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スタジアムに戻れば既に観客の湧く声はすさまじく、どこかしこから誰かの名前やら声援やらいろいろな声が混ざり合って隣の人の声でさえ拾うことも難しい。スクリーンには常闇と八百万の名前があり、既に六試合目となっていた。廊下の混雑が激しく、なかなか自席に戻るまでに難渋してしまったようだ。
現況を見るに、常闇の黒い影が八百万を追い立てていて、なかなかに一方的な内容だった。彼女の個性は身体から何かを創り出すことができるようだが、ある意味二対一というような状況では創ることさえままならない。黒い影の追い払う手が、盾を弾き飛ばし、薙いだ一閃で彼女の後ろ脚が白線を越えてしまった。
次いで切島と鉄哲の七試合目。両者ともに個性は硬化のようで、単純な物理攻撃による試合となっていた。こちらは二人ともノックアウトという形で終わったため、目が覚め次第腕相撲で勝敗を決することとなる。
そして、一回戦の最後の試合、爆豪と麗日がフィールドに上がった。


「うっわあこの組み合わせかわいそ」
「バクゴー君女の子でも容赦なさそうだよね」


開始前から、方々でそんな声が上がる。けれど、それは言いようのない違和感だ。
麗日は逃げてはいないし、真直ぐに、爆豪と向かい合っているというのに。


「――けど、お茶子ちゃんも、ヒーロー科だよ」


性別が優しさの基準になるのなら、敵なんて溢れかえらない。
強さも弱さも、全部抱えて、自己犠牲の人たちばかりだ。きっと彼女も、誰かのためにあの場所で立っているのだろう。


「一回戦最後の組だな…中学からちょっとした有名人! 堅気の顔じゃねえ、ヒーロー科爆豪勝己! 対、俺こっち応援したい!! ヒーロー科麗日お茶子!! スタート!!」


開始の合図で走り出した麗日に、赤い爆炎が吹き荒れる。立ち昇る黒い煙から、爆豪以外の影が二つ、揺れていた。彼が捕らえた一つめの影は、麗日が直前に脱いだ上着で、爆豪の後方からいきおい飛び出してきた彼女自身の手が迫る。しかし、視界に捉えた刹那、爆豪の右手が爆ぜる方が早かった。


「麗日! 間髪入れずに再突進!!」


彼女のものは直接触れなければ発動しない個性のようで、何度も、何度も低姿勢からとびかかっていく。そのたびに爆風が身体を吹き飛ばしても、擦り傷だらけになっても、くらいついて行く。怪我ひとつない爆豪の表情は、相変わらず厳しい顔だった。一切の隙も許さないと、スクリーンに映る眼光は鋭い。


「おい、それでもヒーロー志望かよ! そんだけ実力差あるなら早く場外にでも放り出せよ!」


観客席後方から、そんな非難の声が響いた。それを皮切りに周囲でブーイングの声が沸く。学生からの声は、ほとんどなかった。雄英の生徒の多数は、もう気づいているのだろう。これだけ開けた会場を上から見ているのだから。


「今遊んでるっつったのプロか? 何年目だ? 素面で言ってんならもう見る意味ねえから帰れ。帰って転職サイトでも見てろ」


攻撃の手が止まる。徐々に晴れていく会場で、麗日が両手を持ち上げた。


「ここまで上がってきた相手の力を認めてるから、警戒してんだろう。本気で勝とうとしてるからこそ、手加減も油断もできねえんだろうが」


相澤のマイク越しの声は静かに怒っていて、観客の湧いた罵声は潜めていく。
そうして、彼女が両手を合わせたとき、頭上から大量のそれらが降り注いだ。コンクリートの破片でできた流星群が、広範囲に爆豪に落ちていく。この隙に触れることさえできれば、場外に持っていくことができる。
けれど。それらをすべて爆破するほどに、彼の威力はすさまじかった。
――会心の一撃を蓄えていた麗日の許容上限はとうに超えていた。再度飛び掛かろうとした両足はもつれ、そのまま倒れ込んでしまった。そうして、行動不能となり爆豪の二回戦進出が決まった。
ほどなくしてA組の席にもどってきた爆豪を何とも言えない眼差しで普通科も見送り、彼はどかりと苛立たしそうに腰を下ろした。悪人面だヒールだなんだと言われながら、それでも、


「どこがか弱ェんだよ」


そう言いきる爆豪のそういうところは、嫌いにはなれなかった。



     *     *     *



続く二回戦目。出久と轟の試合が小休止を挟んだのちに始まった。飛び交う話を拾っていくと、轟はヒーローランキングで二位を誇るエンデヴァーの息子だという。エンデヴァーの個性なら、テレビでも見たことがあるのでよく知っている。ただ、彼自身の個性としては氷を扱うような場面しか見てはいない。髪色から察するに両親の半分半分で受け継いだのだろうが、確執深そうな背景がありそうな、そんな気はした。
――心操との場合、武力行使する場面が少なかった。しかし、小休止の最中におさらいとして流れていた轟と瀬呂との試合を見るに、今回は出久の個性を使わないで乗り切ることは不可能だろう。
飲み込んだ生唾が、苦い。


「今回の体育祭トップクラスの成績! まさしく両雄並び立ち、今! 緑谷対轟! スタート!!」


瞬間、視界一面に氷の壁が立ちはだかる。それを砕く風はほぼ同時に吹き荒れた。真冬のような冷たい風と氷の破片が観客席にまで吹き込んでくる。思わず瞑ってしまった目を、もう一度開いたときには再びの氷結が出久に迫っていた。
――右手で四回までだ。親指では弾くことができないので、その他四指を使うしかない。左手も含めて全部で八回。
間髪入れずに迫りくる氷結を打ち破り、四回目。これで、右手は握れない。
スカートを握り込む右手が痛い。彼の痛みや、苦しさが、時折なぜか流れてくる時があるのだ。まるで、半分こずつ抱えられるようにとでもいうような。かといって今感じている出久の痛みなど、到底理解できる痛みではないというのに。
近接に持ち込んできた轟の、近距離での氷結に逃げそびれた足を取られた。これ以上不安定な姿勢で近づかれたら、氷漬けにされて負けが確定する。
ドォオン、と先程よりも重い破壊音が響いた。出久が個性を使うたびに、風が起こる。スクリーンに映し出された出久の、左腕が酷く変色していた。


「名前……」


友人が呼ぶ声に、反応できるほどの余裕はなかった。
――どれだけ腕がボロボロになろうとも、立ち止まらない。もう、分かっている。彼が見据えている先に必要な過程なのだとしたら、名前は黙っていることしかできない。見届けると、約束したのだ。
壊れた右手の指を、弾く。握ることさえできないほどに痛いはずなのに。


「全力で!! かかってこい!!」


彼が叫び散らした声しか、拾うことができない。無理矢理に握りしめた拳から、たらりと血が落ちたのが見えた。
随分機動力の落ちた轟の腹に、一発。氷結に、親指を口で弾くことで打ち砕く。よろめきながら、霜の落ちて動きの悪い彼の腹にもう一度、拳を入れた。


「君の! 力じゃないか!!!」


勝ち負けなんて、見えていない。出久は、ただ、轟の中にあった何かを振り払いたくて、叫んでいるのだ。
そうして、フィールドを埋め尽くすほどの炎が渦巻いた。この体育祭で初めて見た、彼の炎だった。
――出久の力は、出久の物ではない。遠い誰かから受け継がれた、誰かの物。だからこそ、自分の力だと認識することに拘っているのかもしれない。二人の間に、何があったのかなど知る由もないのだけれど。
いつも、そうだ。自分のことなど後回しに、痛みも全部、誰かのものばかり、背負おうとするのだ。その右手も、左手も、全部、痛いはずなのに。だから、


「……、きらい」


顔が灼けるほどの炎のせいで、目尻から涙が落ちる前に蒸発してくれた。
二人が最大限の力をぶつけ合おうとした時、コンクリートの壁が何層も立ちはだかるがそれらごとすべて、爆破されてしまった。視界を塞ぐ煙が会場を包み込む。ゆるゆると晴れていく中で、赤い靴が、場外に弾き出されているのが見えた。


「な、名前! どこいく、の――」


誰かのために負った傷なんて、痛いだけじゃないか。

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