62



その日の夜、ずっと考えていた。
無関係でいたくないと思った。そうしたら、合宿所を襲った敵に攫われた。オールマイトは重傷を負って引退して、後継者は出久であると言った。遠くにいる人は救えないと出久は泣いていた。それでも、必ずヒーローになって守ると決めた。守る守られるという関係性は重荷になるのだと思った。対等ではない関係性が、それが本心とは別のところにあるヒーロー然とした何かによって、彼の吐き出せない傷を増やしていくのではないかと。だから、少しでも彼が"ヒーローとして"守らなければないという意識から逃れるように、心操に捕縛布を習おうと思った。守ることは悪いことではなく、ヒーローでなくたってそう思うよと心操は言った。
――それなら、一体、どうすればよかったのだろう。

結局大して眠ることもできずに朝を迎えた。久し振りにワイシャツに袖を通してネクタイを締め、重だるそうな顔を両手で叩く。我ながら、ひどい顔をしている。頬をつねって笑い顔を張り付けてから、諦めて姿見をカバーで覆う。
一日目から授業があるので、教科書をカバンに詰めて、皆で寮を後にした。
グラウンドで行われる始業式に、出久と爆豪の姿がなかった。生活指導のハウンドドッグが最早人語を忘れて激しく吠えていたのを通訳したブラドキング曰く、喧嘩した生徒がいるとのことだった。


「…喧嘩、A組らしいよ」
「自宅謹慎してるって、あ、寮内謹慎か」
「またA組かよ、ほんとトラブルメーカーばっかだな」


B組のほうからぼそぼそと聞こえてきた声に、冴えない頭でも容易に見当がついた。
――あの二人が、喧嘩。それも寮内謹慎を受けるまでの大きな喧嘩をしたのだろう。喧嘩という言葉に、違和感が拭えなかった。大抵今までは爆豪が一方的に出久に何かをしていたのが常だった。喧嘩ということは、出久もそれに反抗してみせたということだろう。どうしたのとメッセージを送ろうとして、全文消してスカートのポケットに戻した。

六限めまで何とか睡魔と格闘をしながら、ホームルームを終えた後心操とともに職員室へと向かった。あくびを何度もかみ殺す姿に何か言いたげな視線を受けたが、うまく回らない頭では気の利いた一言も浮かばなかった。
冷房の効きすぎた職員室の中で、普段にも増して色濃い隈を張り付けた相澤はゼリー飲料を銜えながら仕事をしていた。相澤先生、と声をかけると、気だるそうな声で返事をされる。いつもより二割増し、という感じだ。ゴミ箱に中身を押し出されたパックを放りこみ、彼はデスクに肘をかけてこちらに向き直った。


「心操の今後の予定はまだ決まっていないが、この二学期で最終判断がされるだろうから気張っていけよ。明日からでも始めたいところだが…緑谷はどうする」
「私も、お願いします」


頭を下げた先で、相澤が腕を組んだ。


「…お前の個性の事、俺やオールマイト以外の教師陣も知ってる。先日の件も踏まえ色々な意見があったが、俺個人としては今後の個性訓練自体には賛成してるんだ」


彼は右目の下の傷跡をなぞるように親指で掻きながら、瞬きを数度繰り返した。言葉を、選んでいるようだった。相澤の僅かに心操を見上げた視線に、彼は気づいて踵を返そうとする。大丈夫ですと、思いのほか強い口調で言葉が弾けた。


「――お前にとって必要かどうかは、正直分からない。ただ、必要に差し迫られてからやるんじゃあ遅いだろう。今回の件を偶然だというには、無責任だと俺は思うよ」


だから、お前がどうするか、どうしたいか、考えろ。
思考を止めるなといつも言う。行き詰ったとしても、考えることを途中でやめるなという。それは確かに正論で、そして、ひどい苦痛だ。
頷いて、はいと返す言葉以外、何も見つからなかった。

職員室から出ると、丁度飯田と麗日が目の前を横切った。


「あれ、こんなところで会うなんて、珍しいこともあるもんだねえ」


大量のノートの束を抱えた二人はこちらに振り返ると、そんな世間話を二、三言零してから思い出したかのように声を上げた。


「あ、そういえば名前ちゃん、デクくんたちのこと…聞いた?」
「……うん、勝己君と喧嘩したって。…けがは、大丈夫そう?」


朝からずっと、出久からのメッセージはない。初めての幼馴染との――おそらく対等な喧嘩の話なんて、する必要はないと考えたのだろう。そうだとも思う。ただ、あの家の中の空気感がまだ続いているような気もして、少し居心地が悪かった。
飯田と麗日は顔を見合わせた後、笑った。


「これ置いたら私らももう寮戻るから、ちょっと待ってて!」
「じゃ、俺は先戻ってるよ」


手を振って階段を下りて行った心操に、職員室の奥のドアに消えていった二人に、名前は廊下に取り残された。
西日の差す窓に背を凭れながら待っていると、すぐに二人はノートを渡し終えて戻ってきた。荷物を取りに教室まで戻ってから、A組の寮に向かう。歩きながら、寮内謹慎のせいで授業内容他学校にかかわる一切の情報共有を禁じられていることを知った。ちょっと厳しいよね、と苦笑いを零した麗日に、当然だろうと憤慨している飯田の反応が対極過ぎて、喧嘩の程度を図りかねる。そうこうしている間に1-Aと書かれた寮に到着した。
基本的にその寮内の生徒との入室か、もしくは出迎えがない限り勝手に他クラスが入室することはできないセキュリティになっている。麗日が先導してドアを開けると、すでに靴がいくつか三和土に脱ぎ捨てられていた。靴は揃えろと言っているのに、とまた飯田が小言をもらした姿に、矢張り几帳面で神経質なところを窺わせた。だというのに、彼は危険を冒してまであの日救出に赴いてくれたというのだから、余程友人思いの良い"ヒーロー"なのだろうなと思った。
差し出された来客用スリッパをぱたぱたと鳴らしながら同じ造りのリビングへと顔を出せば、そこには見事に家政婦の仕事をこなしている出久と爆豪の姿があった。


「あっえ、なんで名前がここに…!」
「あ名前ちゃんじゃん! いらっしゃい!」


ソファに凭れていた芦戸が背もたれ越しに手を振っていて、窓際の汚れを上鳴や瀬呂、峰田が小姑よろしく責め立てている。その奥で砂籐や常闇、尾白たちが大テーブルで話をしていて、なんというかC組よりも雑然とした雰囲気だった。騒々しい様子に思わず呆気に取られて、目をぱちくりとさせていれば、麗日に手を引かれてソファにまで近づく。
出久は少し気まずげに視線を不安定に動かしていて、爆豪はただ黙々とゴミ集めを続けていた。


「…ほんとに、喧嘩したんだ」


二人とも、頬にカーゼを当てて腕も足も擦り傷だらけだった。出久だけがひどいわけではなく、同じように、傷を作っている。
「個性使って大ゲンカ、三日謹慎で良かったよね!」なんてけらけらと芦戸が笑っていた。出久が言葉もなくへら、とぎこちない笑みを浮かべた。
――オールマイトの隣には、誰がいてくれたのだろう。ヒーローとして心が崩れていきそうなときはなかっただろうか。誰彼に求められるヒーローとしての自分に、寂しさを覚えたことは。貴方がいればもう大丈夫だと持ち上げられていくたびに、溝を感じはしなかったのだろうか。
出久には、隣に爆豪がいてくれるのかもしれない。こんなふうに同じヒーローを目指していく誰かがすぐ傍にいて、名前とは違う遠さに辿り着いたとしても、A組の中でなら、彼はいつまでもただの緑谷出久でいられるのかもしれない。役割の、問題だ。


「…っ」
「え、名前、なに、笑ってんの」


寝不足のせいだ。口元を覆った手の中で、笑い声が弾ける。


「――なら、その傷は痛くないね」


出久は、そうだねと疑問符を浮かべながらも、尚も詰まるような笑い方をする名前につられて笑っていた。変なキョーダイだな、なんて瀬呂のほうから聞こえた声に、二人とも否定もしなかった。

: BACK INDEX :