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六人の手から逃げるたびに、身体が揺れる。どんな言葉も吐けずにただ少しでも爆豪が動きやすいように身を縮める以外の選択肢はなかった。
耳元で誰かが近づくたびに爆破音が響く。右手一本で続けざまの爆破。痛くないわけがない。


「クソが!!」


距離を取ろうにも六人では囲まれれば逃げ場がなかった。


「コンプレス! くっついて!」


サングラスの男に近づいた瞬間、身体が強く後方に引き剥がされる力を感じた。爆豪の手は空を切り、いきおいよくコンプレスの方向に引き寄せられる。彼には絶対触れられるなとつい先ほど言われたばかりで、宙に放り出された四肢は掴まれるものが何もない。
――戦う力なんてない。それでも、できることはなにもないなんてこと、きっとない。
奥歯を噛む。痛いとか気持ち悪いとか、そんなこと今は必要のないものだ。


「ッ来ないで…!」
「くそあっちィな…!!」


喉の奥から吐き出された熱が、触れられる直前に身体の周囲で渦巻いた。距離をとったコンプレスが男から離れると、名前はそのまま地面に叩きつけられた。収束する炎の先で、トゥワイスが飛び掛かる。それよりも先に、爆破で吹き飛ばされる方が早かった。


「離れんな!」
「不可抗力…っ」


素早く立ち上がらされると、爆豪の動きが止まった。
――囲まれた。一定の距離を開けて、四方に敵がいる。
オールマイトがこちらに駆け付けようにも、阻止されるたびに弾き飛ばされて無駄な怪我が増えていった。応戦することも足手まといで、自分の身を守ることも、これで精一杯だった。
爆豪の汗ばんだ手が腕を掴んでいる。
――身を守るように身体を中心に渦を巻いた炎。あれが最大火力でもう一度できれば、事態は好転するだろうか。
膝が笑う。何度も何度も力が抜けそうになる。そのたびに強い力で握られる腕に怒られているような気がして、下唇を噛む。
息を吸った。その瞬間。
巨大な氷壁が空を割った。


「なんだアレ…!?」


敵側の策略でもない、あれは、体育祭で見たあの氷壁だ。何かが氷上を滑空している。エンジン音がうっすらと聞こえた。誰彼も空を見上げて、そうして放り出された一つの塊に、開いた口が塞がらなかった。


「来ォい!!!!」
「――名前!」


出久の声と、爆豪の声が重なった。死柄木の腕が伸びてくる。咄嗟に爆豪の首に抱き着けば、鼓膜が痛いほどの爆破音が響いた。ぶわりと足が宙を舞う。あまりの風圧に腕が緩みそうになると、爆破したばかりの熱い掌が腰に回る。ぱしんと、頭上で乾いた音がした。


「バカかよ」


気を抜いたら落ちてしまいそうで、空を切る音が止むまでは彼の胸に顔を埋めるほかなかった。
飯田と出久が逆方向への力を放出して勢いを相殺させながら硬化の切島が足元を固めて着地をすると、無事に全員が地面に転げ落ちた。
極度の緊張で身体が戦慄いていて、足が動かない。
敵地からある程度距離が離れていることでようやく息もつけるような状況になると、追いやっていた感覚が波のように押し寄せてきた。


「名前!!」
「――いず、なんともない…?」


座り込んでいた爆豪の胸から顔を上げれば、拭いきれていなかった血の跡に出久が涙に滲んだ顔を歪ませる。僕なんかより、と言葉を詰まらせて、それから抱き寄せるとぐずぐずに泣き始めた。


「ごめん、名前、僕が、――僕の、せいで」
「緑谷…」


ふわりと、消毒液の匂いがした。出久の髪に染み付いたそれは、きっと病室にいたからなのだろう。
ぎこちない指が名前の背中を握る。
――原因や発端を、探すのはやめよう。辿りついた先が何だったとしても、それは否定していいものじゃないはずだ。救けたいと思った気持ちを、挫くことになってしまう。それはもうだめだ。
なんだか随分と感覚の抜けた指先で、ひきつった呼吸に喘ぐ背中を撫でる。


「…ヒーローだねえ、みんな」


笑ってしまえば、出久がいっそうひどく泣いてしまったので、爆豪がうぜえと引き剥がすまでにそう時間はかからなかった。



それからすぐに意識が薄ぼんやりとし始めて、爆豪に担がれながら全員で駅前を目指して走った。氷壁はやはり轟のものだったようで、奪還成功だと連絡を取り合いながら、けれども駅前は人混みのせいでどこにも行けず落ち合うことも難しかった。


「名前、とにかく病院に行かないと!」
「――何あれ、オールマイト?」


進もうとしていた足が止まる。ざわつき始めた周囲から、悲鳴じみた声が広まっていく。
全員の目が巨大なモニターを振り仰いで、それから、そこに釘付けになった。
誰ももう、早く行こうとは言えなかった。


『えっと、何が…? え…皆さん、見えますでしょうか…オールマイトが…しぼんで、しまってます』


砂煙が立ち上る先で、痩せた体躯のオールマイトが立っていた。頬はこけて目は落ちくぼみ、それでも、あの青く滾った双眸だけが依然と敵を射抜いている。コスチュームを赤く染めて、足元には僅かばかりの血だまりが見えた。
――この姿の時は、八木とでも呼ぼうか。派手なコスチュームの下に傷跡を隠しこんで、何でもないような顔をしていた。ひたすらに皆の知るオールマイトを崩さないように、どんな時でも笑っていた。


「…オールマイト、」


こんなふうに、理不尽に壊されてしまう。それまで足掻いていたものなんて、いとも容易くなかったことにされてしまう。
――頑張れ。オールマイト。背後で、前方で、あちらこちらから、声が上がった。腕を置いていた爆豪の肩は少しだけ震えていて、見たこともない顔をしてオールマイトを見ていた。
彼の原点も、間違いなくオールマイトだったのだ。


「――て」


――最後は絶対勝つんだよな!
小さいころから、彼がいる社会は当たり前だった。目の前で会ったことなどないというのに、誰彼のいつも隣にいるような気軽さで、呼べばすぐにでも応えてくれそうな、そんなヒーローだった。爆豪も出久も、二人ともオールマイトになりたかった。彼を超えたかった。


「勝てや、オールマイト!!」
「勝って、オールマイト!!」


ヒーローは、いつだって命を懸けてこんなにも傷だらけになって誰かを救けている。それに確かに名前たちは救われていて、その背中はいつだって眩しいものだ。
オールマイト。彼の背中を追いかけている、そうして同じ個性を授かった出久は、彼のようになるしか道はないのだろうか。一般市民ができることなんて精々雀の涙だ。それを補い余る個性だったとしても、無傷でなんていられない。出久も、爆豪も、その行く先はそういうヒーローで、名前はといえば、守られて生きているばかりだ。
――痛い。


「あんたが勝てなきゃ、いったい誰が勝てるっていうんだよ!」


そういうふうに、出久も遥か高いところに持ち上げられていくのだろうか。
オールマイトの右腕が膨れる。男の異様な両腕をかいくぐり、右腕を阻まれて咄嗟に左腕に集約した個性で男の頬を殴った。それでも、彼は倒れない。
勝てよ、爆豪のうわ言が落ちた。
オールマイトが腰を落とす。画素の荒い映像で、それでも、最後に笑ったのが見えた。
――右腕が、男の顔面に叩き込まれる。先程の比ではない力強さで、男の体は勢いに負けた。地面にめり込むように落ちていく。吹き上がった煙と風にまかれて画面が激しく揺れた。
どよめいた周囲の声。一向に晴れないテレビ画面に、中継するキャスターの戸惑う声が漏れる。
白んでいく空に、液晶が反射する。ビルの隙間を縫う朝日が、肌を刺した。
オールマイトが戦っていた場所は、マンションと住宅ばかりが建っていたはずなのに、それももう見る影もなくなっていた。遮るものは何もなく、漂う煙が薄らと色づいている。だんだんと向こう側が透けて見えてきた光景に、一番の歓声が沸き立った。

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