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土曜日、出久たちは木椰子区のショッピングモールに遊びに行っていた。名前はといえば、いつもの友人たちと映画館に行っていて、その後近くのカフェでぐだぐだと取り留めもない話題に華を咲かせていた。木椰子区のショッピングモールともそう遠くない距離間にもあったので、駅まで揃って帰れば母も迎えに来てくれるだろうかなんて考えて、出久にメッセージを送ったのはもう一時間以上前のことだ。返事もなければ、そもそも既読にさえなっていないようだった。
「もうすぐ七時ね、そろそろ帰る?」
「そうだねえ、まあ来週もまだ会えるからね!」
「夏休み、課題やりに集まろーよ」
柚希の提案に頷きながら、それぞれが席を立った時ジーンズのポケットに入れていた携帯が鳴った。手も塞がっていたので、駅に着くまで画面を確認することはなかった。
改札を抜けて、各々のホームへと散らばった。階段を下りて、後方車両のほうへ早足で向かう。
――ホームの先頭にはもう並べない。必ず壁際に沿うかはたまた車両が来るまで椅子の近くで待機しているかの二択しかない。口の中はいやに乾き、じくじくと首の傷跡が痛むときもある。鏡や窓に映る跡を見れば、容赦ない吐き気と眩暈に襲われることだってあった。
未だ勝手に湧くそれらを、馬鹿みたいだと思う。もう、あんなふうに怒りをかざしてくる人はいないと知っているのに、あの線路に押された殺気をまだ覚えて引きずっているのだ。この傷さえ早くに消えてくれれば、まだ変わったのかもしれない。
「――な、んでお前がここにいんだよ」
聞き慣れた声に、メッセージを開こうとしていた手が止まる。ゆっくりと右隣を見上げれば、紙袋を提げた爆豪がいた。
――彼とこうして目が合ったのは、階段で一方的に話して以来だった。行き帰りの電車でさえ偶然鉢合わせることなど今までなかったというのに。ということは、彼もA組のクラスメイトとショッピングモールに遊びに行っていたというのだろうか。一ミリも想像がつかない。
「…こんにちは」
一応、そんな片言のあいさつだけ返しておけば、彼の言葉をかき消すように電車がホームに入ってきた。この瞬間の突風と音だけは、どうしてもまだ身が竦む。休日の夕方ということもあってそれなりに混雑したホームで、爆豪とは結局そのまま同じ車両に乗り合わせるほかなくなった。
公共の場で声を荒げるほど非常識ではない彼は、人の流れのまま大人しく名前の隣で仁王立ちしていた。
――気まずい。中学校の頃も彼と会話はまともに交わしたこともない。それこそ楽しい会話が成り立っていたのは幼稚園かそこからの頃だ。今更どんな言葉をかければいいのかわからず、目の前の広告を無意味に映していた。
「――かわいそう」
女の子の声がした。車両は混んではいるが他人と半人分の距離を開けることができる程には余裕があり、入り口付近で立っていた名前に確かに、その声が届いた。
「火傷かな…手の跡みたい」
「うわ、やめてよ――っなに、あの人…」
つい先程まで会っていたのは気兼ねなく話ができる友人で、ホームで出会ったのは事を知る彼で、いつもであればホームについた時点で括っていた髪は下ろしていた。
同情も憐みの目も、学校で散々受けていたので慣れたと思っていた。体操着は襟で隠してくれて、制服は第一ボタンまで閉めればいい。私服は、そういうわけにはいかない。早く冬になればいいなと、髪ゴムに手をやりながら足元を見た。
「下向いてんじゃねえ」
頭上から声が弾けた。怒鳴るような鋭さではなく、それでも強い語調にほどけた髪が揺れる。サンダルを映していた視界は、少しだけぼやけていた。
「――勝己君、言葉は選んで」
「ああ゛? 要は同じだろーが」
握りしめていた拳を開く。息を吐いて、それから吸い込みながら顔を上げた。
――爆豪は厳しい。言葉も態度も、優しくはない。
それから、一言も言葉を発することはなかった。
降りる駅名のアナウンスがかかったところで、そういえばメッセージをみるのを忘れていたことを思い出した。もう七時も過ぎて時間も大分経ってしまったがすれ違いのメッセージでないことを祈りつつ、アプリをタップして出久のメッセージボックスを開いた。
「……勝己君て、みんなでショッピングモール行ってたんじゃないの?」
「行くわけねーだろ、めんどくせェ」
受信時間は一時間前。要件は簡潔に、木椰子区のショッピングモールで前に雄英を襲ってきた敵に遭遇、警察署で聴取を受けているとのことだった。無傷で何ともないから大丈夫とあった追加のメッセージ。新規通知があった母のボックスを開けば、警察署まで迎えに行っているようだった。
ニュースを漁れば、速報で短い記事が一つ。
今日の一時頃、木椰子区ショッピングモールに敵が現われたとの通報を受け一時閉鎖をしていたが、すでに逃走後だったため確保には至らなかった。幸い負傷者もいなかったが、先の保須で起こった事件と関連のある敵の可能性が高く、引き続き警戒を――。
爆豪も同様に調べたようで、画面を食い入るように見つめていた。
電車が減速していく。出久に今から帰ると送れば、迎えに行くから駅で待っていてとすぐに連絡が入った。
ドアが開く。爆豪と合わせて動いた身体は人の波に流されながら改札まで押し出される。定期をかざしてカバンに仕舞えば、爆豪の独り言のような、それでいてやけにはっきりとした言葉が降ってきた。
「送る」
「…えぇ?」
駅のベンチにでも座って待っていようかと思っていた足は思わず立ち止まり、後ろの人とぶつかった。ボケっとすんなと再び吐かれた悪態とこの状況に、足を動かすほかなかった。
勝己君が送ってくれるみたいだからいい、そう書いた文面の送信ボタンを押す指が迷う。駅前のロータリーは送迎車で渋滞していて、ヘッドライトが眩しい。
目の前を歩く大きな背中は時折後ろを確認するような鋭い視線を向けては来るが、思ったよりはゆったりとした歩幅で進んでいた。
「か、勝己くん、いいよ、そんな、全然」
「途中まで道ほぼ一緒だろォが」
「そ、うだけど…」
ロータリーを背に、もう歩き始めている。
彼の背中と携帯の画面とを交互に見やっていたせいで、足元の段差に躓いた。その拍子にメッセージは送信されて爆豪にも鼻っ面から衝突する。ぴたりと彼は歩くのをやめて振り返ると、心底面倒そうな顔をして名前の腕を引っ張ると自分の隣に並べた。
「不器用なくせして画面なんか見てんじゃねえ! 前見て歩けクソが!」
「す、すみません…」
尤もな意見に、反論の余地もない。携帯をしまって、それから車道側を歩く爆豪を見上げた。
――本当に、変わったと思う。のろのろと歩く名前のスピードなど、以前なら置いて行っていただろう。
「…ありがとう」
こぼした言葉に、彼は短く別にと返した。
駅前のテナントの入ったビルを通り越して、横断歩道をいくつか渡って大通りを横切っていく。次第に閑散とし始めた周辺に、二人の間の沈黙がひどく浮き彫りになっていくような気がした。
「……雄英を襲ったことのある敵って、どういう人なの」
知ったところで、どうしようもないことだった。それでも、彼らが対峙している見えない何かを、無関係だと言い切ることは到底できない。出久には、聞いたところで答えなんてはぐらかされてしまう。
爆豪は前だけを見据えたまま、関係ねえと吐き捨てた。
「あいつらの狙いはオールマイトだけだ。普通科の奴らなんざ興味もねえ」
それ以上は言葉を重ねなかった。
――関係ない。そうなのだろうか。ヒーロー科に双子がいるだけで、出久がいつかその敵と何か関りを持ってしまうことがあったとしても、名前だけはいつも無関係でいるのだろうか。
「……家族なのに」
良い一般市民でいるためには、関り過ぎないことも大切なのだろう。これ以上は、ただ足を引っ張るだけになる。名前に敵を倒す力はない。個性はあくまで正当防衛の一環でしかない。そういう場所に近づかないことも、自衛にとっては確かに必要なことなのかもしれない。
――本当に?
「…私がいずにできることって、ないのかな」
高架下で、立ち止まる。足元を照らす覚束ない電灯が今にも切れかかってしまいそうで、月の薄い夜には頼りない。
爆豪は一歩先で同じように足を止めて半身を翻すと、やはり優しくはない声で吐き捨てた。
「なんもねェよ」
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