21
体育祭から二日が経った。相変わらず、出久とは目を合わせて真面に会話の一つもできていない。こんなにもぎこちない思いをするのは随分と久しぶりのような気がして、尚更普段通りに戻ることができなくなっていたのかもしれない。
同じ時間に家を出て、同じ電車に乗りながら、雨の日特有の不快感に不機嫌さを隠すこともできずに窓を睨んでいた。隣に立つ出久は、ぼうっと手元の画面を見つめている。対して頭にも入っていないのだろう。あの顔は、他に何かしらを考えているそれだ。
――何も、ない。話すことも伝えることも、なにもない。これは、彼には一生、話すことのないものだ。ずっと、名前だけが、背負っていけばいいものだ。
名前も同じように携帯を眺める。トップニュースをスクロールしながら、隣で僅かに騒めきだった声を遠ざけるように、イヤホンを差した。
体育祭の翌日。クラスメイトの飯田天哉の兄、飯田天晴ことターボヒーローインゲニウムが、ヒーロー殺しステインに襲撃されたニュースがトップを占めた。
ステインは神出鬼没にヒーローを殺害、もしくは重傷を負わせ、今なお逃げおおせている。重傷を負ったヒーローの中で、未だヒーロー活動を続けることができている者は聞かない。つまり、インゲニウムも、もうヒーローとして活躍することはかなわないのだろう。
――微妙な距離感覚を開けたまま、下駄箱に着くなり名前は何も言わずにC組へと向かっていった。飯田の件も気がかりではあるが、目下の難題は名前のことだ。体育祭の日も、その次の日も、どこに行ったのか何も知らない。知る必要は、あるのだろうか。彼女と出久は全くの別個体だ。双子と言いながらも要は年の同じ兄妹という方がしっくりくる。そんな彼女のすべてを知る必要など到底ないのだと分かってはいながらも、どこまで踏み越えていいのか、ここにきて分からなくなっていた。このままではよくないと知りながらも、何をどうすればいいのか、どうしたら、わだかまりなく、彼女と過ごしていくことができるのか。包帯だらけの両手を見て、溜息を吐いた。
* * *
個性というものは、その人自身のステータスのようなものだ。強い個性は周りからの評価も高く、本人のプライドも高い。弱い個性であるほど、自己評価はより低くなっていく。緑谷出久という彼の個性は、強くはない個性が集まった普通科の中では、その見た目も相まって一目置かれるものであった。良くも悪くも、彼の個性は飛びぬけていた。
「緑谷の兄妹、すごかったな。オールマイトみたいな個性だよな」
「緑谷君、すごいかったけど、前からあんな感じなの?」
「心操くんヒーロー科目指してるってホント?」
「普通科から再編でいくってほぼいないらしいな、心操頑張れよ!」
教室に入るなり、話題は緑谷出久と心操人使の個性でもちきりだった。
クラスメイトはなんとなく名前と心操を囲むように話していて、渦中の心操の表情は珍しく戸惑っていた。彼らのそんな疑問と称賛の声に苦笑いを零しながら席につけば、いつもの三人が彼女の席を取り囲んだ。
「大丈夫だった? 名前ちゃん、帰ってこなかったから、」
「今日放課後遊びに行こうよ、二連休後の授業だるいし」
「柚希課題やってないでしょう、明日提出だけど?」
「まじ、え、なにみんな終わってんの? うそ」
体育祭の日より幾分か髪が明るくなった柚希と珍しく細いフレームの眼鏡をかけた澪、ふわふわとボブの髪を揺らしながら顔を覗く紗代。彼女たちは変わらずに、終わらない課題の話と放課後の予定をごちゃごちゃに混ぜながら話している。体育祭の熱が残る教室の中で、彼女たちは静かだった。もしかしたら、あの日の名前を気にかけてくれていたのかもしれない。
へにゃりと思わず相貌が崩れてしまうくらいには、やはり、強張ってはいたのだと思う。
「ごめんね、心配かけて、」
「何が? ていうか名前も何さらっと課題やりきってんの」
「昨日、黙々とやってたらすごい進んで終わったんだ」
「今日の放課後は私の課題のために集まってくれてありがとう」
課題用のノートを開きながら微笑む柚希に、今日は遊ぶんじゃなかったのかと笑う。
少しだけ、個性とは無縁の世界にほっとした。けれど、隣に緑谷出久がいる限り、名前は無関係にはなれないのだ。
「てことは、緑谷の個性もあんな感じなのか?」
体育祭の話をしていた彼らにとって、その流れは至極普通だったのだろう。左隣の席にいた男子数名の集団は、振り返りながら、純粋な疑問を向けるまなざしでそう言った。
入学初日の自己紹介で、個性の話は触れなかった。最初から、こう言っていればよかったのだ。
へらりと笑った顔は、よく似ているそうだ。そばかすも、あんなに酷い癖っ毛もないけれど。
「私、無個性なんだ」
生まれたときから、四歳になった時から、そう決まっていた。無個性の名前は、これからもずっと、出久とついて回るのだろう。
静まり返った教室に、そうなんだと苦い相槌が落ちる。無個性を気にかけたことはないのに、周りの目は可哀想だと物語る。
――個性は、ステータスだ。個性の強さが、自己肯定感を底上げする。そんな風潮がある。
個性があってもなくても、そんなもの、変わりはないのだ。自分自身が認めていなければ、ないのと同じなのだから。
「無個性とか、ヒーロー職目指さなければあんま関係ないしね」
小さな声だけが聞こえる程になってしまった教室で、柚希の声が響いた。明るくなった髪を一束、指先でいじりながら笑う彼女に、確かに、と二人が頷いた。
「そんなことより、授業始まる前にここ終わってないと、指されちゃうよ、柚希ちゃん」
予鈴のチャイムに、彼女の悲惨な声はかき消された。
席に戻っていく中で、先程とは違う視線を受けるのはもう慣れている。
彼女はヒーローに憧れない。だから、個性など、いらない。
出久とは、違うのだ。
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