29
出久が職場体験に行ってから三日目の夕方。
ベッドから立ち上がった体は重だるいが、寝ていることも疲れてしまったのだ。熱に魘されてみる夢は、どれもこれも気持ちが悪い。汗やら涙やらでぐしゃぐしゃの顔を洗い、引きづるようにしてリビングに顔を出す。粥の持った器を、母はことりと静かにテーブルに置いた。
「体調はどう?」
「……熱はもう平気」
「起きててつらくない?」
「…寝てるのが、つらいから、いい」
パジャマのままいつもの席に腰を掛け、膝を抱える。湯気の立つご飯を前に、腹はそれでも空かなかった。見てからにまだ熱そうなそれに、細い息を吹きかけていた時だった。
母と名前の携帯が、同時に音を鳴らした。画面に表示された通知は出久からのメッセージを告げていて、スワイプしてみれば、そこには位置情報が表示されていた。
「…名前も、出久から?」
「――うん」
どうしたのと次いで送ったメッセージには既読はつかない。
職場体験は、敵との会敵も起こり得るが、基本的には体験先のヒーローが常に傍にいるという。位置情報先の住所をマップで開くと、そこは保須市の路地裏の一角を差していた。
――心臓が戦慄く。
出久に電話をかけてみたが、コール音が響くばかりで誰にも繋がらなかった。
母が携帯を耳に宛がうと、僅かに漏れた電話口の音から雄英高校の名前が聞こえた。出久から伝えられた位置情報が、何らかの危険を知らせるメッセージなのだとしたら。恐らくこれは一括送信でアドレスのみを送ったのだ。非常事態でないわけが、ない。
「――学校に今連絡してみたけど、体験先のヒーローに任せているから詳細は知らないそうよ。これから確認して、追って連絡するって」
いつもは斜め前に座る母が、隣の椅子に腰を掛けた。マップを見たまま動かせない指を、握りしめる。
「大丈夫、大丈夫よ」
――ぼろぼろと、気付いたら零れていた涙が、テーブルの上に溜まっている。
『無関係でも、その子が笑って家に帰ることができれば、私はそれだけで嬉しいんだよ』
熱に浮かされてみる夢は、酷いものばかりだ。
しゃくりあげてしまうほどに、溢れて零れて止まらない涙が、頬を伝っていく。母が柔らかく頭を引き寄せて、大丈夫よと繰り返していた。
その人と無関係だろうと、救けを求められたならば命を賭してであろうと駆け付けていく。それをヒーローというのなら、どうして、その家族はただ不安に怯えながら帰りを待つしかできないのだろう。ヒーローを称える世の中は、ヒーロー個人とは無関係な繋がりの中で起こっている。
ヒーローがいれば、救けに来てくれる。それは、定かではない神様に祈るよりは実在的で、彼らの目を瞠る個性は安堵をもたらすものなのだろう。
傷ついた身体は隠して、何ともない顔をして、笑って、無関係の誰かの幸せを願って。
「……っ、ヒーローなんて、大嫌い…」
「名前…」
それに縋る人の心も、そうさせてしまう世界も。
ヒーローなんて、最初からなければよかったのだ。
粥も冷めきり、嗚咽も治まってきた頃、たった一言のメッセージが返ってきた。
* * *
昨晩、保須市で起きたヒーロー殺しステインとの戦闘により負傷した出久、轟、飯田の三人は、保須総合病院にて治療を受けていた。
ステインおよび脳無の出現により一時騒然となった保須市の光景は、昼のワイドショーで持ちきりになっていた。
公安局から事件の一切において戦闘はせず、エンデヴァーにより救出されたという話にしようと持ち掛けられたのが今日の朝のこと。飯田の怪我に比べれば二人の怪我はとりわけ治癒しづらいものではなく、様子を見るために明日の朝まで入院することとなった。
昨晩の一括送信の件で、方々に謝罪とあらかたの事情を説明するメッセージを送るだけで時刻は十五時を回り、最後に、漸く名前のメッセージ画面を開いた。
昨日の夜、一先ず無事を伝えることだけはしなければと『大丈夫』とだけ送信したメッセージに、落ち着いたら連絡をくださいとの返事があった。
母には、雄英から入院している旨は伝わっているようだ。見舞いには行けないが駅についたら迎えに行くとのことだった。見舞いも何も二日だけの検査入院だ。問題ないことだけ伝えれば、あとは名前になんと送るかを考えるだけなのだ。
(入院の事は知ってるだろうし、そんなに派手な怪我もしてないし…)
個性の扱いに関しては家に帰って伝えたかった。あんな風にもうぼろぼろになることはもう絶対にないのだと、目の前で見せることで、少しでも不安を消し去りたい。
携帯を両手で握りながら、悶々と見つめあっていれば、不意に轟が声を上げた。
「そういや緑谷、双子だったんだな」
「え、あ、うん、そうだよ、普通科に通ってて」
思わずしどろもどろに返事をしてしまったが、そういえば、体育祭より前の轟はクラスメイトのそういったものには無関心のような雰囲気であったし、わざわざ紹介することもなかったので知ることもなかったのだろう。それを今思い出したという風に話題に出されれば、返答に詰まるのも仕方がない。
「静岡の、あの、一番でかい病院で会って、初め緑谷本人だと思ってたが――」
「病院?」
「――ああ、悪い、なんかまずかったか…?」
轟は、恐らく何気なく話したのだろう。横顔がそっくりでついと、零してしまった言葉に気まずげな顔をしている。
県内でも大きな病院は限られる。そんな場所に通っていたことも知らない。病気やけがをしていたことも知らない。いや、誰かの見舞いの可能性もあるが、彼女のそんな生活など知る由もなかった。
――グランファの活動拠点は静岡だ。それは彼が活躍をし始めた頃から今まで変わりはない。そんな彼が、あの六年前の事件で入院するとなれば、県内でも随一の病院になるだろう。違う、そんなことを考えたかったのではない。彼女の口から、聞くと決めたのだ。余計な詮索は、もうしなくてもいいはずだ。
ぶんぶんと首を振ってから、微妙な顔をする轟に何でもないとだけ告げて笑った。
「そうだんだ。今じゃもうあんまり似てないけど、昔は結構間違えられたりはしてたかなあ」
「今でも君たちは似ていると思うが」
「最初、緑谷の個性がそういうもんだと思ってて――」
轟の天然さに吹き出してしまいながら、返すことのできなかった携帯を握っていた。
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