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体育祭が終わりヘロヘロになった出久を、駅まで母が迎えに来てくれた。名前は一緒じゃないのかと聞かれたが、行き先はおろか時間もなにも知らなかった。
――心配をかけさせてしまったのだと思う。
車の中で何度も今日の体育祭のことや個性のことを話しながら、窓を濡らす雨粒に気づいた。きっと彼女は、傘も持たずにどこかにいるのだろう。メッセージはもうずいぶんと無視され続けている。帰りがけに麗日にも確認したが、早退すると告げられたメッセージから音沙汰がない。
探しに行こうにも、どこに居るのか見当もつかないのだ。いつだって、彷徨った彼女を見つけるのは出久ではない。双子なのに、なんて昔は笑っていたけれど、今は全然笑えなかった。
マンションの駐車場に車を停めて、母が電話をかけてみたが、留守番サービスに切り替わる声が聞こえた。
高校生にもなるのだからと、心配する声と信用する声を混ぜた母の言葉に、生返事だけが抜けた。



*     *     *



『緑谷少年』


治癒を終え、観客席へと戻ろうとする途中で、隣を歩いていたオールマイトがやけに神妙な顔付きで呼び止めた。振り向き様に肩にかけていたジャージが落ちて、まるで一瞬、世界が止まった様な気がした。
オールマイトはそれを拾い上げて肩にかけながら、


「君は、あの日初めて敵に襲われたのか?」
「え? …あの、初めてオールマイトに出逢った日ですよね? 覚えている限りでは、そうだと思います」
「以前何か、大きなけがをしたりとか…」
「? どうしたんですか、急に?」


何でもない、と続けようとした彼の口が、半端に止まる。珍しく、言い淀む姿を見た。
それから瞬きを二回ほどした後、立ち止まっていた歩みを進めながらぽつりと言った。


「……ヒーローの血縁者が、ヒーローという職を好んでいるばかりではないということは、わたしも何度か経験があるからわかる」


聞き覚えのあり過ぎる科白に、浮かんでくる顔は一人しかいなかった。
歩いていく彼の背中を見ながら「さっき名前に会ったんですね」と、そういえば頷きが返ってくる。


「彼女のあの不安は、君を通して、別の何かを見ているような気がした」


生まれる前から一緒だった。
この十数年、出久の隣には名前がいて、名前の隣には出久がいた。
テレパシーなんてものはない。伝える術は、この口でしか、持ってはいないのだ。



*     *     *



時計の短針が、もうすぐ八を指そうかとしていた頃。
何度目かの電話にも出ず、母の顔色は明らかに悪くなっていた。
――性別の違いなのかは分からない。ただ、名前が連絡もなしに遅くなることは本当にたまに、今までだってあった。携帯の充電だったり、電車の遅延だったり、理由は様々あったが、そのたびに、母の表情はひどかった。
心配をしないわけではないが、改めて思うと、少しばかり過剰なような気も、した。


(オールマイトがああいったから、つい、そんな風に考えてるだけだ)


ふと、名前とのトーク画面をみやれば、最後のメッセージに既読が付いた。
それとほぼ同時に、玄関先で何かが動く物音がした。


――ガチャ。


静かに、ドアが開く。それに気づくなり立ち上がった母は、小走りに玄関まで出迎えた。


「……なんともない?」


少しの距離があるせいで、くぐもった声ではあったが、その言葉だけは耳に届いた。二三の会話の後、歩き回る音が聞こえて、それからびしょ濡れの名前が、頭にタオルを乗せながら入ってきた。
ブレザーは母に手渡したのか、濡れたワイシャツが肌に纏わりついていて、雄英の体育着が透けている。よっぽど、雨のもとに長くいたのだろうとは想像がついた。


「名前、そのままお風呂入っちゃいなさい!」


風呂場の方から、母の張った声が聞こえたが、タオルを深めにかぶっていた彼女は返事もせずに突っ立っていた。
ぽたりぽたりと、足元に水滴が落ちる。


「……充電切れてて、ごめん」
「さっきメッセージ見たのに?」
「……」


タオルの端を両手でつかみ、ただただ、無言を貫いていた。
――違う。言いたいことはそんなことではない。水滴に紛れるそれらの一端に、出久のこの両腕を映した所為もあるのだ。逆の立場を思い描けば、心配しただのと言う単純な話ではないのだ。お互いに、わかってはいるのだ。


「――名前」
「――出久」


言葉が重なる。いきおい顔を上げた彼女の目尻は赤い。
少し間を開けて、次の言葉を継ごうとした言葉にさえならない音も重なり、ついぞ再び口を閉ざしてしまった。なかなか来ない名前を、風呂場から戻ってきた母が風邪を引くからと連れていく。
足元に溜まったいくつもの水滴が、リビングの照明を取り込んで光っていた。

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