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出久だけが椅子の並んだ待合室にぽつりと残されている。平日のお昼時でも、見舞いに来る家族はそれなりにいるようで、少しだけざわついていた。
――家にも駅にも、どこにも見つからない名前を見つけたのは、他でもない爆豪だった。いつも、いなくなった彼女を見つけることができるのは彼だった。小さい頃からずっとだ。だから今回ももしかしたらと、切島経由でメッセージを送れば、簡潔な文面で返事が来た。それをオールマイトと塚内警部、炭谷に伝えながら、あとは警察案件だろと言いながらも、爆豪はたった一人で行動していったのだ。
体育祭の日に出逢ったという新聞記者が在籍するオフィスが雄英高校からそう離れていないところにあり、しかし探し人はそこにはおらず、彼が次いでとった行動が近くの資材置き場や倉庫のチェックだったという。
――グランファの強烈なフォロワーということから推測するに、これまで記事や押し花を送り付けたことからも彼はその日を再現したかったようだった。
警察が見つけるより一歩速く行動していた爆豪のとった行為は、後に事情聴取で警官からもやり過ぎだと諌められることで終わったようだ。ステイン事件の時とは違い、当該敵に外傷はなく、爆豪がした行為は傷害には当たらない。これは出久の憶測だが、体育祭でも見せた閃光弾を使用したことで無傷で捕らえるに至ったのではないだろうか。どちらにせよ、ただ一生徒がしていい範疇を越えているという意味でのやり過ぎだった。
けれど、その結果名前は少しでも早くあんな状況から救われた。彼女の首や肩の火傷は酷いものだったが、名前自身が火を噴く個性――まだ仮定だが――だろうこともあったのか皮膚の熱耐性が強く、首のほうはそんなに残らないのではとのことだった。それでも、両肩は残るだろうと。そうなれば、彼女は傷を見るたびに悪夢に苛まれるのではないだろうか。
もっと早く、見つけていれば、そもそも、彼女の個性をあの時、追い詰めることなどしなければ――。


「緑谷さん、診察が終わりましたのでお部屋の方へどうぞ」
「あっはい」


看護師に呼ばれていきおい席を立てば、隣に座っていた老父に咳払いをされた。
何を話せばとぶつぶつと考えながら歩いていれば、もう部屋についてしまった。白いドアの奥に、彼女はいる。取っ手を掴めば、金属質の冷たさが混線する頭を落ち着かせる。
一呼吸。声をかけてから、ドアを引く。先程よりは顔色がよくなった名前は、起き上がって待っていた。


「――一週間は、様子見ようって。ちょこっと植皮したところ、怖いからって」
「そっか、」
「肩出る服は、もう着れないかな」


ベッド脇の丸い椅子に腰かければ、彼女はへらと笑った。しゃがれた声で、そういった。
何を言えばと考えていた。彼女が何を考えているかわからなかった。出久自身も、怒っていいのかどうすればいいのか、自身さえも持て余していた。けれど、これだけは違うのは分かる。


「名前、笑わなくていいよ」


点滴の規則的な音が部屋の時間を作っている。彼女はまるで一瞬止まったように瞬きも忘れて、それから、ゆっくり俯いた。


「……嘘を、吐きたかったわけじゃなくて…いずが、個性でるまで、待ってたの」


布団を握りしめる指が、微かに震える。


「そしたら、ずっと個性でなくて、私、もう言えなくて」


無個性だと診断を受けてから、オールマイトの動画ばかりを追いかけていた記憶がある。出久も名前も、あの時は同じようなものだと錯覚していたから、名前もそうなのだろうと、同じ無個性になろうとしていた。


「あの日も、抑えられなかった。喉が熱くて、こわくて、名前を呼ぼうとしたら、そしたら、気づいたら火をふいてて…。あのこと全部知られたら、私が無個性じゃなかったこといずに知られちゃうと思って、私にだけ個性があったなんて、嫌われたくなくて、だから、ずっと黙ってたの。お母さんにも、秘密にしてって、」
「――うん」
「…ごめん、ごめん出久…私が、いずの個性も全部盗っちゃったんだよね…私の所為で、ずっと、」


そう零した彼女は、点滴の落ちる音に紛れて、涙を落としていった。


「…僕にもし、個性があったら、オールマイトに会うこともなかったのかもしれない。そうだったら、僕、無個性で良かった」


もしもなんて、なかった話をして荒んでいくなんて意義がない。そうして追い込まれたら逃げ道がなくなってしまう。


「――個性があってもなくても、名前は名前だよ」


オールマイトに個性を授かることになった、敵に襲われたあの日に、出久だけが個性をもってもいいのだろうかと思った。今までずっと無個性であることを嗤われてきたのは彼女も一緒だったので、自分だけがそんな日々から抜け出してしまっていいのだろうかと、そう思って彼女を見れば、スカートをぐしゃぐしゃに握り込んで、雄英に行って見届けるからと、頑張れと言ったのだ。
あの時の表情は、きっと名前は無意識で、知っているはずないだろう。どこも全然、頑張れなんて言える顔じゃなかった。すぐ顔に出るのだ。母も出久も名前も、顔に出やすくて誰よりも涙もろくて。それでも、何度だって名前は頑張れと言った。そんな名前に個性があったって、今まで積み上げてきた名前がどこにもいなくなるわけじゃない。


「でも、個性が名前の一部なら、全部まとめて、名前なんだ」
「……っ」
「今までずっと、僕と同じでいてくれて、ありがとう。もう、大丈夫だよ」


もう、隠そうとしなくていいんだ。
ぼろぼろと溢れる涙が絶え間なく布団に落ちて、点滴のチューブが拭う手に合わせて揺れた。


「まだ、いわなきゃいけない、ことがあるの」


彼女は鼻を啜りながら、嗄れて震える声は懸命に言葉を紡ぎながら、立ち上がった出久の腹に頭を埋めた。しゃくりあげる背中を撫でながら、取りこぼしそうになる言葉の端々を掬いあげる。


「頑張ってることは、応援したい…そうなれるように力にもなりたい…っ。私が思ってることは、水を差すことだし、頑張ってっていってることも、嘘になっちゃう…でも、それでも…本当は、ヒーローに、なってほしくない、頑張ってほしくない、ずっと…! 誰かのために傷ついていくのが怖いし、私の家族でいてほしい…ヒーローになりたくて、憧れて憧れて…! 悔しくても、どんなこと言われたって、挫けずにいたのを知ってる私が、言っちゃいけないって、思って」


何度も噎せ返しながら、それでも吐き出した言葉は迷っていた。シャツの裾はしとどに濡れて、嗚咽だけが室内に響いていた。
――分かっていた。ヒーローになってほしくないってことくらい。言葉に言われなくたって、ずっと。それでも何度も頑張れと笑う名前に、分かってくれと押し付けていた。


「名前…僕、」


彼女の背を撫でる右手が目に入る。骨の歪んだ右手は、もう元に戻らない。それでも、立ち止まりたくなかった。
どれだけ彼女にとって酷なことかと理解してはいる。それでも、出久は出久で、名前は名前なのだ。それはもう、どこも変えようがない。混ざりようがない。


「名前、僕、ヒーローになりたいんだ。誰かを守れる、ヒーローになりたい」


立膝をつくようにしゃがみこめば、俯いた名前と目線が合う。唇を噛んでぎゅうと目を瞑る名前の手を取った。彼女は深呼吸を一つして目を開けると、震える瞳で出久を見る。


「名前に、そういえばちゃんと、言ってなかったね」
「――うん」
「僕、ヒーローになるよ」
「…っうん」
「でも絶対、もうひどい怪我しないから」
「…いつもそれ、言ってるよ」


今度こそはと付け足した言葉に、彼女は笑った。


「……僕たちってやっぱり双子だね」
「――なんで?」
「個性の制御、お互い下手くそだ」


そうだね、とこぼした彼女の言葉が。否定も嘘もなく、馴染んで落ちた。

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