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現在のグランファ事務所はサイドキックを二十人程抱えた大きくはないが小さくもないような事務所で、構成されるメンバーの個性はパワー系を中心に移動系個性や探索系個性など、主に救助活動をメインに行っている。筆頭であったグランファこと炭谷は第一線からは退きながらも後進の育成や事務作業に徹しているようで、今も事務所の名前は変わらないまま在籍し続けている。今日も担当区の警察署での話し合いをしているようで、帰ってくるのは一時間以上かかるだろうとのことだった。
救助がメインとはいえ、日ごろは市街地のパトロールなどを行っているので、昼食時も過ぎた昼下がりに事務所に残っているのは休日担当の一部のサイドキックと事務員のみだ。デスクの並ぶ部屋の奥にある応接室も酷く静かで、この階層だけはいつも時が止まっているような感覚にさせられる。
深く沈みながらも弾力のある二人掛けソファにテーブルを挟んでカイトと向かい合いながら座れば、先程まで電話をしていた男が盆を片手に現れた。


「いやあ名前ちゃんもすっかり大きくなって、あ、この間の体育祭見たよ。出久君怪我大丈夫だった?」
「ファンドさん、ありがとうございます――」
「あ! そうそう、二月前にさそこの信号抜けた先に和菓子屋さんができてて、今日初めて買ってみたんだけど、最中好き? 苺大福もあるよ――」
「ファンドうるさい」
「ああごめんつい嬉しくて」


アイスティーをテーブルに置きながらにこにこと笑みを絶やず会話も止まらずに続ける彼の頭を、カイトが空いた盆でやわく叩く。ポコンと小気味いい音がして、彼はそのまま頭に乗せられた盆を掴んだ。


「でも今日は、久しぶりの再会だけじゃなさそうだね」


彼の個性をよくは知らないが、索敵班員なのでそういうものなのかもしれない。「あ、個性じゃないよ。ただの勘だよ」と考えていることが伝わったのか、ファンドは立ち上がりながら両手を上げて首を振った。
――六年前のあの日から、ずっとここには通っていた。幼いながらも贖いようを模索して、笑っていてほしいと言った炭谷の真意を推し量ることはできないままにそれでも足を運び続けていた。懺悔だと言えば聞こえはいいが、名前にとってもここは、個性の全てを知る、嘘を吐かなくてもいい場所であった。穏やかな彼らに囲まれて過ごす日々は、鉛を残していきながらも羨ましいものだったのだ。
揃えた膝の上で握った両手を、ファンドはつついた。長い足を折りたたんで背を丸める彼は、名前よりも目線を低くしようとしているのだと思う。


「息を吐いてごらん。それからまた吸って、吐いて――。背もたれに寄りかかって、指先から力が抜けていくイメージで呼吸を続けてみて」


眠たくなるような声が、強張った筋肉の一つ一つを解いていく。言う通りにソファに身体を沈ませると、白い天井だけが視界に映る。窓から差し込む日差しが影を作って、アイスティーの香りが鼻腔を掠めたような気がした。


「…心と身体は突き放せないんだ。名前ちゃんはいっつも言葉を探して拳を握ってしまうからね。そうすると、逃げ道が無くなってしまう」


何もない天井を見上げながら、言葉は探さなくていいんだよと笑ったファンドの声に目を瞑る。


「…私は、この個性にどう向き合えばいいんでしょうか」


どうありたいかを常に考えろ。
相澤はそういったけれど、ありたい自分の姿が見当たらない。個性は身体の一部だというのに、ちぐはぐなパッチワークで繋ぎ止めているかのような不恰好さだ。
沈黙が応接室を満たしている。ゆったりと目を開ければ、グラスの水面を反射させた光が揺蕩っていた。


「名前は、どうしてまたここに来てくれたの?」
「どうして……」


彼女がマイナスな意味で言っているわけではないことは分かる。そうするに至った経緯を、カイトは聞きたいだけなのだ。
ここに来なくてはいけない気がした。もう二度と来られないかもしれないと思った。ただ、炭谷と再び言葉を交わしながらそんなことはないのではないかと思えた。
――個性のこと、母はどう思っただろう。無事でいてくれればそれでいいのだと泣いていた母は、個性のことを知らされただろうに何も言ってはこなかった。ただ一言、お父さんと同じねと笑った声ばかりが耳に残っていて、それに無性に声を上げて泣いてしまいたくなった。
ボロボロになっていく出久を見る母の顔が浮かぶ。あの個性は、どちらにも似ていない。個性に悩んでいるのだと、たった一言が言えない。


「……ここなら、自分の個性の話が、出来ると思ったんです」


勝手で、ごめんなさい。
掌から、何かが通り抜けていく。ぽろぽろと小さな粒が目尻から落ちていくけれど、頭の奥は冴えている。二人はまだ、何も言わなかった。


「…個性は身体の一部だから、ちゃんと向き合うんだって思って今訓練してるんです。でも、全然そうなってくれない。手足みたいに、思ってる通りになってくれなくて、」


焦っている。誰とも進み具合が同じではないことを理解はしながらも、糸口がうまく見つからない。


「…それじゃ自分に対する脅迫だ。こうなりたい、こうなれるはずだ、こうでなければならない。答えはないから、絶対もない」


身を起こした先で、カイトが膝頭に肘を突いて前のめりになりながら笑っている。


「個性は敵じゃないよ。ただ一緒にあるだけだ。名前ちゃんが生まれたときからそこにいる、ただの隣人だよ」


膝を抱えるファンドが、カイトと顔を見合わせてそんなもんだと頷いていた。
カランと、氷の表面が溶けていく音がした。

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