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ほんとデクもお前もどんくせーよな。
迷子になった名前を見つけた後の第一声は、大概そんなものだった。少年特有のよく通る声が木々の隙間で木霊して、先程まで頻りに名前を呼ばれていた声の焦りはどこにもない。どんくさいから、帰りは手を繋いで帰った。もうずっと昔の話だ。繋いだ手は出久を傷つけて、そして、振り上げた理不尽な拳はもう彼には向かなくなった。

今も、あの時に似た声がした。独りぼっちの洞の隙間で隠れながら聞いた、遠くから葉を踏む音に交じって呼ばれる声。


「な――!」


世界はいつの間にか真っ暗で、瞼を閉じているのかどうかも分からない。それでも、身体がひどく重たくて、どこもかしこも痛いような気がして、最近は痛いのばっかりだなと混濁した脳のどこかでそう思った。思って、熱を感じた。


「名前!」


どうやら、目は閉じているようだ。固い瞼をこじあけて、薄っすらと差し込んだ光の先はぼやけている。先ほどよりも近くに感じた声が夢の続きのようで、なんだかとても懐かしくなって、思わず笑った。


「……か、つき、くん」


ぐるぐるとぼやけた視界に映った顔は爆豪のものだ。それから、彼の背の向こうに視線を移すと大勢の人が見えた。


「緑谷少女! 気がついて良かった…!」


オールマイトの声がしているけれど、頭を動かすのも億劫だった。爆豪に抱えられながら、何ができる気力もなくて肩口に頭を寄せて目を瞑る。床に放り出された足は鉛のように重いけれど、もう大丈夫なんだろうなと、漠然と思った。


「ここがどこだか分ってんか」
「……う、ん。公園で、引っ張られて、敵のとこ」


頭は大丈夫そうだなと爆豪の声が落ちる。ゆっくりと立ち上がった彼の腕の中で、不鮮明な記憶を繋いだ。
そうだ。頭を殴られていた。
気づいてしまえばだんだんと痛みも強くなっていく。痛い、と呟いてしまえば、堪えていたいろんなものが声と一緒にあふれてきた。
――出久は大丈夫だろうか。このまま殺されてしまうのかもしれないなんて、あの頃よりもっとはっきり思った。あの人は泣きながら傷つけてきたのに、この人たちはそんな迷いの微塵もなかったのだ。
爆豪の胸の奥から、心臓の鼓動が聞こえる。出久よりも高い体温は相変わらず陽だまりに似ていて、ひどく、安心した。


「っ」


ぼろぼろと溢れて溢れて止まらない涙が、爆豪のシャツを濡らす。肩を掴む温かい手が少しばかり強くなっていくのが痛いというのに、それさえも寄る辺のような気がして、ただ、声を押し殺していた。
オールマイトの大きな手が、柔らかく頭を撫でる。もう大丈夫だと、いつかに見たテレビと同じ声で言った。


「…おいたが過ぎたな。ここで終わりだ、死柄木弔!」
「――正義だの…平和だの…、あやふやなもんでフタされたこの掃き溜めをぶっ壊す……そのためにオールマイトを取り除く。仲間も集まり始めた、ここからなんだよ…!」


死柄木は喉を潰したような声で叫び散らしている。ふざけるな、こんな、あっけなく、失せろ、消えろ。
消えろ。そう、しゃがれた声が響く。腹の奥底から吐き出される呪詛に、閉じていたかった瞼が押しあがる。


「奴は今どこにいる、死柄木!」
「お前が! 嫌いだ!!」


ごぽりと、喉の奥から何かが溢れた。掴めない、けれど身体の外へと流れだす黒い液体はいつだかの敵のようで、呼吸が詰まる。爆豪の抱える腕の力が強くなって、そうだというのに、身体はどこかへと持っていかれそうだった。


「――!?」


視界は再び、暗転した。



瞬きのような一瞬。三半規管が直接揺さぶられるような気持ちの悪さと、喉の奥にあるへばりついた異物感に吐き気を感じながらどこかに放り出された。膝からくずおれて手をつくと、そこは何か固い破片の混じった砂地で、周囲は月の光に照らされた仄かに明るい夜が広がっていた。


「げほっうえ、」
「んっじゃこりゃあ!?」


すぐ隣に同様に現れた爆豪に腕を掴まれながらも、立ち上がることもできない威圧感が頭上から押さえつけられている。


「悪いね、二人とも」


抑揚のない声だ。頭が痛い。ずっと視界はぼやけている。
ゆっくりと顔を上げると誰かがそこに立っていたけれど、爆豪が目の前に立ちふさがることで遮られた。


「あ゛ァ――?」
「げぇぇ…」
「また失敗したね、弔」


男は爆豪と名前の背後で液体の中から落ちてきた死柄木たちに向かって、微笑んでいた。――顔面をマスクで隠しているせいで何も見えないというのに、どうしてだかそう思った。
爆豪も名前もとりわけ眼中にはないようで、二人を挟んで、膝をつく死柄木に手を差し伸べるかのような仕草をする。


「でも決してめげてはいけないよ、またやり直せばいい。こうして仲間も増えた」


この子たちもね、大切なコマだと考え判断したのなら。
――炭谷の声が真昼間の柔らかな日差しだというのなら、彼の声はまるで砂漠の夜だ。静かで、それでいて寒くて孤独に沈んでいる。


「全ては、君の為にある」


そう笑った男の背後で、誰かが空を切ってこちらへと飛んできている。
爆豪はしゃがみこむと掴んでいた腕を背中越しに引いた。


「…どうにかすんぞ」


――一人では、立っていることもままならない。こうして負ぶわれて、また、救けられて。


「全て返してもらうぞ、オールフォーワン!」
「また僕を殺すか、オールマイト」


まさしく空から飛んできたオールマイトが男の背後に飛び掛かった瞬間、突風が吹き荒れた。拳を握るあのオールマイトの力が相殺されて、あまつさえ彼は吹き飛ばされている。オールマイト、と声を上げた爆豪に、あの程度では死なないよと男は肩を落とす。そうして、死柄木にここは逃げろと告げた。どうやら気を失っているらしい靄の男の個性を強制的に引き出させた彼は、再び逃走を促した。


「行こう死柄木! あのパイプ仮面がオールマイトを食い止めてくれてる間に! ――コマ、持ってよ」


彼らの目のすべてが、こちらを向く。
めんどくせェと笑った爆豪のこめかみに、冷や汗が伝っていた。

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