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名前は、学校に行くといった。ひとしきり泣いて、過呼吸を起こしてまで泣いたというのに、それでも、学校に行くといった。
駅のホームも、車内も、腕を掴んで離さないで、後ろをついて歩いていた。雄英高校が近づくにつれ、手の力は弱まり、掴まれることはなかったが、いつもよりは近い距離で隣を歩いていた。そうまでして、家を出たかった理由でもあるのかと思ったが、寝ていてもつらいんだってと、母から聞いた。
――問い質さなければよかったのだろうか。隠し事は隠したままで、よかったというのだろうか。
手前にA組があるせいで、C組の名前を見送ることしかできなかったが、本当に大丈夫なのだろうか。ああして、彼女の言葉を聞くのは初めてだったような気がした。



C組に入ると、紗代がボブの髪を揺らしながら、机の合間を縫って駆け寄ってきた。風邪ひいてたのか、熱は、体調は、と矢継ぎ早に降る質問に、なんだかやっと日常に戻ってきたような心持ちがしてひどく安心した。
久しぶりと心操が驚いた顔をして、ノートいるなら声かけてと笑った。
それからいつも通りの授業が始まって、当たり前のように授業は進んでいて置いていかれた。ゼリーを食べながら昼は過ぎて、午後もただ置いていかれるだけの時間が過ぎた。
正直、頭は働いていない。それでも、友人との会話で気分が紛れている。けれど、たった一人では、学校の外は歩けなかった。
ヒーロー科だけがある七限目が終わった後、オールマイトに呼ばれているから待っていてと連絡が入った。心操や紗代たちに借りたノートを広げながら七限目が終わるのを待ち、そこから四十分ほどしたところで、ノートを纏めて教室を後にした。
A組に戻るかもわからなかったので、取り敢えず下駄箱で待っていることにした。目立つあの赤い靴は、まだ入ったままだった。出久の一つ上の下駄箱に、残る誰かの一足だけがある。それが誰の物かは知らないが、邪魔になれば場所を移せばいいかと、丁度日差しの当たる下駄箱の前に座り込んだ。携帯には通知がまだないので、話し込んでいるようだった。
ぼうっと、ただ空を見ていた。まだ、青かった。


「――何しとんだ」


余程呆然としていたのか、それとも彼の足音が静かだったのか、声のする方に振り仰げば、爆豪がいた。


「……出久、待ってるの」
「そうかよ」


問いかけた割に興味のかけらもないような返事をして、靴を履く。なんとなく彼の所作を眺めていれば、不機嫌な顔を隠しもせずに言い放った。


「んなクソブスな顔晒して来んじゃねーよ」
「……は」
「マスクしたところで無意味だわ」


相変わらず随分な言い草だ。彼は、言葉を選ぶことを覚える気はないのだろう。
靴を履き慣らしながら歩いていく背中を見て、面影を見た。――意味はない。ただ、そういえばと爆豪もいたことを、ふと、思い出したのだ。


「…勝己君、あの公園に行く時ってある?」
「ああ?」


よく、遊んでたよね。
そう言うと、爆豪は一際眉間に皺を寄せた。
個性が分かるまでは、出久も爆豪も共に遊んでいた。仲良く、かどうかは定かではないが、二人の共通項はオールマイトだったので、いつも近しいところにお互いがいたのだ。その時から、出久の口癖はヒーローになりたい、だった。
不愉快な顔をしながらもわざわざ足を止めている爆豪に、少しだけ笑う。


「覚えてねェわ、んなもん」
「……勝己君も、誰かに恨まれないといいね。言動の所為で」
「ああ!? どう意味だよクソブス!」
「名前お待たせ…ってかっちゃん!?」


出久が廊下の影から現れると、爆豪は大股でずかずかと帰って行った。今早歩きで出て行ったところで、降りる駅も殆ど同じだというのに。
珍しいねと苦笑いした出久に、うんと小さく頷いた。



     *     *     *



「オールマイト、一つだけ、聞きたいことがあるんです」
「何だい?」


扉に手をかけながら、つまりかけた言葉を飲み込んだ。
振り向いた先で腰かけているオールマイトは痩せていて、あのナンバーワンヒーローとしてテレビで見続けてきた面影はない。


「……名前が、少しだけ、話してくれたんです。カーボニウムヒーローグランファに、救けられたことがあると」
「! …ああ、懐かしいな。彼は…私の、雄英時代のクラスメイトだったよ」
「そうだったんですね、だから、サイドキックに?」


それだけではないが、と笑ったオールマイトの落ち窪んだ両目が、遠いいつの日かを追いかけている。


「…グランファがヒーローをやめざるを得なくなってしまったのが、自分の所為だと言ってたんです」
「――! ……そうか、あの時の被害者というのが、名前君だったんだね」
「記事を見ても、同じことしか書かれていなくて、名前にはもう聞けないと思って…。あの日何があったのか、オールマイトは、ご存知ですか?」


オールマイトは、暫しの思案を挟んだ後、ゆっくりと首を横に振った。


「私も詳しくは知らないんだよ。あの事件は、被害者が十にも満たない子供で、敵はすぐに捕まったが、敵や被害者とも話が聞ける状態ではなく、グランファも暫く昏睡が続いていたからね。詳細は殆ど、取り沙汰されなかった」
「そう、ですか……」


でも、そう強く言葉を切った彼は、立ち上がると出久を正面から見据えた。


「彼が一人の女の子を守った事実は変わらない。が、彼自身が無事でなければ、それは救われた側にとってハッピーエンドでは終われんだろう。自己犠牲の精神を素晴らしいと称えることと、被害者の代わりに傷を負うことは同じじゃない。今なら分かるだろ、緑谷少年」


薄らと笑ったオールマイトは、出久の肩を二度叩いた。

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