70



敵みたいだね。そう幾度となく言われた心操の個性は洗脳で、それでも彼はヒーローに憧れた。憧れて、個性を認めることもできずに雄英高校に入学した彼は劣等感の塊で、最近になってようやくその嫌いはなくなってきたというものの、時折名前の個性を羨ましそうに見ていたことも知っている。
彼もまた、"個性"というものに振り回されている一人だった。だからこそ、名前が個性のことを報せなければならない必要などどこにあるかと鋭い声音で言ったのだろう。個性はいつだって、この身体に宿る自分だけのものだ。
――無個性なのに。個性があるならば、心操の隣で訓練していくことは正しいということになるのだろうか。そうだというのなら、"無個性"は、有個性の隣に立つ資格もないことになる。
――無個性のくせに。爆豪は何度もそう言って出久を嗤った。けれど、彼の個性が譲渡されたものだと知っても、彼の秘密を守り、恐らく対等に立とうとしている。爆豪はきっともう、名前が無個性だったとしてもそんなふうには言わないだろう。


心操と名前と、それぞれの課題を熟して一時間もすれば運動場はどっぷりと夜に沈んでいた。


「心操君!」


敵役の相澤から三十分間逃げ切ること。
それだけを条件に始まった熾烈な鬼ごっこは、十五分が経過してもまだ何とか逃げられていた。そう思っていた矢先、暗闇に乗じて放たれた相澤の捕縛布が心操に伸びる。二人の距離はまだ十分にあった。心操との逃走を考慮するならば、相澤の目の前に立ちはだかる炎の壁を隔てたほうが逃げ果せる可能性は上がる。心操と距離を置いて走っていた名前のいる位置は視認されておらず、炎に姿を隠せば彼に壁は消されない。
――肺いっぱいに吸い込んだ息。相澤の足止めをするならば、火力量の調整はいらない。久しぶりだからなのか、今日は個性を使うたびに調子が上がっていくようだった。
チリ、と焼け付いたような痛みが喉の奥で走った。


「ッふ――!」


吐き出された炎は配管を突き抜けて広がっていった。上下にのみ広がるように調整した力は働いている。相澤の視界全てを遮るに足る壁は、今まで見たこともないほど高くのぼっていった。


「あっつ」


相変わらず、と半ば呆れたような笑いを零した心操が、前方の配管にぶら下がる。彼の手を掴んで逃走すれば、背後の相澤から逃げられる。はずだった。


「っ、あ゛、――!?」


いつもであれば、すんなりと続いていたはずの呼吸が続かない。吸い込む息が痛い。喉の奥が焼け爛れていく感覚。
太い配管の影に蹲って、何度も吸い込んでは肺に入っていかない異物にえずいた。痛い。喉が、焼けていく。ひどい熱が篭る。
制御できないせいで収束していく炎の壁から、相澤が現れた。


「緑谷!」


息も絶え絶えな状況を見るや否や彼の背中にすぐさま担がれると、捕縛布で身体を固定されて勢いよく配管の間を飛び越えた。
喉が痛くて呼吸が覚束無いせいで、喉の奥からずっと熱が溜まっていく。頭が、身体がぐらぐらと茹で上がっていくようだった。



   *     *     *



「――後遺症さね」


保冷剤での冷却でも症状が緩和されず、そのままリカバリーガールのもとに運ばれた。彼女が施した治癒のおかげで大分喉の痛みは引いていたが、依然として頭は茹でられたままだ。
真っ白なベッドに埋もれながら横に座っていた彼女が、足元に立っていた心操と相澤に向かってため息を吐いた。


「前に喉をひどく痛めたからかね、生来耐えられる熱よりも限界があるんだろうよ」
「――、リ゛」
「やめときな、喉が潰れるよ。しばらくは話さんほうがいい」


リカバリーガール、と呼ぼうとした声は嗄れているどころがきちんと発語できていたのかさえ怪しい音だった。拍子に吸い込んだ空気に爛れた粘膜が掠れて咳き込む。苦々しい味とともに眉根を寄せる痛みが残っている。
すっかり溶けた氷水の入った袋を持ち上げて、彼女は椅子から立ち上がるとベッド脇の冷凍庫を漁った。


「…個性、もう使えないってことですか」


心操がまるで自分のことのように顔を顰めながら問いかけた言葉に、リカバリーガールは袋に氷を詰め込みながら首を横に振った。


「治ればまた使えるだろうけど、緑谷はヒーロー志望なのかい?」


生温くなった袋が額から離れていく代わりに、冷気をまとった袋が乗った。つい口を開こうとしてしまえばじとりと心操にきつく睨まれて、小刻みに首を振る。


「だったら、もう今後使わなくたって生きていけるだろうに。あんたら兄妹は無茶ばっかりしてくるね、全く」


水滴が前髪を濡らして、こめかみを伝った。
相澤は腰に手を当てながら、親指で右目の下を撫でた。


「今日くらいは婆さんの世話になっとけ。担任には俺から伝えておく。それと緑谷出久の方にも――」
「! い゛――げほっげほ、!」
「あーもうじっとしてな!」


身を起こした名前の肩をリカバリーガールがぐいとベッドに押し返す。
言わないでと、何度も首を横に振る仕草に相澤は目を眇めた。


「…分かったよ。但し、明日の朝の時点で状態が変わらないようなら親にも連絡は入れる。いいな」


こくりと頷く。
熱に浮かされた脳から追いやられるように目尻に浮きそうになった水分が、額から溢れる水滴と目元で混ざって枕を濡らした。

: BACK INDEX :