30
ヒーローコスチュームの入ったカバンを抱えながら、駅のロータリーで母を待っていた。怒涛の職場体験も一先ず終わり、明日から通常の授業が始まる。
右腕の違和感に、自然とカバンは左手ばかりで持っていて、リュックも相まって肩が酷く重だるかった。
携帯の画面を見れば、丁度母からもうすぐ着くとのメッセージが入っていて、少しだけ息を吐く。
結局、あの後名前には検査入院だけしたらすぐに帰ると、そう伝えることしかできなかった。左足に切り傷があって、それが少し歩くと痛いくらいで、他には何もないと。そうしたら、彼女からはよかったと、気を付けて帰ってきてねと、そう返事が来た。
――ヒーローになりたいと願う声を、名前は否定したことはない。出久には無理だと、諦めろと、そういわれたことは一度だってなかった。いつだって彼女は応援してくれていた。本当は、ヒーローが嫌いだというのに。
その矛盾が、優しさなのだと気付いている。ただ、それで名前がずっと何かを我慢し続けていいわけではない。
ぐるぐると巡っていた思考を掻き消すクラクションが鳴った。
「出久、おかえり」
「! お母さん、ごめん、駅まで来てもらっちゃって…」
目の前で止まった車には、母の姿しかない。名前にいうべき言葉を探していた途中だったので、少しだけほっとした。
夕日が差し込む車内は眩しく、ラジオから流れるニュースが、先日のヒーロー殺しの経歴を話している。
ヒーロー殺しステインこと、本名を赤黒血染という男は、元はヒーロー科の高校に通っていた生徒だったという。
彼の意思は、今まで遭遇してきた敵とは違う思想を持っていた。彼の気を失う前の最後のあの言葉が、今でも耳に残っている。本物の英雄を求めるあの声が、今も。
そんなステインとの戦闘はなかったこととなり、出久たちはエンデヴァーにより救出されたという話になっていた。勿論、家族であろうとその話は禁句であり、母には職場体験中の話や、いかにエンデヴァーが素早かったかとそんな話をしながら家路についた。
玄関を開けたとき、ふわりと花の匂いを嗅いだ。靴箱の上の花の匂いかとも思ったが、山梨に行く前に嗅いだ匂いと違うものだと思う。出所を探ろうにも、それはシャボン玉のようにぱちんと消えて、なくなってしまった。
不思議そうに見上げる母に首を振り、スリッパの足音を僅かに引きずらせながらリビングに顔を出せば、ソファに埋もれる名前がいた。タオルケットに包まって、およそ興味もないだろうに、夕方の子供向け番組が流れるテレビを見ているようだった。こちらからでは髪のかかった横顔しか見ることができず、それでも反応しないことから、眺めているのではなく眠っているのだと知った。
「学校、行かなかったんだね」
「…出久が職場体験に行ってから、熱出しちゃって。ずっと休んでたのよ」
恐る恐る近づいて様子を窺えば、確かに、青白い顔をして寝ている。だからきっと返事が遅かったのだろう。
もう熱はないのだけれど、と苦い顔をした母は、そっと名前の額に手を当てた。まだ、起きる気配はないようだった。
一旦自室に戻り、荷を整理しながら、机周りも軽く掃除をしていく。――机の上に、差出人不明の初めの一通がある。翌日ポストに投函されていた茶封筒は、引き出しの中に閉まっていた。引き出しを開けて、中身を確認する。アヤメの押し花が一つだけ、入っている。白い紙に、深い青の花。たった、それだけが入った封筒だった。
コン、コン。
控えめなノックが二回、次いで聞こえた名前の声に、急いで引き出しの中に戻してから、ドアを開ける。寝起きの顔も、十二分に蒼白で、今にも倒れそうなほどだった。
「大丈夫? 熱、出てたんだよね?」
「うん…、おかえり、出久」
「――ただいま。ごめん、名前。いろいろ、心配させて…」
足元に広げていた荷物を端に寄せて、出来た足場を踏みながら、彼女はゆっくりと腰を下ろした。ぼうとしているのは、病み上がりだからなのだろうか。ブレザーをハンガーにかけて、ネクタイを解く。少しでも言葉を整理するための、時間が欲しかった。
「……あのね、出久」
「っ! な、ななに、どうしたの?」
思わずどもった声に、胸を抑えながら、彼女の斜め前に正座する。疑問の視線を向けられたが、苦笑いで誤魔化した。
それから数拍の後に、彼女は、ぽつりと言った。
「……けがは、なんともない?」
「――うん。大丈夫。切り傷はあるけど、そんなにひどいものじゃない」
「エンデヴァーが、救けに…?」
頷く。そっかと、ごちた彼女の声が、静かに部屋に滲みていくようだった。
「名前、ちょっと見てて」
出久はすっと立ち上がり、息を吸い込んで、体中にワンフォーオールの力を巡らせていく。指の先一本一本、血管の一つ一つ、それらを余すことなく拡張させて筋肉すべてが滞りなく動いていくイメージ。そして、ゆっくりと収束させていく。
彼女は、驚くわけでもなく、ただじっと見ていた。
「…これが、今僕にできる最善のことだったんだ。ワンフォーオールは、僕が授かった個性で、今までは、使いたいときに使っていたから、あんな風な怪我ばかりだったけど、今は、ワンフォーオールを全身に常に巡らせながら動くことで、少しでも身体の許容上限を超えないようにコントロールすることができるようになってる」
「――うん」
「あっえっと、だから、えっとつまり……もう大丈夫!!」
オールマイトがしていたように、ぐっと拳を握りながら、笑ってみせれば、そこで初めて、名前が俯いた。
長い沈黙が落ちた。いや、本当はずっと短かったのかもしれない。
「……私は、小さい頃に、ヒーローに救けられたの」
名前の膝の上で、強く握った拳が震える。ぱたりと、手の甲に雫が落ちた。
息を吸う音が、乱れる。
「グランファは、私を救けて、それで、大怪我、して、」
「っ名前、」
「血が、止まら、なくて、ずっと、目を、覚まさなくて」
ゆっくりと開いた手のひらが、口を塞いだ。言葉が切れていく合間に吐き出される呼吸が、細くなっていく。膝を立てて縮こまっていく彼女の背に手を添えようとして、できなかった。名前が怯えるように勢いよく反対側へ逃げていき、口元を隠したまま、ただ泣きながら震えていた。
「私が、わたし、よんで、グラ、ンファを、よんじゃっ、た」
「名前、名前! もういい、もう、話さなくていいから…!」
「っいず、」
口を塞いで籠った声で、彼女は咽び泣いた。身体を丸めながら、ただひたすらに謝罪を吐き出しながら。
彼女の秘密を、出久は欠片も知らなかった。
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