしか思えないのだろうなとも思う。昔から、目つきばかりは敵顔負けだった。やる事も、ヒーローなんていうものとは真逆のようなーー。
不意に、幼稚園の頃を思い出した。
もう薄ぼんやりとさえ覚えているかも怪しい程だが、確かにあの頃は3人で遊んでいた。かっちゃんと笑う出久の声、いつも先頭を歩く爆豪の後ろ姿、後をついていく名前を呼ぶ声。転んだやら、迷子になったやらなどと何があった時でも、先頭を歩いて切り開くのはいつだって爆豪だった。


「早くも最終関門! かくしてその実態は……一面地雷原!! 怒りのアフガンだ!!!」


遠い日の名残を振り払うようなプレゼントマイクの声に弾かれれば、赤と白の髪がなびく生徒と爆豪が最後の競り合いをしていた。先頭の二人が地雷原も残り半分ほどとなったところで、後続がどっとなだれ込む。地雷が起動するたびに、思った以上に派手な光と音と煙を立ち上らせている。出久は、後続の中に埋もれているようだった。恐らく、個性は使わないだろう。周りが個性を優位に使う中で、彼は入口のそばでふと立ち止まった。背中に背負っていた鉄の装甲で、徐に地面を掘り出している。
ーー地雷を、集めようとしているのだ。一つの威力は小さいようだが、確かに集まれば爆破力はかなりのものになる。うまく爆風に乗れるならば爆音と奇襲で先頭の進行を止める事も出来るかもしれないが、同時に着地のロスを考えれば最善とは言い難い。失速して地面に叩きつけられれば怪我もする。
ぎゅうと、手汗がにじむ手を握りしめた。


ドォオン!!


スクリーンに映る爆発と、耳に届いた爆音は同時だった。


「A組緑谷、爆風で猛追い!!? …っつーか抜いたああああぁ!?」


地雷原の上空を滑空していき、先頭の二人の真上についた。どっと沸いた観客の声は、彼を賞賛するものばかりだ。案の定失速した出久は、そのままもう一度鉄切れを二人の間に叩きつけて地雷を起動させた。広範囲の地雷が起動したせいで、また凄まじい爆風に砂塵が舞い上がる。生身の体で吹き飛ばされた出久は、すぐに出口付近で転ばされて立ち上がった。そこからスタジアムまでの通路にカメラはなく、スクリーンは後続の生徒を移している。
誰が予想できただろうか、とプレゼントマイクの息巻く声が反響した。


「いず、」


大歓声の中でスタジアムに飛び出してきた出久は、恐らくオールマイトと目があったのだろう。拳を握り締めて笑った。涙はやはり、止まらなかったようだけれど。
ーー個性を使わなくたって、こうして一位になれるのだ。それは、無個性でも一位になれるという事で、まるで無個性の出久をないがしろにし続けてきた彼への皮肉のようだった。

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