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二日後の月曜日の放課後。先週と同じく心操は配管の密集地帯レースのタイムアタックをしていて、その端で名前は個性の訓練をしていた。
相澤はいつもの通り気だるげな目をしてはいるが心底そう思っているわけではなく、腕を組みながらも心操と名前を両方視界に入るポジションを取っている。


(…個性は、特別じゃない。敵でもない。ただの、隣人…隣人、まだ分からないけど)


相澤が言っていた特別じゃないのだという言葉は、皆が手足の如く持っているからだということだと思っていた。そうではなかったのかもしれない。個性というものを大多数が当たり前に思っていて、そうであることが当然なのだと思い込もうとしていた。その時点できっとずれているのだろう。"身体の一部でなければいけない"という考えはある意味個性というものが今現在自分からかけ離れたところにあるものだと、別枠のように考えているということで、そういう考えを特別ということではないのだと、暗に言いたかったのではないだろうか。
息を吐いて、それからゆっくりと吸い込んでいく。出久がワンフォーオールを扱えるようになってきたのだと話していたあの夜を思い出す。あの夜の名前に余裕など微塵もなかったけれど、今思い返せば彼のそういうところは自分にも通ずるところがあるはずだ。
身体の隅々にまで広がっていくイメージだと言っていた。電撃のように走るものが、出久の全身を巡っていっていた。名前の個性は全身に作用するものではないけれど、身体の中を巡っているものに違いはない。
吸い込んだ息を肺の一つ一つに、そうして上半身から開いた指先に、下半身から地面に抜けていく。意識を整えて、唾液を飲み込んだ。今日はずっとあの甘苦い味がする。いや、恐らくずっとここにあったのだ。ただ強く感じる瞬間があっただけで、本当は身体の中にあったのだ。
歯を噛み合わせる合図。腹の奥から取り込んだ息が、喉から出て行く。言葉を一生懸命に探して取り繕ってしまう前に、全部吐き出してしまえばよかったのだ。


「!」


爆ぜる音が聞こえた。蝋燭などよりも圧倒的な熱が広がる。視界を埋め尽くす炎の反動を受けて、後ろに転がった。
炎が散った向こう側で、配管にぶら下がったままこちらを向く心操と目が合った。


「――上出来だ」


目蓋をしかと開けた相澤がくっと笑う。
竦んだ足で、立ち上がった。不恰好でも、それでも、この個性はずっと一緒なのだ。



そこからずっと単純に炎を出し続ける訓練を続けた。何よりも個性を使う感覚に慣れることだと言った相澤の個性がその後発動されることはなく、段々と尻すぼみしていく威力に比例して喉や口は渇いてヒリヒリと痛んだ。
週三日ある訓練の中で、時には基礎体力強化だとトレーニングやヒーロー科の個性に関する授業の一部などをして過ごす日々を二週程繰り返していたある日。その日は来週に行われるヒーロー科の期末試験の関係でいつもの運動場が使えず、誰が言ったか某遊園地のような略称の体育館に来ていた。何もない大空間というような場所だったが、床には正方形に囲まれた四つのコンクリートでできたところがあり、セメントスがいて初めて立体的な空間になるらしい。


「今日はこの中でやってくが、いつもと違う分緑谷は個性使う方向考えろよ」
「燃やされないようしよ」
「も、燃やさない! …よ」
「そこは最後まで自信持ってくれ」


心操は今日のメインは相澤との組手のようで、名前は体育館を二つに分けた手前側を使うことになった。
これまでひたすら限界まで吐き出すことばかりで視界を遮られることが多かったので、少しずつ出力の調整を覚えていこうということになった。指向性を定めるようなサポートアイテムがあれば的を絞ることもできるのだろうが、飽くまで最終地点は誰も傷つけないようにするために個性をコントロールしていくことだ。
隣で心操が機敏な動きをして相澤に食らいついているのを横目見る。彼はヒーロー科に編入するために相澤と秘密ーーではなくなったが、この特訓をしているのだ。最近は彼と行動を共にしているおかげで、C組の中で名前もヒーロー科に編入するらしいという話が持ち上がりつつある。クラスメイトは皆名前のことは無個性だと思っているというのに、どうして編入するなどという噂になっているのだろう。
できるだけ背中を壁に寄せながら、ぐぐと天井に向かって伸びをする。火を噴くか噴かないかという単純なことしかできないので、どんな火が理想なのかイメージを思い描きながら、息を吸い込む。それから歯を噛み合わせて、吐き出した。
どうしても反動で身体が後ろに下がる。上体を軽く折り曲げ前へと吐き続けていれば、いつもより僅かばかり見やすくなった視界の端で心操がバックステップしたのが見えた。


「おい下がるな!」
「っ!? むぐっ」
「うわ、!」


手で押さえて口を閉じても、吐き出した炎はすぐには消えない。相澤の捕縛布が心操に伸びる。届くはずもないというのに、思わず腕を伸ばした。また、傷つけてしまう。伸ばした右手が、空を掴んだ。
――相澤の布が彼の腕を捕らえる。強く引っ張られて前方に滑り込んだ心操は、どこにも怪我はないようだ。
地面にへたり込んで、両手を床に突いた。炭谷の火傷痕が浮かんで目が眩む。


「…今、なんかしたのか、緑谷さん」
「――…え…?」


垂れていた首を持ち上げれば、驚いた顔をして心操がこちらを見ている。言葉もなくお互いただ呆けているこの状況で、相澤が柔らかくはない眼差しを向けた。


「――緑谷の個性は、父親譲りだったな」
「は、はい…」
「母親の方の個性は?」
「あ、え…と、ちょっとした物を引き寄せる…です」


突然振られた質問に、相澤だけがやけに納得したような表情をしている。心操は腕に絡まる布を解きながら立ち上がり、依然としてへたり込んだままの名前の許へと駆け寄って手を差し出した。俺は大丈夫だからと彼女が何かを言う前にそう遮った彼は、名前の手を引いて立ち上がらせる。


「相澤先生が引っ張る前、炎の向きが一瞬変わった感じがしたんだ」
「――放出するだけの個性かと思ってたが、母親の個性も考えるとある程度出した炎を自分でコントロールできそうだな」


――母はよく、幼い頃に名前と出久の頭を撫でては胎の中でも仲良しだったのよと笑っていた。疾うに胎内記憶など欠片も残ってはいないが、もしそうだとしたら――。
心操の手を掴んだまま、詰めた息を零した。彼の指先は、少し冷たかった。

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