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名前たちは個性が出現してから数えるといわゆる第五世代と呼ばれ、個性終末論が実しやかに囁かれるようなほどにそれぞれの個性の開花が目覚ましかった。だからこそ、無個性は目立つ。何の個性も持たなかった――持っていないことにしていた幼少期の名前たちはクラス内のカースト最下位で揶揄われる恰好の的であったし、無個性を理由に理不尽に振り回されたことも少なくはなかった。例えば、物を浮かせる個性の子がいればその子に靴やら筆記用具やらというものを浮かされて取れなくされるような、子供じみたそういうものだ。緑谷兄妹=無個性、というものが定着した中学生にもなれば、最早そんなもの面白くもなくなるのか、揶揄われることに変わりはないがその回数は減っていた。出久と名前が顕著にその対応が異なっていたのは、出久が無個性でヒーローを目指していたからだ。今はそう、彼は有個性でヒーローを目指していて、その隣にいる無個性の名前は、ヒーロー科に編入する心操について回っている。
――身の程を知れよと、無個性には大抵がそういう目を向けるのだ。
柚希たちを先頭に時折マスク越しに咽た声を隠しながら教室へと向かう。やや後方を歩く心操に本当に大丈夫かと声を投げかけられたところで、柚希が教室のドアを開けた。
前の席に座っていた委員長が、体調大丈夫と小首を傾げる。大丈夫、と言葉なく頷いて笑えば、怪訝な顔をされたが嫌な視線は感じない。
――体育祭を終えた五月頃から、無個性だと言い張っていた。C組では心操以外の全員がそう思っていて、思いながらも、現状何も問題はなかった。
おはよう、今日の課題は、授業は、と変わらない会話に華を咲かせる誰彼の合間を縫って席に着くなり、後ろの席の澪が肩を叩く。袖口を摘まれて彼女の後をついていくと、女子トイレの洗面台の前で手が離れた。
始業まであと五分だからか、トイレには誰もいなかった。
「…昨日、文化祭の話してて。心操君と名前だけがいなかったから、そういう話になって…。女子の間で、名前は……、無個性、なのに何してるんだろうねって」
澪は水道から緩く漏れる水滴を見やりながら、言葉に詰まらせながらそう言った。
「…特訓頑張ってるっていうのは知ってるし、その喉とか、よくできる擦り傷とか、全部そういうのしてるからなんでしょ?」
心操は、ヒーロー科に編入するための正しい努力を積み重ねている。傍から見てもそれはとても分かりやすい動機で、一方で、名前はただの無個性だ。澪たちのように深く踏み込んでくることもなく、それでも見守ってくれるような人が多くはないということくらい、分かっている。――今更だ。五月から続いている無個性だというラベリング。それによって此方を見る目が変わった人もいれば、何の変化もない人もいる。今更、無個性ではないのだと言ったところで、彼女たちとの繋がりが変容するとは思えなかった。だから、言わなくてもいいのだと思ったのかもしれない。
「…付き合ってるとかそうじゃないとかは、本当なら名前から聞きたかったとは思ったけど、そうじゃなくて、そういうことじゃなくて、」
いつも考えてから言葉にするタイプであった彼女がこんなふうに言い淀む様を初めてみた。
「…個性があってもなくても、名前は名前だし、やりたいことを、したいことを、していいはずよ」
――嘘を、吐いている。こんなにも優しい彼女たちに、嘘を吐いているのだと、知った。
* * *
終礼が終わり、寮に戻りながら文化祭の話をする。リビングで制服を脱いだクラスメイトたちとテーブルを囲みながら、心霊迷宮の構成を考えていた。
「昨日理数得意組に任せてた図面、なんとなくできたらしいから皆に回すよ。違和感あったら紙に書きこんじゃって。んで、来週いっぱいには骨組みだけは完成させないと間に合わないから、今週までにちゃんと図面に起こして、土曜か日曜くらいから木材の切り出しは始めようか」
「パワー系とか硬質系の個性って誰かいたっけ? 運搬とか切り出し、任せちゃった方がよさそう」
昨日の話し合いは大まかな雰囲気を決めたもののようで、今日はホワイトボードに文化祭までに作り上げる建築物の係決めだった。
前方の大テーブルから渡された図面に実現不可能な箇所がないか手分けをして探す。こういう作業は空間把握と想像力を働かせないといけないので、少し苦手だ。
図面と睨み合っている間に、ホワイトボードに名前が書き込まれていく。骨組みの組み立てに心操の名前が入っている。重いものはもう大抵大丈夫なんだろうなあと見ていると、壁面と内装担当に名前の名前が書かれていた。ということは、本格的に役に立つのは来週の後半以降になりそうだ。壁面と内装、ということもあって、女子の割合が高い。あとは若干の浮遊ができる男子。彼の場合は脚立要らずで便利な個性、というところだろうか。
決まった各担当ずつにテーブルを分けて座り直した。
柚希の個性は物質的な綻びを視覚化できるそうで、骨組み係に回っていた。彼女の個性も安全面を考慮すると大層重宝されるものだろう。将来は建築系でも十分活躍しそうだ。
隣に紗代と澪が並び、壁面と内装デザイン、それに必要な経費の算出、買い出し予定日の決定と順調に話し合いは進んでいた。話に一区切りがついた六時頃、斜向かいに座っていた副委員長の彼女がそういえばと名前を見た。
「名前ちゃんは、もう放課後何かしなくていいの?」
空気にひびが入るような、そんな音がした。
こくりと頷く。本当であれば、文化祭の準備中も空いた時間にトレーニングくらいはしたい。個性が使えないとしても、体力が落ちるのは早いのだ。けれど、言葉も話せないこの状況では頷くことが最善だと思った。
彼女は数拍の間を置いて、「風邪?」と小首を傾げた。
――頷いた。
そうなんだ、お大事にね。そう言って、彼女は小さく笑った。
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