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オールマイトから相澤に声をかけてみようと提案を受けたのがつい三日前のことだ。あれから音沙汰はなく、事件から一週間と少しも経てば関心も薄れていった。ただ、どうしても包帯を取り払ったことによる拭えない痕を追う目は耐えがたく、これが冬であったらよかったのにとも思った。首の痕も消えるだろうとの話であっても、そんなにはすぐに綺麗に消えてはくれない。時間が経てばいつかはという話であって、暫くはこの同情混じりの奇異の眼差しからは避けられそうにもなかった。
週の中日は友人の彼女たちがバイトだ部活だと急いで帰ってしまう日で、名前は個室のある図書館にでも移動をしようとカバンに教科書を詰めていた。そんな時、誰かが机の隅を指でつついた。つられて目線を上げれば、ジャージを小脇に挟んだ心操が、なんとも不思議そうな顔をしてそこにいた。


「この後、用事とかある?」
「え、ないけど…どうして?」
「いや、相澤先生に放課後呼んで来いって言われてて…?」


詳細は全く聞かされていないようで、心操もよくわからないというふうに小首を傾げていた。
恐らく、先日の件なのだろう。詰め込んだカバンを机の脇に戻し、ロッカーから体操着を取り出して心操の後について行った。

普通科の授業はもちろん、他学科と違い標準的な学習要綱に従っている。つまりは、使用する施設は最小限であり、グラウンドがあればそれ以外は教室か実習室だけに収まる。雄英高校がとてつもなく広大な敷地を有していることは知っていたが、こうして体感する日が来ようとは思ってもみなかった。


「心操くん、これどこまで行くの…?」
「今日は工場みたいな運動場のとこだから、あと少し」
「雄英って、ほんと広いんだね」


体操着に着替えて、教室のある建物から離れて歩くこと十分程だろうか。依然と樹木に囲まれた場所を歩いている。動物に出くわす雰囲気があるほど鬱蒼としているわけではないが、それにしてもたかが高校の規模を越えているのは名前だけが思うことではないのだろう。流石は国立だ。
腕からずり落ちそうになった制服の裾を抱え直せば、心操がそういえばと声を上げた。


「緑谷さんは、なんで呼ばれたか見当付いてるんだ?」
「……うん」


心操は知らない。A組の彼らが何かを言ったりしていなければ、あの場にいた者以外は知ることのない個性の事。心操とこうして運動場に向かっているということは、今後彼と共通の時間が増える可能性があるということだ。
――個性は、名前の一部だ。取り繕うことも、もうしなくていい。そのために、これから訓練していくのだ。
丸めたがる背筋を伸ばして、彼を心操を見上げた。


「――私、本当は個性があるの」


何度もぱちぱちと瞬きを繰り返す彼はいつもよりも瞼を開かせていて、それから、少しして笑った。


「へえ、どんな個性なの?」
「…、何も、言わないの…?」
「何を? というか、言っただろ、緑谷さんは緑谷さんだって」


言い切った後にあーと小さく唸って頬を掻く心操は、頃合い良く見えてきた工場のような密集体を指差した。入り口の前には黒い人影が立っており、少しだけ小走りをして近寄っていく。
名前は、相澤を二回ほどしか見たことがない。内一回は体育祭でミイラになっている状態だったので、実際は入学式の一回きりで然程記憶に残っていなかった。それでも、残っていた記憶をどれだけかき集めても目の前の男になってはくれない。そこには、無精髭に乱れた髪をそのままにさせた凡そ教師とは思えぬ風体の男がいた。目の下に残る隈は心操に似ているが、彼よりも体調の心配してしまうほどには顔色も優れていないような気もする。
入学式の日はスーツを着ていたせいなのかすらっと長いイメージがあったのだが。隣で心操が相澤先生と呼んでいたので、確かに間違いはないのだろう。剥き出しの配管やらパイプを背景に、相澤は血走った眼を擦っていた。


「…1年C組の緑谷名前です」
「A組担任の相澤だ。俺は時間を無駄にしたくないんだ。早速やっていこうか」


首というか肩というか、ずっしりと重そうな細い布を巻きつかせた彼は、そう言って身を翻すと心操には早速別で指示を出しているようだった。彼も脇に抱えていた袋から相澤と同じ布を取り出して首に巻き付けていく。心操の個性は肉弾戦では不利になる分、道具を使って補おうという訓練のようだ。配管と配管の間を結ぶように指先を動かしていることから、この密集地帯をどう移動するかという課題なのだろう。頷いた彼は、軽く柔軟を始めていた。


「緑谷」
「はい」


指示を終えた相澤が戻ってくる。彼は釈然としないような顔をして、それからまあ似てるなと呟いた。


「オールマイトや緑谷…あー緑谷出久の方に聞いたが、火をふく個性であってるか?」
「――はい。今まで、使おうと思って使ったことがないので、自分でもよく分かっていないのですが…」


相澤はポケットから取り出した目薬をさして、それから目にかかる前髪をかけ上げた。


「お前は、どんなふうになりたい」
「どんな、ですか…?」


唐突にそんなことを吐き出した彼は、腰に手を当てながら真直ぐに名前を見下ろしている。
どんなとは、なんだろう。個性を上手に扱うことができるようになっても、ヒーローになりたいわけではない。名前の終着地点は、どこまでいってもただの一般市民だ。相澤の問いに答えあぐねていると、想像よりは穏やかな声で言葉が返ってきた。


「今までの話は聞いてる。お前の個性はお前だけのもので、別に特別なわけじゃあない」


個性と向き合って、そして、どうするのか。どうありたいのか。
漠然としている。今まで存在しないものとしていたコンプレックスをさらけ出そうとしている。
それでも、曖昧な胸臆でも、ひとつだけ確かなことがあった。


「…この個性が、ちゃんと自分の手足と同じ一部なんだって、思いたいです」


否定し続けてきた。なければいいと思っていた。見て見ぬふりをしてきたものが今更本当は自分というものを形成する一部なのだと、飲み込んだところで消化もできない。
だからこそ、少しずつ噛み込んでいきたい。


「…まだ、怖いです。自分でもよく分からない個性を扱えるようになる自信もありません。でも、ちゃんと向き合ったら、そうしたら、もう誰も、傷つけない」


攻撃的な個性だということだけは分かる。あの日のように、知らずに吐き出したものがまた誰かを傷つけてしまうような、そんなふうにはなりたくない。
今できることはそうならないために、自分の個性を知ることしかないのだ。
下唇を噛んで彼の目を見つめ返せば、相澤は少しばかり目を眇めていた。

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