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元気そうでよかった。
ひとしきり笑った後、そう言ってリビングを出て行った。またおいでよなんて麗日たちの声に笑って手を振った。
玄関にまでひょこひょことついてきた出久は、たくさん話したいことがあるんだと言って、またうまくはない笑顔を浮かべている。
ローファーの先で床を突く。履き慣れた感触を確かめてから、振り仰いだ。
「うん、次学校来た日、お昼一緒に食べよ」
「! うん」
「あと、仮免合格、おめでと」
泣きそうな顔を思い浮かべた。出久の笑った顔にそんな気配など微塵もなく、昨日の喧嘩が彼の中でどんなふうに消化されたのか気にもなったけれど、やはり言葉にはしなかった。
「…名前、僕ら、双子だけどさ、テレパシーとかできないだろ」
「…そうだね?」
「考え込むの癖だし、考え過ぎる時もあるし、でも、僕も名前も、そういうのうまく言えなくていいから、ちゃんとまめに話さないとダメだなってやっぱり思った」
名前は、ずっと何考えてた?
リビングのドアの向こう側はまるで誰もいないかのようなくらい、この空間がとても静かに感じた。
指を握りこまなくても、言葉を探さなくても、それでも、喉の奥で音が転がらない。ローファーの底で砂利を踏みしめる音がやけに響いて、くだらない会話も逸らしそうになる目も、許されない気がした。
「…神野区のあの日から、私、出久の隣にずっといられないのかもしれないって思った。でも、それって多分、私の役目じゃないんだと思う。……私は、いずの家族でいたい。ずっと、たった一人の兄妹でいたい。だから、もういずのせいだとか守るとか必ず救けに行くとか、そういうの言わないで。そういうふうに、背負ってほしくない」
理解も納得もしていないのに、頷くような性格ではない。
彼は案の定唇に手をやりながら必死に考えようとしていて、それでも、矢張り答えは出なかった。
「……僕がヒーローを目指すなら、名前はこの先きっとずっと、悪い意味でも無関係でいられなくて、だからこそ、僕にとっては、家族だから、名前だから、守りたいって、思ってるけど、それは違うってこと?」
「……オールマイトの…、オールマイトが引退して、いずは、その期待とかヒーロー観だったりとか、いろんなの、背負ってるように見えた」
「それは、」
「――…ヒーローじゃなくても、そう言った?」
「僕が無個性のまま…っ無個性だったとしても、言った。絶対!」
出久は、言葉尻に被さるように少しだけ声を荒げた。心操もそう言っていた。ヒーローだったとしてもそうではなかったとしても。――笑っていてほしいから。炭谷もずっと、そう言っていた。
名前の心が彼らよりも弱いから、ヒーロー然としていないから、そんなふうに考えてしまうのだろうか。
「……もし何かあったとしても、名前は、僕のこと、探しに来てくれるだろ?」
「……それしか、できない、し」
「でもそれって、一緒じゃない? 僕の救けたいも名前の探しに行くのも、一緒だよ。違いなんかどこにもない」
救けにいくための踏み出す一歩は、彼らの領分で。その一歩は羨むものでも涙ぐむものでも諦めるものでもなくて。その先の出久の周りにはもう別の誰かが立っていて、彼が傷つく分も同じだけ背負ってくれる友人がいて。
「――それこそ、名前が、僕のことを違う世界の人…みたいに思いこもうとしてる、感じがする」
そうだったのだろうか。あの時モニターの前にいた見知らぬ彼と同じく、崇拝に似た眼差しで世界の違う人だと追いやろうとしていたのだろうか。
出久を見上げる瞳の縁が熱を帯びていく。違う。同じ場所に立っていたい。同じ目線で景色を見ていたい。出久が痛いと思うのなら、半分こずつにしたい。時折流れてくる痛みのように、分かち合えるものはそうしたい。ヒーローにはならないけれど、出来ることを頑張りたいのだと思った気持ちは、彼と同じ歩みで隣に立っていたいと思ったからだ。
「――ここでぐだぐだ話してんじゃねえよ、部屋でやれや!」
ドアの向こうからがさがさとゴミ袋を抱えた爆豪が、足音を立てながらやってきた。ちらりと見えた隙間の奥にはA組の面々がこちらを窺っているような視線を向けていて、出かかっていた涙が引っ込んだ。
「気ィ緩めて話してるうちに、バレんぞ」
三和土にゴミ袋を落とした爆豪は靴を履きながら、じろりと出久を睨み上げた。
――昨日の喧嘩の原因は、オールマイトと出久の個性の話だったのだろう。落ち着いて話をしているところから、もう既に話は解決していて、むしろ秘密にしておくことに協力的なようだ。
涙腺から落ちていった涙で鼻をすする。彼は鋭い眼差しで名前を見て、舌打ちをこぼした。
「相変わらずてめえら思考回路まで同じかよ、クソみてえな会話堂々巡りさせてんじゃねえ、うざってェ」
「…言葉悪い」
「どーでもいいわ。つか救けに行くだなんだ、んなのに理由もクソもあるかよ、ああ゛? お前らが考えてるもん結局全部一緒だろうが」
くだらねェ話してんじゃねえ。
嵩張るゴミ袋を抱えて器用に肩でドアを開けた彼は、そのままいなくなった。
流石爆豪、とリビングの方から誰かのこぼした声が聞こえて、思わず出久と顔を見合わせた。
「…一緒、だって」
「僕もそう言ってるってば」
「そっか」
いつの間にか握りしめていた右手を開く。ぺちりと、出久の左頬を柔く叩いた。
「でも、無理なことは無理って、辛いものは辛いって、ちょっとでも思ったことは、頑張ればなんとかできるって、そう思わないでほしい。そういう気持ちも大事だけど、いずは優しすぎるから…」
柔らかいカーゼの感触が、指の付け根をくすぐる。
押し込めた言葉の鋭さは、名前が一番よく分かっている。加害者として、分かっている。
分かった、と頷いた出久に、それじゃあまたね、と笑った。出て行くときは開く仕組みのドアを押して、ゆっくりと、手を離した。
ドアの前の数段の段差を下りると、寮の脇から爆豪がゴミを捨て終えたのか両手を空けて歩いてきた。
「オイ」
ポケットに手を突っ込んで、立ち止まった彼に向かい合うように振り返る。
珍しく少しばかり言葉を口の中で噛み込んだ後、唇を尖らせた。
「…傷は、もういいんか」
どこの、と言いかけたが、爆豪のほうが先に全部と言葉を継ぎ足した。
首筋にやった指先が、がさついた皮膚を撫でた。夏でも襟を詰めて、おろした髪に少しでも隠れるように。まだ、そこにいる。
頭はもう平気と返した言葉に、爆豪の眉根が寄った。
「今度は、守る。もう傷も残させねえ」
――彼の腕に抱えられながら思い出した記憶。思えば、いつも爆豪がいた。
「…この間は、ありがとう。でも、もうあんなふうにならないように――」
「うるせェ、いいから黙って聞いとけ」
怒気もないのに心なしか彼の張りつめた雰囲気に、言葉を飲み込んだ。
「仮免は落ちた。十二月、再試験がある。俺は、そこで仮免とって、ヒーローになる」
そんだけだ。
爆豪はそれだけ吐き捨てると、まっすぐに前だけを見て通り過ぎていく。
――プライドの塊のような人が、吐き出せる弱音なんて少しもない。そういうものを微塵も許さない爆豪の傷は、彼自身も気づかないのだろうなとふと思う。
思ってから、試験に落ちたことを素直に口にしたことに驚いて、なんの言葉も出てこなかった。
出久が受かった試験。彼は落ちた。それは、今までの爆豪であったなら耐え難い屈辱だっただろう。
それをあまつさえ名前に言って、なんの意味があったのだろう。
寮に戻っていく爆豪の背中を、見えなくなるまで追いかけていた。
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