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翌日も当たり前のように授業はあり、朝は気も抜けたのか少し寝坊してしまった出久は急いで支度を済ませて靴を慣らしていた。今日も終わった後は見舞いに行くので、名前に頼まれたものを詰め込んだ紙袋を抱え上げた。
「出久、いってらっしゃい」
「お母さん、行ってきます」
見送りに来てくれた母に笑って、家を飛び出した。
――母は、泣きながらごめんねと言っていた。こんな事態になるとも思っていなかった上に、名前の頑なさも知っていたので、母を責めるのはお門違いだ。それでも、昔の事件の事を知っていればと思いもしたが、無個性だと言い張っていた名前のことを思うともっと捩れていたのかもしれない。
敵は逮捕されて現在も聴取が続いている。炭谷も、面会くらいは行きたいと話していた。十年前のマンション火災の時に面識はお互いにあるようなので、炭谷も複雑な心境であることは容易に想像がついた。
先日の誘拐事件はヒーローが活躍したニュースでもなく、名前が未成年であることも考慮されて大きく取沙汰されはしなかった。ただ、暫くは雄英の中で話題には上ることになるだろう。人の口に戸は立てられない。それが彼女をより孤立させてしまわないか、それだけが酷く心配だった。
A組の教室に入るなり、憂慮する視線も言葉も受けたが、身近過ぎる事件故に誰も踏み込んだことは言葉にできない様で、出久もただ苦笑いを零すしかなかった。
爆豪はイヤホンを差して携帯の画面を見ていて、一度だってこちらに顔を向けない。彼のしたことは誰も知らないのだろう。ヒーロー殺しの時のことを思うと、むやみに声をかけてしまうことは憚られて、出久は静かに席についた。
放課後、帰り支度をしていると珍しく他クラスの誰かが出久を呼んでいるようだった。芦戸に声をかけられてドアの方を見遣れば、そこには相変わらず重い隈をぶら下げた心操がいた。
「え、心操君…!? どうしたのA組まで、」
「…C組の緑谷さんの友達が、今までの分のノートとかプリントとか渡しといたほうがいいだろうって。お見舞いは行けないから、」
教科ごとにまとめたノートやプリントを簡易なプラスチックケースにまとめて渡してきた彼は、迷惑でなければと付け足した。
「ありがとう、今日終わったら病院に行く予定だったから、一緒に渡すよ」
「いや、むしろ手荷物増やしてごめん。お大事に」
それじゃ、と言葉少なに去っていった心操をつい見えなくなるまで見送ってしまった。
――杞憂だったかもしれない。ここはかの有名なヒーローを輩出する雄英高校だ。普通科だろうとどこだろうと根本にあるものは同じなのかもしれない。
出久は彼から渡されたケースを抱えて、学校を後にした。
病室に顔を出せば、彼女は手持無沙汰なのか折り紙を折っていた。ベッドテーブルの隅にはこんもりと鶴が折ってあって、この病院のどこかに飾る千羽鶴の一房になるのだろう。
「ごめん、いず、荷物頼んじゃって」
「ううん、このくらいどうってことないよ」
着替えやら何やらを詰めた紙袋はベッド脇の棚の前に置いて、心操から預かったケースを胸の前に抱える。当然首を傾げた名前に、はいと手渡しした。
「心操くんが、渡してって」
名前は受け取って暫く呆けた後、いそいそと中身をベッドテーブルに並べた。透明なファイルに入っているプリントは教科ごとに筆記も異なり、ちらと横目見た中に心操の名前が見えた。どうやら彼とは仲良く過ごしているようだ。気にならないわけではないが、これは彼女の領分だ。気にしていない素振りで、折り紙を一つ攫った。
「……勝己君は、なにか、いってた?」
三角に畳んだ紙の縁を親指で強く縁取る。彼女は広げたノートに目線を落としながら、口籠りながら言った。
爆豪がしていたこと全ては、彼女に伝えていない。ただ彼が乗り込んでいった際の後姿は見たというので、何となく、察してはいるのだろうとは思う。
出久は二度、三角に折りたたんだところで手を止めた。
「――ううん。僕らはヒーロー科だけど一生徒だから、あんまりそういうの公にしちゃうと色々まずくて、かっちゃんも僕も、あの時の話は何も」
――まだ、お礼すら言えていない。元々近づき難く、向こうががなるばかりで真面に会話が続いた記憶さえ怪しいのだ。尚更何も言えなかった。爆豪もそんなもの望んではいないのだろう。
名前はベッドの上で膝を引き寄せると、隣に座る出久を上目に見上げた。
「…いずにとって勝己君は、やっぱりまだ、すごい人なの?」
彼女のその言葉で思い出されるのは、中学の頃の記憶だった。今でも彼の粗暴な言動はあれど、あの頃は無個性だった出久が同じ雄英高校を受験することが彼の怒りにしかならず、突いて出たのは飛び降りて死ねというなんともヒーロー志望あるまじき発言だった。あれから、確かに彼は変わっていっていると思う。入学してすぐの戦闘訓練の授業で、初めて見せたずたずたになった尊厳をかき集めるための激情。ここで一番になってやると、叫んだ言葉。
――人の意見を聞き入れないどころか耳にも入れない態度も、どんな言葉もねじ伏せる怒声も。口が裂けてもいい性格をしているとはいえないが、それでも確かに、彼はずっと、出久の目の前にいる。生まれ持った個性を最大限に、出来得ることにひたむきに、他者をも寄せ付けない力で勝ち進んでいく未来があるから、彼はそれ以外が許せないのだ。
そういうところは相変わらず――。
「……すごいよ、かっちゃんは。まだまだ追いつけない。こうやって個性の使い方にだんだん慣れてきて、尚更そう思うし、かっちゃんのそういうところは、やっぱり憧れでもある……嫌な奴だけど」
歪な右手を見ていた自分に、思わず苦笑いを零して握りしめる。
名前は少しばかり目を細めて、唇を噛んだ。
「……名前はあの時、僕よりも怒ってくれたね」
「あの時、は……、家族だもん」
それ以上は言葉を継がなかった彼女のはっきりとしない唇に笑った。
「…僕は、悔しかった。反論できるものが何もなくて、ただでさえ無個性で…でも、今は違う。名前も、きっとあの頃とは違うよね」
爆豪の事が大嫌いだと言ったあの日から、時間も経った。状況も、心情も変わった。あの日の言葉を引きずっているのだろう。名前は、どう爆豪と向き合えばいいのか測り兼ねているのだ。たった一人の兄妹で、家族だからこそ、あの日の言葉はもしも逆の立場であれば許せない気持ちにもなる。
「僕がじゃなくて、名前がどう思うかでいいと思うんだ。幼馴染で、いろいろあって、でもまだこうやって同じ学校に通ってて、この間の事があって。それでも、どう折り合いをつけていくかは名前だから」
うん、とこぼした彼女は、縒れたシーツを見つめていた。
――思い返せば、やはりそうだったのだろうなと思う。長く幼馴染として隣にいた爆豪との関係性は捩れていて、一言では言い表せないものがある。とりわけ、爆豪が出久にしてきたことを知っている名前にとって、出久が爆豪に対して思うよりもずっと嫌な奴であった。それでも、当の出久が爆豪を嫌悪していたわけではないばかりに、名前はその思いをどこにぶつければいいのか分からなくなっていたのだと思う。爆豪は名前に対しては普通であったから、余計なのだろう。そういうふうに、この三人の関係性に何か思うところがあると、彼女はすぐに口籠ってしまうのだ。隠していたいからというわけではなく、単純に言葉にできない曖昧さをどうすればいいのか分からないというふうだった。名前のベッドで、背を向けあって眠った日も、こんな具合だったなと思い出し笑いをすれば、訝し気な目を向けられた。
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